第19話 かあちゃん
晩御飯の前だけれど、早速粉ジュースを水で溶いた。
コップをくるくると振って、粉気がなくなった頃。もう溶けたんだし、飲んでもいいかな? って口をつけた。
「ん……ん?」
「コウジ、どうした?」
「ん〜、こんなに薄かったっけ? って、思って」
「ん? えっとねぇ」
捨てずに置きっぱなしだった袋を、お母さんが確認する。
「お水、100mlって。お水が多かったのかなぁ。何を使ってはかった?」
「ジャーって」
「ん?」
「水道からジャーって」
「えっと? ジャーっていうくらいジャーってしたってこと?」
会話がほとんど「ジャー」になったのがおかしくて、だんだん笑いが込み上げてくる。
「そんなに適当じゃ、そりゃあ薄くなるよ〜」
お母さんが、笑いながら泣いた。
まぁ、薄くたって飲めるし。別に、濃くなくったっていいし。強がって、ぐいと飲み干した。正直、薄いとちょっと美味しくない。それに、
「なんかめちゃくちゃ粉残ってる」
「えぇ? ちゃんと混ぜた?」
「うん、ちゃんとくるくる振った」
「スプーンくらい使いなさいよ」
お母さんが、呆れてため息を吐いた。
ふと、タイチはどうしているんだろう? って気になった。あの変な薬も、溶かす水の量で味が変わるんだろうか。よく溶けるんだろうか。こんなふうに、溶け残ったりしないのかなぁ。
水を入れすぎたから薄かったのか、ちゃんと溶かさなかったから薄かったのか。それともそのどっちもなのか。
コップの底の、水を浴びてキラキラ輝く粉を見つめながら考える。
そういえば、この前。カルピスを作るのに失敗したっけ。カルピスを足したり、水を足したり。あれ、僕、水で薄めるジュース作るの、下手くそなのかなぁ。
濃く作れたとき、うまく作れたと思ったりもしたけど、下手くそだから濃くなっただけ?
「あっ!」
急に叫んだら、お母さんがビクンってなった。
「なによ、なに? どうしたの?」
「え、あ、えっと……なんでもない!」
なんでもない、を満面の笑みで言う人なんて、多分そう居ない。そんなやつを見た時、すべきなのだろう顔を今、お母さんがしてる。
ひとつ、閃いた。タイチを救う方法!
気合を入れて、リトルホテルへ行く。
ひつじなんかを数えない。
タイチタイチタイチ……。
頭の中で呪文を唱えるように、ずっとタイチのことを考えた。なかなか寝付けなくって、途中でタイチが「イタチ」になったりした。何やってるんだろうって思ったからかもしれない。力がスッと抜けて、僕はリトルホテルへ行けた。
今日は、ピィピィは散歩にでも行っているのか、見当たらない。ひとりでキョロキョロぐるぐる、タイチを探した。
「あ、タイチ! いた!」
見つけた。相変わらずタイチらしくないタイチだ。近づいて、いつも通りに、
「タイチ!」
「ん? あぁ」
タイチが僕を見た。
「ねぇ、話できる?」
「んあ? もう休もうと思ってたんだけど」
「休む? リトルホテルはこれからじゃないの?」
「ずっといるもん、俺。はーあ、疲れた。休まねぇでボーッとしてると母ちゃんが目の前にふわふわ出てくんだよなぁ。ったく、迷惑な顔してよぉ」
「迷惑な顔?」
問いかけた先に、まさに迷惑そうな顔がある。
「もういいか?」
「どんな顔かだけ、教えて!」
睨みつけるような視線が痛い。
僕は歯を食いしばりながら、笑顔を作り続けた。
「悲しそうな顔。なんでこんな子が私の子どもなんでしょうか、みたいな。じゃ、俺、行くわ」
「あ、うん。また……学校でね!」
手を振りもしない背中を見つめ、大手を振る。
振りながら僕は、明日からはパジャマの胸ポケットに入るくらいの小さいノートとペンを持ってここに来ると決めた。
タイチの話や、リトルホテルの外で起こったことを書いておけば、何か役に立つかもしれないから。
記録がたまってきたノートを見ながら考える。
タイチがお母さんと会っているのは、たぶん事実だ。昼間、時々ヨロヨロと動き出して、トイレに行ったりする時。ちゃんと眠っていない時は、きっと意識があっちこっちしているんだ。
休まないでボーッとしているとお母さんが見えるって言ってた。ってことは、たくさんたくさん疲れさせたら、たくさんたくさん意識が戻ってくるってことなんじゃないだろうか。
僕は夜な夜なタイチを遊びに誘った。ケイもシュンも、変わってしまったタイチを避けるようになったけれど、ユズキは一緒に遊んでくれる。
「なぁ、遊んでやってるんだから金よこせよ」
「えぇ、そんなこと言わないでよ」
「お前らと遊ぶと疲れっからさぁ、金かかるんだよ」
「どうしてお金がかかるの?」とユズキが問う。
ユズキはたぶん知らない。薬――ジュースのこと。
「知らなくていいことってのが、世の中にはあるんだよ」
お前は何歳の誰だよ、ってツッコミたくなったけれど、言葉をごくんと飲み込んだ。
困惑するユズキ。勉強ができる彼のことだ。相談したら力になってくれるだろうか。ふと、そんなことを考える。
誰が何を言うでもない、譲り合いのような時間がふわふわと過ぎる。
ブゥブゥとタイチのポケットが震えた。
「くっそ」
「どうしたの?」
ユズキの問いに、ため息が返ってくる。
「俺、仕事だから。んじゃ」
「し、仕事!?」
まさかリトルホテルで働いているとは思わなかった。驚きで声がひっくり返る。そんな僕とは対称的に、ユズキは平然と「いってらっしゃい」と手を振った。
「ねぇ、リトルホテルって、僕らでも働けるの?」
「コウジは知らなかったの?」
「知らない……」
「そっか」
ユズキの視線は、どこか遠く、雲とか月とか、それくらい遠くを見ていた。
「仕事して、どうするの?」
「お金稼いで、アイテムを買うんだよ。ゲームみたいなもん」
「ユズキは、働いたり、買ったりしたことある?」
「ない、かな?」
曖昧な返事。たぶん、聞かれたくないことなんだろうな。
中庭のベンチで考え事をしながらノートと睨めっこしていると、気配を感じた。何かが近づいてくる。
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