第17話 ふたりだけで




 話をしている最中はおとなしかったのに、建物を出るなりピィピィがうるさくなった。

 歌うように鳴きながら、僕をタイチのもとへと誘う。

 相沢さんの話は、すごく衝撃的だった。この話をちゃんと消化するには、けっこう時間がかかりそう。だけど、これだけはもう、分かってる。

 今晩中にやるべきことは、タイチに会って、薬――ジュースについて問うことだ。

 見慣れたロビーに、ケイとシュンの背中を見つけた。

 ふたりの向かいに、ひとり。誰か座ってる。

「お前、眠ったまんまって聞いたぞ?」

「どうしたんだよ」

 問いかけに、誰かは答えない。答えないくせに、クツクツと笑っている。

 誰だ? あの、笑う男は。

 三人の元に、近づく人影――ユズキだ。

「タイチに、話があるんだけど」

 割って入った、ユズキが言った。

 タイチ……タイチ、タイチ!

 駆けて、近づく。

 見たことない笑みを浮かべた、タイチがいる。

 起きてる、目が開いてる、声がする!

「一緒に宿題しようよ」

 ユズキの一言は、優しく、あたたかかった。

 おかしい奴として見ずに、普段通り接しているような、そんな自然で滑らかな言葉。

 でも、タイチは「もう宿題なんかしなくていいんだよ。ずっと遊んでいられるんだ!」と戦隊ヒーローの悪役が雄叫びを上げる時みたいに言った。

「タイチ! 聞きたいことがあるんだけど……時間くれない?」

 雄叫びに負けぬよう、叫んだ。

 タイチは時間なら腐るほどあるからやるよと言いながらも、お金を要求してきた。

 面談するには、一分千円するらしい。

 たぶん、教科書やノートを持ち込む時のように、握りしめでもすれば持って来られるのだとは思う。

 でも、千円って大金だ。僕の一ヶ月分のお小遣い。

 きちんと使い道を言って、交渉すれば少し余計にもらえるけど、リトルホテルでタイチに渡すなんて言えない。

 どうしたらいいんだろう。

 考えろ。

 考えろ!

 タイチが話をする気でいるうちに。

 早く、早く!


「なぁ、初めての面談は、タダにしてくれない?」

「はぁ?」

「次からはちゃんと払うから。今回だけ、お願い!」

 両手を合わせて、頭を下げた。

 おばさんの真似事が通用するかは分からない。でも、他に何も思い浮かばなかった。

「……仕方ないなぁ」

「ふ、ふたりだけで!」

「ははは! 俺のこと、好きになったか?」

 笑われた。でも、今は笑われたとかそんなこと、どうでもいい。

 タイチは鼻を人差し指でぐいぐいこすりながら立ち上がった。

 いつものタイチだったら、ぐいぐいしない。鼻くそをほじってこそタイチだ!


 まだ、どうしたらいいのかわからない。

 でも、僕が絶対、タイチをいつものタイチに戻してやる!


 僕は知らなかったけれど、リトルホテルにはカラオケルームがあるらしい。フロントで借りた鍵をくるくる回すタイチの後について、個室へ向かう。

 ケイやシュン、ユズキの想いも全部全部背負っているような気分だ。押しつぶされそう。だけど、僕が、頑張らなくっちゃ。

 ガチャンと鍵が開く音がして、ギィと軋む音がして。扉を開けて、手招くタイチの歪んだ笑顔をじっと見た。

 小さな部屋だ。僕の家のお風呂場くらいの広さ。そういえば前に、遊びにきたタイチが「お前の家の風呂、狭いな!」って言ってたこと、あったな。

 懐かしい過去が浮かんだ。胸の真ん中がキリキリ痛んだ。

 タイチにまた、遊びに来てもらいたい!

 僕は、気合を入れた。


「この前の、薬の話、なんだけど」

「ふはは! 五七五だ!」

「ふざけんなよ。薬! おばさんにもらってただろ? あれ、飲んだの?」

 タイチの視線が僕の顔をじとりと這い回る。

 気持ち悪い視線。だけど、負けない!

 じっとじっと、答えを待った。

「の・ん・だっ」

「どんな味?」

「なんだ、お前興味あったのか? あげねぇよ? 大事な大事な俺の分。買うと高いんだから」

「高いことは、知ってるよ。味が知りたい。味に興味がある」

「ちょっと、飲んでみるか?」

「……え? さっきと言ってること、逆だけど」

「ペロって舐めるくらいなら、いいぜ?」

 相沢さんの悲しい顔の幻が、浮かぶ。

「いや、大事なものだろ? 舐めさせてくれなくていいよ。味が、知りたい」

「そうだなぁ〜。かき氷」

「か、かき氷?」

「そ。すごくたっぷり、母ちゃんに叱られるくらいシロップかけたかき氷の味」

「冷たいの?」

「ん〜そうだなぁ……」

 薬が欲しいわけでも、ジュースが飲みたいわけでも、かき氷が食べたいわけでもない。タイチの言葉が欲しくて欲しくて、喉から手が出るほどに欲しくて、なかなかもらえないからって溢れてくる唾液をごくりと飲み込んだ。

 焦らされる。

 バクバクと弾けそうなほどに強く血が鳴っている。

 胸の真ん中が痛い。ギリギリ痛い。

 この一番痛いところが『心』の在り処なんだろうか。


 不意に、タイチの顔が歪んだ。

「お・し・え・な・いっ」

「はぁ?」

「これ以上聞きたいなら金取るわ」

「待ってよ! だいたい、取ったお金を、何に使うんだよ!」

「んあ? 薬買うために決まってんだろぉがよぉ!」

 胸ぐらを掴まれて、壁にドンって打ちつけられた。

 こんなの、こんなのタイチじゃない!

 悲しくて、悲しくて。ポロポロ涙が溢れてきた。


「男が泣くとか、情けな」

 吐き捨てて、鍵を投げて、タイチはどこかへ行ってしまった。

 ぐしぐしと涙を拭う。

 男だって、泣きたい時、あるもん!

 僕は泣いて、泣いた。枯れたら、洟をすすって、鍵を掴んだ。すっくと立ち上がる。

 ふぅ、ふぅと何度も何度も深呼吸した。

「絶対、タイチを取り戻す!」



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る