第22話 だます




 ようやく今日、タイチのジュース作りを任せてもらえた。すごく時間がかかったけど、やっとしもべ生活の主目的に取り掛かれる。

 タイチが飲むってときに、僕は用意しておいた計量カップを使って、しっかり水をはかって入れて、溶いた。

 タイチは袋に粉が残っていないか、溶け残りがないかをチェックした。厳しいチェックだった。

 なんとか審査を合格したジュースを計量カップからコップに移して手渡した。

 それを口に含むなり、タイチは首を傾げた。ほのかな違和感。それを確認するように、もう一口飲んだけど、ただの違和感だと思ってもらえたらしい。満足そうに、一杯飲み切った。

 成功だ。

 この薬は、一日一回飲むもの。だから、僕がここに来るたびジュースを作り続けることができれば、きっと……!




「遊園地、行こっか」

 土曜日の朝、唐突にお父さんが言った。僕にとっては唐突でも、ふたりの間では唐突でもなんでもないらしい。お母さんは少しも驚くことなく、カチャカチャと洗い物をしていた。

「今日、いきなり?」

「嫌?」

「嫌じゃないけど、なんで?」

「だって――」

 言いにくいことを言うとき。大人になってもスラスラ言えないんだなぁ。大人ってなんだろう。

 ただ、大きくなった人なのかなぁ。

 ただ、まだ小さい人よりたくさんの時間を過ごした人なのかなぁ。

 たくさんの時間を過ごしても、言おうとしていることをすぐに言ったりするような、そういうスキルって身につかないのか。大人になる利点って、なんだろう。

 ぐるぐる考えていると、お父さんがやっと「だって」の続きを言う。それは、すごく子どもっぽくて、大人とか子どもとかそういう区別を超えた、人間っていう括りのやりとりに思えた。

「だって、もう一緒に遊園地、行ってくれなくなりそうだから」

「……もう。仕方ないなぁ〜」

 僕たちは、小さい頃よく行った、近くの小さな遊園地へ向かった。テーマパークなんかは日々よくメンテナンスしてるからずっと綺麗だけれど、この小さな遊園地のアトラクションはところどころ傷んでいるし、少し昔を感じる。

 ポップコーンをたべて、ソフトクリームを舐めた。

 ゴーカート場の前を過ぎる時、お母さんが言った。

「タイチくんと、ここでレースしたことあるよね」

 お父さんがお母さんの体を小突いた。お母さんは、言っちゃいけないことを言っちゃった、みたいな気まずい顔をしてた。

 空気を変えたくて、

「ねぇ、喉渇いた!」

「なんか買おっか」

「あのぉ……お父さん、小腹空いてるんだけど……」

「えぇ、さっき食べたばっかりなのに?」

「ポテトくらい、つまみませんか」

「いいね、僕もつまみたい!」

 お母さんが呆れたような顔で僕たちを見た。

 なんだか、いつも通りが戻ってきた気がした。

 買ってもらったコーラは、氷がたくさん入っていて、すごく冷たかった。

 ポテトとセットで買ったからか、いつもより大きなカップ。一気に飲んだらお腹がタプタプになりそうだからって、持って歩いたら氷の音がだんだんとやわらかくなってきた。

 ストローに口をつけて、チューと吸う。溶けた氷で薄まった、遠くあまい液体が喉から全身に染み込んでいく。




 リトルホテルに着いたら、すぐにタイチの元へ行き、要望を聞く。これが毎晩のルーティン。

「おすすめの飲み方があるんだけど」

 タイチの元へ駆けつけるなり、僕は提案した。

「んあ?」

 大あくびをしながら、聞いているんだかいないんだかわからない答えが返ってきた。

 都合がいい。

 頭が働いていない方が、騙しやすいもん。

「今日も、僕が作るね」

「ん? あぁ」

「ちょっと、必要なものがあるから取ってくる」

 レストランに行って、氷を少し分けてもらった。

 カップにいっぱいの氷を手に、急ぎタイチの元へと戻る。計量カップで水をはかって粉を溶き、できたジュースを氷入りのコップに注いだ。

 コップを持ち上げたら、カランと涼やかな音がした。

「おお、氷入りか。地味にやったことないや」

「氷を入れる前によく溶かしたから、安心して」

 目線の高さにコップの底がくるよう、少し掲げた。

 ゆすると氷がぶつかった。今度はカン、と鈍く鳴った。

 底のあたりに溶け残りはほとんどない。ほとんどないけれど、わずかに煌めく結晶に、タイチの眉間がシワシワになった。

「冷やしたからかな。氷入れすぎかな。ごめん、初めてだから……」

「まぁ、いいや」

 少し口に含んで、難しい顔をした。

 チラリと僕を見た目が、すごく刺々しかった。

「なんか、ちょっと薄い」

「キンキンに冷やすと甘みを感じにくくなるらしいよ。だからだと思う。ほら、ジュースってさ、ぬるくなってからだとベタベタ甘いでしょ? そんな感じ。ベタベタ甘くてぬるいやつより、爽やかに甘くて冷たいやつの方が美味しいじゃん? だから、これもそうかな? って、思って!」

 目を閉じて、考え事をしている顔。

 しばらくそのまま時が流れた。

 ようやく、タイチが口を開く。

「まぁ、そうか」

 ぐいと飲み干したジュースは、本当は少し薄い。


 溶かす様をまじまじと見られたのは初めだけだった。

 監視されながら作った時、僕特製の計量カップを使って水の量を騙した。

 本当に、わずかな量だったと思う。

 それこそ、わざわざお手製のカップを使わなくても、普通の計量カップのメモリ線のちょっと下になるように攻めればよかったんじゃないかってくらい、ちょこっと。

 それからは、作るところをじーと見られないから、薬の袋を切るときに、切り離す方で少し粉をつかむようにした。少しずつ、焦らずに量を減らしていった。

 だんだんだんだん、バレないくらいに薄くしていった。

 僕の指の感覚が頼りだった。

 多少の波はあるだろうけれど、地道に量を減らし続けた。

 そして、氷だ。

 味が薄くなることに慣れさせる。

 そしてどんどん、抜いていく。


 騙しているだけなんだから、やっていることは悪役そのものだ。

 どうせだったらヒーローがいい。でも、正義の悪だって、この世の中にはあるんだ。



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