第3話 こんどこそ
次に目を開けたとき、そこにあったのは僕の部屋の天井だった。
急いで布団を剥いだ。
大丈夫だ。お漏らししてない。
だけど、リトルホテルには行けなくて、夢を見た記憶もなかった。
ぐっすりぐっすり、寝ていたみたいだ。
「こらー! コウジ! 遅刻するよ!」
お母さんが叫んでる。急いでダイニングに行って、急いでごはんをたべて、急いで準備をして、急いで学校に行った。
タイチに聞いてみよう。
アイツは毎朝ウサギの世話をしているから、もう学校に着いてるはず。僕が教室に入る頃には、鼻くそをほじっているはずだ。
オシッコに行きたい人みたいに、落ち着きなく足踏みしながら信号が青になるのを待った。
青になったからって進もうとしたら、赤信号を駆け抜けてきた車に轢かれかけた。
ダメだ。落ち着かないと。
ふうと大きく息を吐いた。
あっちとこっちを確かめて、横断歩道をゆっくり急いだ。
学校につくと、上履きを床に放り投げて、スニーカーを下駄箱に放り入れた。
走っちゃいけないって言われている廊下を、ギリギリ「走ってません!」と胸を張れる速さで歩いた。
教室のドアをガラガラ開けたら、鼻くそを見つめるタイチを見つけた。
「タイチ!」
「おう、コウジ、おはよー」
鼻くそをピッとどこかに飛ばして、タイチが笑う。いつもだったら、「鼻くそほじったらティッシュにくるんで捨てろよ」と言ってやるのだけれど、今日は言わなかった。いつものセリフが飛び出てこないからなのかな、タイチは少し不思議そうな顔をした。
「なぁ、タイチ。昨日の招待状の話なんだけど」
「うん」
「今日はしていい?」
「まさか、お前」
タイチの眉毛の間がキュッと狭くなった。
「親に言ったとかじゃないよな?」
タイチに見透かされて、僕はドキリとした。
「言う気は、なかったんだけど。招待状を持ったままリビングに行っちゃって、それで」
「なぁ、大人に言ったら、招待状ってどうなるの?」
僕の顔に顔を近づけて、タイチが問う。
「ただの小っちゃい透明な下敷きみたいになった」
「マジか」
驚きが混じった呟きだった。
「もう一回行きたいなぁ」
これは、僕の口から漏れだした本心。僕はもう一度あそこに行って、遊びたかった。今度こそ、大人には内緒だ。今度こそ、約束をしっかり守る。
「行かせてやろうか?」
ニヤリ笑ってタイチが言った。
「そんなこと、出来るの?」
「うん。だってまだオレ、招待枠使ってないから」
「招待枠?」
「あぁ、まぁ、あれだ。今晩招待状を用意してきてやるから。明日の夜から、な」
キーンコーンカーンコーン、とチャイムが鳴った。「うん」と頷いて、自分の席へ急ぐ。
ガラガラと扉が開いて、先生が入ってきた。
なんてことない一日がまた、始まった。
休み時間に聞き耳を立ててみたら、そこかしこでリトルホテルの話をしていた。大人――といっても、学校の中にいる大人なんて先生くらいなんだけれど――にバレないようにか、みんな小声だった。
授業が終わって家に帰ると、ひとりぼっち、カルピスを飲んだ。
おやつにはおせんべいが置いてあったから、ボリボリ食べた。
タイチは今日の夜、招待状を用意すると言っていた。
用意するって、どういうことだろう。そもそも、招待枠って、なんだろう。
僕も誰かに招待されたってことなのかな。
僕をはじめに招待してくれたのは誰だろう。
ミオちゃん?
そんなわけないよね。もしそうだったら、飛び跳ねるほど嬉しいけど。
まだ捨てていないあの招待状は、今日も透明な板だった。
宿題を済ませて、帰ってきたお母さんとご飯を食べて、お風呂に入って、お父さんに会えてないけどベッドに入った。
板に文字は浮かんでいないけれど、それでも、もしかしたら10時にならチェックインできるかもしれないと思ったんだ。
だから、布団をかぶった。でも、リトルホテルに行けるかな? って考えていたらなかなか眠れなかった。だからミオちゃんを数えた。
ミオちゃんがひとり、ミオちゃんがふたり。
ミオちゃんがさんにん――。
どんどんと増えていくミオちゃん。
僕が眠りについた時、ミオちゃんが何人になっていたかは分からない。
でも、たぶん百人は超えていたと思う。
だって全然、寝付けなかったから。
僕は、招待状なしでリトルホテルに行けなかった。
当たり前だよね、って思うけど、ガッカリもした。
リトルホテルへ行く代わりに見た夢は、クラスのみんなが学校に来なくなるってやつだったから、すごく怖かった。
食欲は少しもなくって、お米の粒を一粒ずつお箸でつまんで口に入れた。
「調子悪いの?」
お母さんが心配そうに聞いてくる。
だけど、少し迷惑そうでもある。
お母さんは仕事をしているから、僕が休むとお母さんに迷惑がかかる。
僕はお母さんに迷惑をかけないように、元気でいようと思った。だから、「考え事してただけ」って言って笑って、ご飯をもりもり口に突っ込んだ。
学校に行くと、タイチが鼻くそをティッシュに包んで丸めていた。
珍しいこともあるもんだ。
「おう! コウジ」
白い鼻くそボールを僕に向かって投げてきた。
急だったからびっくりしたけど、なんとかそれをキャッチして捨てに行った。
「自分で捨てろよな」
「それが招待状を受け取る人の態度かなぁ?」
小学生にしてはだいぶいやらしい顔だ。
「招待状、用意してくれたの?」
「もちろ~ん。ひとりにつきひとりしか呼べないんだからな。今度こそ大人にバレるなよ? 大事な大事な招待枠、無駄にされたらタイチくん泣いちゃうからな?」
机の下に隠すように持った封筒を、ヒラヒラ揺らした。
こっそりと受け取れ、ということらしい。
「あ、ありがと」
「急いでランドセルに隠しとけ」
「うん」
ランドセルを開けて、封筒を入れようとした時、タイチの顔が歪んだ。
「お前、バカ。そんなところに入れたら、教科書とか出したときにポロってなったりするだろ? 時間割の裏のとこに入れとけよ。そこが一番バレにくい」
時間割のとこ――。一通目の招待状が入っていたポケットに、ぐいと突っ込んだ。
たぶん、僕を招待してくれた人も同じことを考えていたんだろう。
いや、もしかしたら、招待状を用意したときに、渡し方講座みたいなやつがあるのかもしれない。それで、その時に「ここがオススメ」みたいにいわれているのかも。
「ありがとう」
「じゃあ、今日から夜も遊ぼうぜ」
言いながらタイチは親指を立てた拳をグッと突き出し、白い歯を見せた。
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