第18話 こんらん
チェックアウトのアナウンスを聞いて、急いで部屋に入って、寝た。
目を開けたら、自分の部屋。
お父さんもお母さんも、昨日のことがあったからか、元気がないように見えた。
「おはよう!」
力みに力んだ挨拶で、家の中のよどみを吹き飛ばす!
お母さんは、ちょっとホッとした顔をした。
お父さんは、僕の顔とお母さんの顔を交互に何度も見てから、キュッとネクタイを締めた。
いつも通り、学校に行く。
タイチはいない。
ミオちゃんも今日はお休みらしい。
タイチの話が広まって、リトルホテルはヤバいところなんじゃないかっていうコソコソ話がそこかしこでされていた。
そんな中、大人に報告しようとしたリョウが、倒れた。
学校は大混乱だった。
起きない子がいるだけじゃない。何かが――起きている。
大人は聞き出そうとするけれど、リョウが倒れたのを見てしまったこともあって、誰も何も言わなかった。
――大人には内緒。
倒れてしまうのはきっと、そのルールを守れぬ人への制裁か何かなんだ。
ふと、一番初めの招待状を思い出す。
あれ、確かに招待状を見られたのに、何で僕は倒れなかったんだろう。
口で言うでもなく、あれを見せてしまった方が罪深い気がする。実際、大人の手に渡ったときには何の文字もなかったし、僕にはそれが「リトルホテルの招待状だ」と伝える意思がなかったのは確かだけれど。
学校中を重だるい空気が包み込んだ。授業やクラブ活動、委員会活動が終わるなり、いつもだったらすぐに帰らないような奴らすら蜘蛛の子を散らすように帰った。
とぼとぼと帰ると、タイチの家の玄関ドアがゆっくりと開くのが見えた。
タイチのお母さんが、重たそうなボストンバッグを肩にかけて出てくる。普段は綺麗にメイクしているのに、今日はしていないみたい。目の下が暗い。
「こんにちは!」
少し遠いから、声を張った。
タイチのお母さんが、こっちを見て、強引にニコって笑った。道路に出てくるまで待ってみる。近づいてからまた、「こんにちは」と声をかけたら、やっと小さな「こんにちは」が返ってきた。
「タイチのところ、いくんですか?」
「え、あぁ、うん。色々、着替えとか持って行かないといけなくて」
「あの、荷物持つので、僕も行ってもいいですか?」
「え、いや……寝てるだけよ? あの子」
「別に、いいです。学校の話を聞かせてやりたくて」
風が強く吹いた。耳元でゴーゴーと鳴る。遠くでザワザワと葉が擦れた。風は、タイチのお母さんが喋り出すことを察したように、弱まっていく。
「コウジくんのお母さんに、聞いてみてもいい?」
たまたま休憩のタイミングだったのか、お母さんはすぐに電話に出た。お母さん同士で話が進む。トントン拍子と言ってもいいくらい、スムーズに。
お母さんは、タイチのところに行っていいって言ってくれた。帰りはお母さんが迎えにきてくれるって。
何度も何度も荷物を持つと言ったけど、タイチのお母さんはそれを受け入れてはくれなかった。
学校のことを話してやろうと思っていたから、ランドセルはそのまま背負ってきた。ランドセルを置いてきたら荷物持ちをさせてもらえただろうか。そんなことを考えながら、タイチのお母さんにひっついて歩いた。
病院に着いて、面会の手続きを取っていたとき。奥からトットっと急足で看護師さんが近づいてきた。
「あ、稲実さん!」
「は、はい!」
看護師さんの声音に焦りのような何かが含まれていることに動揺したのかもしれない。タイチのお母さんの声がうわずった。
「急いで、こちらへ!」
「え……え?」
小学生がついて行っていい状況かどうか、わからなかった。でも、誰も止めないから、僕もついていく。
廊下で先生に「走るな!」って注意されたときに、「走ってませーん、歩いてまーす」って言うくらいの、ギリギリの速さで歩いた。どこが病室かなんて分からなかったけれど、タイチの姿にはすぐに気づけた。
ヨロヨロと歩くタイチに、看護師さんが寄り添って声をかけている。
「タ、タイチ!」
タイチのお母さんが肩にかけていたボストンバッグが、ズルズルと床に落ちた。
足枷の取れた軽い足で、タイチに駆け寄る。
僕はボストンバッグを拾い上げた。
すごく重い。ギリギリ持てるけど、重い。よいしょ、よいしょ、と運びながら、少しずつみんなに近づいていく。
看護師さんが声かけをしているって言うのに、タイチは何かを呪文みたいにブツブツ言うだけで、返事をしない。ユラユラと揺れる体を、タイチのお母さんが抱きしめた。
ギュッと、強く抱きしめた。
看護師さんが言うには、ふらふらと動き出して、自分でトイレに行ったらしい。
タイチのお母さんがタイチを支えながら病室へ連れていって、ベッドに寝かせた。まだブツブツ言っている。誰かと何かを話しているみたいに。
僕は、ランドセルから教科書とノートを取り出して、今日の授業の話をした。一方的に、聞かせ続けた。
教科書を閉じると、タイチの手を握って、ミオちゃんやリョウが倒れた話を呟いた。タイチの手が、ブルッと震えた。
しばらくすると、お母さんが病室に来た。
お見舞いに、と言いながら、花束を渡した。
お母さん同士で話をしてる。その脇で、僕はタイチの顔をじーっと見ていた。
幸せそうだった。楽しそうだった。
夢から覚めることを望んでいないと、意思表示しているようだった。
病院にタイチとタイチのお母さんを残して帰る途中、もう晩御飯をつくる時間も力も残ってないや、ってお母さんが笑った。
スーパーで何か買って帰ることにして、お店の中をぐるぐる見て回る。
「お菓子、何か買っていいよ。今日は、いつもはダメって言っちゃう高いやつでもいいよ。買ってあげる。好きなやつ選んで」
前に、お菓子コーナーにあるお土産菓子を食べたいと言って、お母さんにダメって怒られたのを思い出した。
お母さんは、あんなこと、覚えていてくれたんだ。
「こ、これにしようかな」
「……え?」
僕の指の先を見て、お母さんは困った顔をした。
五袋セットの粉ジュース。
昔々、買ったことがある。確かその時は「普通のジュースのほうがいい」とか文句を言って一袋しか飲まなかったんだ。それで、お父さんとお母さんが「これは砂糖を飲んでるみたいだ」とかブツブツ言いながら残りの四袋を飲んだんだ。
「あのぉ……」
「今度はちゃんと飲む。これが欲しい」
どうしてこれに執着するのか、聞かれなかった。でも、困惑の色がすぐ消えたあたり、たぶんお母さんの中に何かしらかの答えがあるんだと思う。
例えば、タイチと遊んだときにお小遣いで買った思い出の駄菓子――とか。
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