第4話 ふたたび




 授業が終わると、ウサギの世話を手伝って、タイチと一緒に帰った。

「じゃあ、夜な」

「うん」

 家に入ると、おやつを食べて、宿題をする。

 教科書やノート、プリントをランドセルに仕舞いこんで、じーっと時間割表を見つめた。

 この裏に、タイチから貰った招待状を隠してある。

 お母さんは、今日、早く帰ってくるって言ってた。

 でも、まだもう少し後だ。きっともう、お仕事は終わっているけれど、今頃スーパーで買い物をしてるはず。

 ゴクンと唾液を飲み込んで、時間割表の裏に手を突っ込んだ。

 封筒に触れる。

 そのまま、ぐいと引き出した。

 初めて見たときと同じ。濃い赤の厚い粘土みたいな、変なやつでとじてある。

 ドクドクと心臓の音が聞こえる。胸が痛い。このまま心臓がパーンって爆発しちゃうんじゃないかって思うくらい、ドキドキする。

 封筒の中に指を入れた。

 板が一枚入ってる。

 キラキラした、透明な板を光にかざしてみたら、文字が見えた。

 招待状だ。


 ――――――しょうたいじょう――――――

 リトルホテルはあなたを待っています。

 お父さんとお母さんには内緒です。

 大丈夫。

 怒られません。

 なぜかって?

 それはきてからのお楽しみ。

 ――――――――――――――――――――


 この前と同じ文章だった。

 確か、この後チェックインをしたはずだ。

 でも、どうやってチェックインしたんだっけ……?

 分からなくって、板を光にかざしたまま、角度を変えてみる。文字が見えたり、見えなくなったりするだけで、チェックインはできない。

 ただ、キラキラ輝く透明な板を見つめるだけの時間が過ぎていく。

 ガチャリ、と玄関の鍵が開く音がした。

 大変だ……!

 急いで板を封筒に入れて、ランドセルに突っ込んだ。

「ただいまー」

「お母さん、おかえり」

「あら、ランドセル抱えてどうしたの?」

「え? あぁ、今まで宿題してて。終わったから、部屋に持って行こうかな、なんて」

「そう。頑張ったね。お腹すいてる? 今すぐご飯作るから」

「うん」

 ランドセルを抱えて、部屋に行く。

 部屋のドアを閉めてから、またランドセルを開けた。

 もう一回、封筒の中を見てみよう。

 部屋に居るとき。ドアが閉まっているとき。お母さんは必ずノックをしてくれる。だから、急に開けられて、急に見られちゃうことはないはずだ。

 今日も、もし用があったら、いつものようにノックをしてくれる。そうお母さんを信じているはずなのに、すごくドキドキした。

 もし、今日は特別、ガチャっとドアを開けられてしまったら?

 ドアに背中を向けて、ゆっくりと封筒に指を入れた。

 板をつまみ、引き出した。

 文字が見える、角度を探す。

「あ!」


 ――――――――――チェックイン――――――――――

 リトルホテルのご利用、ありがとうございます。

 チェックインがすみました。

 お部屋へのご案内は、夜10時半となっております。

 お待ちしております。

 ――――――――――――――――――――――――――


 チェックイン、出来た!

 一回封筒に入れて、出すっていうのが、鍵みたいだ。

 何度も何度も、同じ文字を読んだ。

「あれ?」

 前は、夜10時だった気がする。今日は、10時半。30分ずれたのが少しだけ気になった。でも、たいして気にしなくていい気もする。

 きっと、チェックインする順番が決まっていて、タイチの招待状で入ろうとするとその時間だったんだ。

 10時半。それなら、10時にベッドに入ればいいかなぁ。

「ご飯できたよー!」

 お母さんの元気な声がした。

「はーい!」

 招待状を封筒にしまって、時間割表の裏に隠した。ちゃんと閉めたランドセルを、すうと撫でてみる。見えないけれど、一番近い場所を触る。確かにここに、ちゃんと文字が出る招待状がある。その事実が心をポッと温めた。

 うきうきした気分で、ダイニングに行くと、お母さんが出来立てのカレーをよそってくれた。

「ごめんねぇ、本当はもっと凝ったものを作りたかったんだけどさ」

 カレーだって充分凝ってると思う。少なくても、お母さんがすごく疲れたときの定番セット、買ってきたコロッケと切ってあるキャベツより、凝ってる。

「福神漬け、いる?」

「ううん」

「納豆は?」

「うーん」

「マヨネーズ」

「いやいや」

 カレーを口に運んでいると、付け合わせの候補がどんどんと出てきた。それを、あれもこれも全部断ってしまった。でも、お母さんはずっと笑顔だった。


 中学生になると、お母さんのことを「クソババア」って言ったりするらしい。いや、もう友だちにお母さんのことを「クソババア」って言っているやつがいるから、中学生になる前から通る道なのかもしれない。

 僕はまだ、お母さんに「クソババア」って言う気にはなれない。これは、まだ子どもだっていうことなのかなぁ。僕ももう少ししたら、「クソババア」って言って睨みつけたりするのかなぁ。

「そういえば、スーパーで買い物してたらね……って、コウジ、聞いてる?」

「ん? うん、聞いてる」

「そう? あ、それでね。スーパーで買い物してたら、ミオちゃんママにばったり会って。なんか最近、早寝早起きなんだって。それで、昨日から……だったかな? なんか、少し機嫌が悪いんだー、って。ここ最近ずっと、楽しそうにベッドに入って、ご機嫌で起きてきたのに。不思議ねって。何考えてるのかな〜ってテレパシーをビビビビーッてしたらなんとなく分かってたのに、もう、いくら母のテレパシーを使っても理解できないくらい大きくなったのねって」

「ふーん」

「そんなわけで、ご飯食べ終わったらギューってしていい?」

 カレーのおかげでサラサラになったお米の粒が、何粒か変なところに入りかけた。ゲホゲホってしたら口に戻ってきてくれたけれど、なんかちょっと嫌な気分。

「そんなに動揺しなくてもいいじゃない?」

「いや、ギューって……。そういう歳じゃないし」

「あ〜あっ! 失敗した! もっとギューってしておくんだった!」

 カレーを口に運んだからなのか、お母さんのほっぺたがぷくうと膨らんだ。

「卒業式の時は、していい?」

 まだ諦めてなかったみたい。

「人が居るところはやだ」

「じゃあ、お家で! やった! コウジのことギューできる! あぁ、楽しみな予定ができるとワクワクするね。明日からもお仕事がんばろ!」

 お母さんはスプーンに山盛りのカレーを頬張った。また、ほっぺたがぷくうと膨らんだ。まぶたが三日月の形になって、三日月の向こう側にはキラキラと黒が輝いていた。



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