リトルホテルへようこそ

湖ノ上茶屋(コノウエサヤ)

第1話 こくはく?




 今日ね、ランドセルをパカッと開けて、時間割表を入れておくあそこ! あのポケットに入ってたんだ。高級そうな、厚くてサラサラしている封筒が。

 封筒にはなんにも書いてないから、誰からのお手紙か分からない。

 でも、この感じ――なんとなく、僕は告白の手紙なんじゃないかと思った。

 ついに告白されちゃうのかも! そう思うと、もうドキドキが止まらない。

 封筒をギュッと抱きしめて、家に向かって走り出す。あ、でも、いくら急いでいたって、交通ルールはしっかり守ったよ! もちろんね。


 家に帰っても、お父さんもお母さんもお仕事だからいない。

 手を洗ってうがいをしたら、いつもだったら用意してあるおやつを食べるんだけど、今日はまず、この封筒を開けなくちゃだ。

 封筒は、濃い赤の厚い粘土みたいな、変なやつで閉じてあった。

 変なやつをゆっくり剥がして中を見ると、薄い板が一枚。

 それは透明で、キラキラしてた。

 なんだろうって思って、なんとなく光にかざしてみたら、びっくりした。

 だって、板に文字が浮かび上がったんだもん。

 そこには、こう書いてあった。


 ――――――しょうたいじょう――――――

 リトルホテルはあなたを待っています。

 お父さんとお母さんには内緒です。

 大丈夫。

 怒られません。

 なぜかって?

 それはきてからのお楽しみ。

 ――――――――――――――――――――


「なんだこりゃ?」

 訳の分からない謎の招待状とにらめっこした。

 まるで「誘拐してあげるからついておいで」って言われた気分だ。

 なんか、気持ち悪い。

 もう一度、不思議な板をかざしてみる。

 なんだろう。これ、すごく凝ったいたずらなのかな?

 小学生が?

 うーん。担任の先生かな?


 正直、大好きなミオちゃんに「好き」って言ってもらえる気になってた。

 勝手に期待した僕が悪いんだろうけど、でも期待して損した! こうなったらやけカルピスだ。内緒ですっごく濃くつくっちゃお。

 カルピスのボトルをフリフリして、

『ちょっと! たくさん飲んだでしょ!』

 って、また怒られたら嫌だから、タオルを濡らして洗濯物置き場に置いておこう。

 それで、「こぼしちゃったから、拭いて作り直した」っていう作戦!

 かんぺき! 僕、天才!


 いつもよりうんと濃いカルピスを、ごくんと飲んだ。

 ちょっと悪いことをしてる。だけどすごく楽しくて、ワクワクもしてる。だからすごく、ドキドキしてる。

 カルピスと、おやつにって置いてあったじゃがりこと一緒に、ソファでグダグダした。

 ああ、宿題やらなきゃ。

 面倒くさいけど。

 じゃがりこを口に放り込んでガリガリ噛みながら、ランドセルをまた開けた。

 あ、そうだ。この封筒をしまっておこう。

 忘れないように、時間割表の前になるようにして。

 それで、明日学校に行ったら、先生に訊くんだ。

「先生、僕のランドセルにいたずらしましたか?」って。


 あ。だけど、もう一回。

 もう一回、読み直してみようかな?


 いたずらの封筒なんて、どうでもいい。手を洗いに行くのが面倒くさいから、じゃがりこを掴んだ指で、封筒に触れた。

 また透明な板を取り出して、光にかざす。

 そうしたら、僕はすっごくびっくりして、カルピスのコップをひっくり返しちゃった。

「なんで⁉」

 テーブルの上のカルピスが、滝みたいに床に流れ落ちていく。

 そこをボートみたいにじゃがりこが泳いだ。


 不思議な板には、さっきとは違う文字が並んでいた。


 ――――――――――チェックイン――――――――――

 リトルホテルのご利用、ありがとうございます。

 チェックインがすみました。

 ご案内は、夜10時となっております。

 お待ちしております。

 ――――――――――――――――――――――――――


「こわいこわい! おかあさん!」

 まだ帰ってきていないお母さんを呼んじゃった。

 なんで文字が変わったんだろう。

 こんな作るのが難しそうな板、担任の先生が作れるのかなぁ。

 あの先生が?

 ムリムリ、絶対無理!

 何かおかしなことに巻き込まれているんだ。

 どうしよう……。

 誰かにこのことを相談したい。でも、誰に?

 一番家が近いのは、向かいのアパートに住んでるタイチだ!

 

 タイチの家に行ってピンポンしたら、タイチが出てきた。

「コウジ、どしたの?」

「あのさ、これ、読んでみてよ!」

 僕は封筒をぐいっと突き出した。

 ちょっと汚しちゃったけど、これは小学生が普段使うようなやつじゃないってオーラを感じてもらえると思う。

「あぁ、これ、か」

「え、タイチ、何か知ってるの?」

「うん。このことは大人には内緒。んで、今日は早く寝るんだぞ」

「なんで?」

「んー。なんでも? ほら、もう帰った帰った!」なんて言いながら、タイチは僕の体をドンと押して、バタンと扉を閉めて、ガチャンと鍵までかけた。


 とぼとぼとひとり、家に戻る。

 リビングに入ると、こぼれたカルピスが出迎えてくれた。そうだ、拭かずに飛び出しちゃったんだった。

 カルピスを拭きながら、沈没したじゃがりこを摘まみ上げる。もったいないからって口に放り込んでみた。美味しいものと美味しいものがくっついたはずなのに、なんだか残念な味。

 結局、ギソーコーサクしなくてもできちゃった、濡れたタオルをギューっと絞る。流れ落ちるカルピスを見つめながら、お母さんに怒られませんように、って祈った。


 ワクワクしたり、ガッカリしたり。

 なんだか今日は、気持ちがすごくゆらゆらしてる。


 お母さんは、帰ってくるなり休む間もなく晩御飯を作り始めた。今日は、僕が大好きなハンバーグだ。

 いつもならペロッと食べちゃうんだけどな。なんだかフォークが進まない。

「元気ないね。なにかあった?」

「あのさ、お母さん。今日カルピスこぼしちゃった。ごめんなさい」

 ずっと、怒られないかなってドキドキしてた。僕はそのズキズキ痛いドキドキに耐えられなくて、自分から謝った。

「あぁ、それでいい香りがするタオルが置いてあったんだ」

「ごめんなさい」

「ちゃんと拭いてくれてありがとう。そのあと、どうした? もう一杯、作った?」

「う、うん」

 怒られなくてよかった、って安心したら、心臓のあたりがポッてあったかくなった気がした。


 お風呂に入って、歯磨きをして、9時になるなりベッドに潜り込んだ。

 まだお父さんは帰ってきてない。

 いつもだったら、お父さんが帰ってくるまで起きてるって言って、お母さんに怒られる。だけど今日はお父さんを待とうとしないからって、「やっぱり元気ない? 何かあった?」なんて心配されちゃった。でも、「今日はいい夢が見られそうな気がしてさ」って嘘ついた。

 また、嘘ついちゃった。また、ズキズキ痛い。


 なかなか眠れない。

 それはズキズキ痛いからだけじゃない。

 あの板のせいで、ドキドキしてるんだ。

 10時になったら、何が起こるの?

 僕はどこかに、連れていかれる?

 ユーカイされるの?

 怖い、怖い。

 布団をかぶってブルブル震えた。

 考え事で頭がいっぱいだ。

 グルグル考えて、考えて、考えていたらいつのまにか――



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