第2話 リトルホテル

 



 僕はホテルにいた。

 同じくらいの歳かなぁ。子どもがいっぱい。ホテルの人もみーんな子ども。

 職業体験みたいなやつにちょっと似てる。

 だけど、変だ。

 大人がいない。

「やっほー」

 後ろから声がした。

 聞いたことがある声――ミオちゃんの声だ!

 僕はすごい勢いで振り返った。

 そこには思った通りミオちゃんがいた。

「ミオちゃん! ね、ねぇ、ここは?」

「リトルホテルだよ?」

 リトルホテル? そうだ、あの招待状! リトルホテルって書いてあった!

 でもどうして?

 どうやって僕はここにきたの?

 ユーカイ?

 僕は絶対ベッドにいたはずなのに。

「ほら、早く遊ぼ」

「遊ぼ?」

 ホテルで?

 訳がわからなくてポカンと口を開けていたら、ミオちゃんが僕の手首を掴んでグイッとひいた。

 ミオちゃんに連れられて、僕はホテルの廊下を走る。

 ホテルって、走っていいんだったっけ?

 ドキドキする。

 ワクワクでドキドキする。

「ほら、遊ぼ!」

 たどり着いた中庭は、公園みたいだった。

 色々な遊びができるみたいだ。ボール遊びとかスケートボードとか、いつもは大人が「これはダメ」「ここでやるな」「あぶない」とか、眉毛の間――なんていうんだっけ? みけん? をシワシワにしながら怒鳴りつけてくる遊びがし放題!

「すごい!」

「ね! 早く遊ぼ!」

 すっごくドキドキする。

 大好きなミオちゃんと遊んでいるからかな。

 でも、なんか違う気がする。

 楽しいのに、チクチクする。

 この感覚は、なんだろう。


「ジュース飲みに行こ!」

 やっぱりミオちゃんに引っ張られて、僕はドリンクバーに連れていかれた。

 カルピスのボタンを押したら、空色のコップがいつもの色のカルピスでいっぱいになった。

 飲んでみたら、お母さんが作ってくれる濃さだった。だからかなぁ、なんだかお母さんに会いたくなっちゃった。

 悲しい、苦しい――やっぱり心が、チクチクする。

 このチクチクはきっと、家族がいない、ひとりぼっちの寂しさのせいだ。

 僕はまだ、家が恋しい。家が一番安心できる。

 ホテルって、泊まるところでしょ?

 子どもだけで泊まるの?

 なんか怖いな。

 ミオちゃんは、怖くないのかな。


「お部屋の鍵、もらいに行こ!」

 ここに来てから、ミオちゃんに引っ張られてばっかりだ。

「お部屋の鍵ください!」

「どうぞ」

 フロント――ホテルの受付――で、ミオちゃんは慣れた様子で鍵を頼んだ。僕はただオロオロしていて、少しも役に立たない。

 ミオちゃんがもらった鍵をひとつ、僕にくれた。鍵には「343」って書いてあった。

 サンヨンサンってことは、34階? いや、3階にたくさん部屋があるのかな。

 考える暇なんてもらえなかった。やっぱりミオちゃんに引っ張られながら、ズンズン進む。

 ちょっと嫌になるくらい歩いて、歩いて、やっと「343」と書かれたドアを見つけた。

 階段もエスカレーターもエレベーターも使わなかったのに着いた。

 ちらりと向かいの部屋の扉に目をやると、「512」って数字が書いてある。変なの。

「ほら、コウジくんのお部屋、ここだよ!」

「ぼ、僕の部屋?」

 じゃあ、ミオちゃんは?

 いや、一緒は一緒でなんか嫌だ。

 流石にもう、気になるもん。

 男の子と女の子は別々がいい。僕はそう思うもん。だけど、ひとり……?

「またね!」

 ボーッと立ち尽くしてたら、ミオちゃんはトコトコ出て行って、扉を閉めちゃった。


 僕は急いで扉を開けた。

 怖くなったら、ひとりが怖くなったら、ミオちゃんのところに行きたい。だから部屋の番号を聞こうとしたんだ。

 それなのに――

「え、なんで?」

 向かいの部屋の数字は「729」に変わっていた。

 長い廊下に隠れる場所なんてないのに、ミオちゃんは消えていた。


 おかしなホテルに連れて来られちゃった。

 怖い、怖い。

 家に帰りたい。

 お母さん、お母さん!

 お父さんは帰ってきたかな。

 お父さん、お母さん!




 僕はミオちゃんが連れてきてくれた部屋に閉じこもった。

 どこかに行ったら、もうこの部屋に戻れなくなるんじゃないかと思ったんだ。

 ブルブル震えながら、勇気を振りしぽって、部屋の中を見て回る。

 そうしたら、机の引き出しにノートが入っていることに気づいた。

 そこには、いろんな子がいろんなことを書いていた。


 ――チェックアウトしたら、このことは内緒!


 ――大人に話したら、もうここには来られない。


 ――約束だよ! みんな、ちゃんと秘密を守ってね! また一緒に遊ぼうね!


 ほかにもいろいろ書いてある。交換ノート、とは違うな。前に、お父さんと一緒に食べに行ったラーメン屋さんのノートみたい。

 ラーメンを食べた感想を書くやつで、常連さんがおすすめの食べ方を書いてくれていたから、その通りに注文してみたら、すごく脂っこくて「こりゃまいった」ってお父さんが苦笑いしていたのを思い出す。

 書いてあることはきっと、本当に思ったこと。

 でも、それが正しいかっていうと、絶対正しいわけじゃない。

 みんなみんな、内緒にしてねって言っているんだから、そうすべきだろうけど……。


 気づいたら、ノートがポタポタ落ちた水滴で濡れていた。

 僕が流した、涙だった。

 なんだか疲れちゃった。

 家のベッドとは比べ物にならないほど、ふかふかのベッド。

 寝っ転がってみたら、心地よく体が沈んだ。雲みたい。気持ちいい。まぶたがどんどん重くなる。僕はそのまま、眠りに落ちた。




 目を覚ましたら、僕の部屋だった。

 ホテルじゃない。僕の家の部屋だ。


 封筒から板を引き抜いて、文字を見た。


 ―――――――― チェックアウト――――――――

 リトルホテルのご利用、ありがとうございました。

 またのお越しをお待ちしております。

 ――――――――――――――――――――――――


 どうしてだか分からないけれど、出られた。

 ほっとしたら、すごく喉が渇いた。

 お茶を飲みにキッチンへ行くと、帰ってきていたお父さんがビールを飲んでいて、お母さんがその隣でお父さんのおつまみをつまみ食いしていた。

「あら、どうしたの?」

「喉渇いた。お父さん、おかえり」

「ただいま。コウジ、その封筒、なんだ?」

 封筒と板を持ったままだった。お父さんに言われて気づいた。

「ああ、ホテルの招待状」

「え? ちょっと見せて?」

「ん、いや、ちがうんだ。ちょっと遊び道具、作ってて」

 はぐらかそうとしたけれど、はぐらかせなかった。

 違う。もう、はぐらかす必要がなかったんだ。

 ぐっと掴んでいるその板は、ただの透明な板になってしまっていたから。

「なにこれ。下敷き?」

 ひょいと取り上げられちゃった元招待状。光にかざしたら、向こう側が綺麗に透けて見えた。そこに文字はひとつもない。

「この板が招待状? 面白い遊びしてるね」

 お父さんもお母さんも、にっこり笑った。

 僕は笑えなかった。


 このことは内緒。


 決まりを守らなかったから、文字が消えてしまったんだろうか。

 例えば、明日になったらまた、文字が浮かび上がってきたりするんだろうか。


 僕はコップに麦茶を注いで、ぐびぐび飲んだ。

 ついさっき、カルピスを飲んだ気がする。

 こんなに飲んで、大丈夫かな。

 今晩、お漏らししないかな。

 ちょっとだけ不安になったけれど、コップの中のお茶を空っぽにして、ごちそうさまを言って部屋に戻った。


 布団をかぶって、目を閉じる。

 もしかしたらまた、リトルホテルに行けるかもしれない。



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