第21話 なやみごと




 少し歩いて、見つけたベンチに腰掛けた。

 ノートを開いて、おばさんとの話を思い出しながら、大事そうなことを書いていった。

 僕は、あのジュースを薄めれば、効果も薄くなるだろうって考えていた。でも、チョコレートの味が薄くなったら、美味しくない。カルピスだって、いい具合に薄めるか、濃いやつが美味しい。

 薄めて薄めて、気づいたら要らなくなりました、っていうのが一番現実的かなぁと思っていた。でも、それでタイチを取り戻せるのか、ちょっと不安になってきた。

 だいたい、薄めるっていったって、どうやって薄めればいいんだろう。

 大事なところ、閃けてないじゃん!

 あーあ。僕の閃きよりもいい手を聞き出せたらよかったのに。


 ノートに、汚い文字が踊っている。

 普段から字を書くのは上手くないっていうのに、なぐるように書くから余計汚い。

 ため息が漏れた。

 夢語みたいに変になった文字を見つめた。

『コイツをどうにかしたい』

 どうにかしたいと思うだけで治るなら、もうとっくに目を覚ましているやい!

 空を仰ぎみた。広い空。夜なのに、明るい空。

 どうして、どうにかしたいと思われた人は薬の魔の手から逃れられるんだろう。ふと、そんな疑問が雲みたいにもくもく湧いた。

 おばさんは、ここにいる人はみんな生きている、って言っていた。

 でも、眠りから覚めないことって、ある意味死んでいるように思うのは僕だけだろうか。


 うーん、と唸っていたら、ピィピィが鳴き始めた。直後、アナウンスが響く。

 今晩はここまでか。

 ピィピィに道案内を頼んで、帰路に着く。

 フロントで鍵を受け取り、眠りについた。



 夜。当たり前のようにリトルホテルへ行くと、たまたまタイチのお母さんに会った時に聞いた話をタイチにしてみた。

 昼間、お母さんと一緒にご飯を食べたっていう話を。

 そうしたら、タイチはそのメニューを言い当てた。

 僕は、ご飯を食べたとしか言ってないのに、だ。

 うとうとしたときに、そんな夢を見たらしい。


 現実に少し顔を出しているんだと安心したのも束の間、薬の量を増やすと言い出した。

 このままじゃ、悪化の一途だ。

 焦って僕は、勢いで頭を下げた。

「僕がここにいる間だけ、タイチに仕えさせてくれませんか!」

 お仕事をしている人みたいに、丁寧にお願いした。

「ほほう」

 興味ありげだ。

「僕、最近小説を書くのにはまっているんだ。タイチみたいなカッコいい人を主人公にしたいなって。だから、一番近くで見ていたいんだ」

 小説を書いたことなんてない。読書はするけど、夏だけ。読書感想文は嫌々書いてる。

 嘘ばっかり。あとで針千本、飲まなきゃダメかも。

「おお、それで仕えたいと」

「うん!」

「金は払わねぇよ? 本当は貰いたいくらいだ」

「払うほどお金持ってないから……。あ、でも、お金払う代わりに、いろいろするよ」

「いろいろ?」

「たとえば、飲み物を持ってきたり。そういう、めんどくさいなぁってことを、僕に押し付けていいよ」

「面白い。んでも、仕事が出来なかったら解雇な」

「分かった。ありがとう。よろしく」

 さっそく仰せつかったのは、漫画を借りてくることだった。ノートにびっしりとタイチが口にしたタイトルを書き込んで、図書室に行って、両手で抱えるほどたくさん借りて戻った。

 遅いけど許してやる、と鼻を鳴らして漫画を読み出したタイチに、気を遣ってお茶を出す。

 タイチは、お茶なんて飲まないと不満を露わにし、危うく解雇されかけた。


 僕は毎晩毎晩、タイチのしもべとして過ごした。

 薄める以外の方法を閃くことができない僕には、こうすることしかできなかった。




 さすがに少し、心が疲れた。

 晩御飯の時間、箸を止めてぼーっとしていたら、お母さんが苦く笑って言った。

「聞きにくいけど、聞いてもいい?」

「……ん?」

「コウジ、いじめられてたり、しない?」

「え?」

「あ、いや。最近、コウジの顔、いつ見ても上の空っていうか。ぼーっとしてるから。悩み事とかあるのかなって。タイチくんのことだったら、普通に話してくれるでしょ? だから、タイチくんのことじゃなくて、お父さんやお母さんに言えないことって、なんだろうって考えたの。それで、もしかしてそういうことがあったりするのかなって。言いたくないなら、いいの。でも、ほら。なにか、力にはなれると思うから」

「なん、でも、ない」

 喋れませんよってアピールするためにご飯をかきこんだ。お箸と茶碗が擦れる音が、不規則に、速く、響く。

「困ったときは、頼ってね。『貝になりたい』とかそういう話でも、私、ちゃんと聞くから」

 頬杖をつきながら、僕をじーと見つめながら、とろんと優しく垂らした目尻。優しさで包み込もうとするような見た目の割に、『貝になりたい』とか訳がわからないことを言うから、困惑した。かきこむ手は止まったけれど、口の中にたっぷり詰まったままのご飯たちが、喉を越えて胃に向かう許可がでないからって右往左往してる。僕は口の中のご飯たちを、ちゃんと噛まないまま飲み込んだ。大きな塊が喉を越えて胃へ向かう。詰まりそうだった。強引に広げられた喉が痛んだ。

 お茶をガブガブと飲んで胃への旅をアシストする僕を、お母さんは微笑みながら見ていた。

 目には涙がたまっているらしい、白と黒の丸が、キラキラと輝いていた。おもしろおかしくて笑ってるんじゃない。悲しくて感情が溢れてる。そんな煌めきだった。

 心を落ち着かせながら、頑張って元気なふりをする。無理してるの、大人にはバレバレなのかもしれないけど。



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