第38話

 午前の授業を終えて、昼休みになった。


 誰も来ることのない校内の外れで、悟と麗羽は落ち合っていた。


「ほい。暫くの間、預かっといてくれ」

「ええ。しっかりと身にまとわせてもらうわ」

「露骨に言わなくていいから」


 そんなやり取りをしながら、悟は折りたたまれた自分の体操服を彼女に渡した。


 すると凛とした顔で受け取った体操服を、ゆっくりとお上品に顔に押し当てた。


「そんなクールな雰囲気で迷いなく匂いを嗅ぎに行くのやめてもらっていい?」

「それは無理な相談ね」


 この状況を見て何とも言えない違和感があるが、彼女が幸せそうなので良しとするしか無い。


「ふふ。体を重ねている時と同じ匂いがするわ。流石にあの時ほど強くはないけれども」

「やめろやめろ! 具体的に言うなって!」


 流石に言葉として詳細に表現されると、きついものがある。


 そんな羞恥に晒されたこともあって、麗羽に体操服を渡してすぐに教室に逃げ帰ることにした。



 ※※※


「やっほー。あれ、高嶋君は?」

「ちょっと席外してる。残念だな、お前が来るときは尽く居ないというね」

「何でなんだろ……」

「まぁそのうち帰って来ると思うけど。アピールしに来たってところか?」

「まぁそれもあるけど……。ちょっと攻めたことしてみようと思ってね」

「攻めたこと? 何をしでかすつもりだよ」

「ほら、午後から身体測定あるじゃん。長袖の体操服を借りれないか頼んでみようかなって」

「うっわ、マジで恐れ無しだな。普通、付き合ってる関係性じゃないとやらないだろ」

「そう? 私の友達とか彼氏じゃない人から借りてる子もたまに居るけどね」

「だとしても、それなりに仲が良くないとやらんだろ……」

「うーん、それはその人の考え方によるんじゃない? でも、この反応でどう思われてるかはある程度判断出来るかなって」

「確かに嫌だと思ってるやつには貸さないだろうしな。貸してくれなかったら、詰みだけどな」

「そんな状況は考えないの! ってことで、高嶋君が長袖持ってるか知りたい!」

「うーん、何か持ってたような気はする。最近は暑いのもあって、使ってるところは見たことない」

「じゃあ、持ってる可能性大ってこと!?」

「おそらくだけどな」

「……よし!」


 瑠璃がガッツポーズをしているところに、先程の件もあって小さなため息をつきながら悟が教室に戻ってきた。


「お、噂をすればなんとやらってやつだな。戻ってきたぞ」

「おかえりなさーい!」

「雨宮さんも居るんですね。こんにちは」

「やっほー!」


 彼女に体操服を渡すこと一つで苦労したのに、また穏やかには済まなさそうな人物。


 表情は変えずに、どう動いてきても良いように悟は心のなかでそっと身構えた。


「何かこいつからお前にお願いがあるんだってよ」

「え、自分に?」

「あ、うん……! えっとね、ちょっとしたお願いがあって、嫌なら全然断ってくれても良いんだけど……」


 既にあざといムーブに入ってきている。

 この状態からのお願いという流れに、危険な香りしかしないのだが。


「何でしょう? 自分に出来ることであればお応えさせていただきますが」


 と言っても、ここであからさまに拒否することなど出来るわけもないので、人並みの返事だけはしておく。


「……た、体操服の長袖持ってない? あるなら貸してくれないかなって」


 この時点で思ったことは、一つしかない。

 それは、『自分の彼女は何て危機察知能力が高いのだろう』ということだ。


 悟自身も麗羽から「危機察知能力がある」と褒められたことがあったが、彼女の予知能力もなかなかのもの。


 悟としては、そんなことは起きるわけないと思っていたのだが、まさか一番避けたくても避けにくそうな相手からこのアプローチが飛んでくることになろうとは。


「あー……。すみません、長袖はここ最近暑いので持ってないんです」

「あれ、お前ってロッカーに入れてなかった?」

「ここから暑くしかなからないし、もう必要なさそうだから持って帰ったわ……」

「な、なるほど〜……」

「確かに女の子としては、この時期は暑くても長袖欲しかったりしますよね。もう少し置いておくべきでした。すみません……」

「う、ううん! 無かったのなら仕方ないよ! 高嶋君がそんなに落ち込まないで!」


 実際に手元から離れていて無いというアドバンテージが、悟を強気にさせている。


 その結果、何のためらいもなくすらすらとそれっぽい言い訳が口から出てくる。


 悪い自分が全面的に出ているような気がするが、結果的に麗羽が先程言った通り、「持っていないからごめんなさい」という流れになった。


「それならしゃーないな。俺のやつ貸してやろうか?」

「えー、何かヤダ」

「この差別は何なんだ……」


 結果的に、変な波風を立てることなくこの状況を乗り切ることに成功した。



 午後の授業時間。

 皆が体操服姿になって、それぞれの指定された集合場所に集まり始めた。


「うう、思ったより寒くね?」

「……同感。吹き抜けの廊下って、この時期でも風が常時流れてきて結構寒い」


 半袖で余裕だと思っていたが、風をもろに受ける場所で待たされると結構寒い。


 そんな想定外の寒さの中、校内の回って検査項目を一つずつ受けていく。


 そして全ての検査項目を受けて終わり、そのまま自分の教室へと戻ってきた。


 教室に入ると、中はざわつきとある場所に人だかりが出来ていた。


「ねぇ、麗羽! 彼氏ってこの高校内に居るってことだよね!?」

「ふふ。彼ジャージだし、まぁそういうことになるわね?」

「前、この高校じゃないって言ったじゃん〜!」

「意地悪なことを言うようだけれども、私は『居ると思う?』って聞いただけよ?」

「うぅ、あんな言い方だと校内じゃないって思っちゃうじゃんか〜!」


 人だかりが出来ているのは、麗羽が座っている席で彼女を取り囲むようにして人集りができている。


 そんな彼女は、悟の大きな長袖の体操服を身に纏い、萌え袖状態で周りからの問いかけに反応している。


(……俺って間抜けすぎるだろ。そりゃこーなるわ)


 この時点でようやく自分が体操服を貸すことで、こういう状況になることに気がついた。


 自分のあまりの間抜けさに、流石に内心呆れてしまって対して戸惑いもしなかった。


 そんなことよりも、明らかにブカブカでサイズに合っていないが、それがまた可愛らしさを引き出している。


(憎たらしいが、可愛いな)


 これまで自分の衣類を着せるということをしたことがなかったが、「彼ジャージ」や「彼シャツ」という単語が出来るのも分かるような気がした。


「麗羽の彼氏が校内にいることが確定。絶対にハイスペックだろうし、それである程度付き合ってるカップルとか除外したら、かなりその候補って絞れるくない!?」

「あんまり探し回らないであげてね? 怖がっちゃうから。そうなっちゃうと、慰めてあげなくちゃならないから」


 そう嬉しそうに笑みを浮かべながら、袖口を口元に当てる麗羽の姿はあまりにも様になっていた。


「な、慰めるってどういうこと?」

「ふふ、どういうことかしらね?」

「な、何か色っぽくない!?」

「これ以上は無しよ。後はまた、みんなで一生懸命探して。本当に見つられたら、その時ははぐらかさずにイエスと言うことにするから」


 その言葉は、間違いなく周りだけではなく悟に対しても向けられている。


 それぐらいのことは、間抜けな悟にも痛いほどよく分かるものであった。

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