第30話 過去編④

 麗羽の母親は、麗羽がまだ幼い頃に離婚をして一人で彼女を育ててきた。


 そのため、はっきりと言って裕福な生活が出来ていなかった。


 それでも、一生懸命に自分の事を育ててくれる母親のことを麗羽は尊敬していた。


 だからこそ、麗羽は母親の期待に応えようとして必死に勉強しているのもあった。


「お母さん、再婚しようと思うんだけど……」


 中学三年生になる直前のある日、母親からそんな話を切り出された。


「良いじゃない。ここまでずっと一人で私を育ててくれたのだし、反対する理由なんて無いけど」

「麗羽……」

「ただ、その新しく連れてくる人に、私はちゃんと関わることは出来ない……かな。それでも、こうしてお母さんが頑張ってくれた分、荒んだりすることは絶対にしないから」


 思春期どうのこうのというよりも、中学三年生になろうかというタイミングで、見ず知らずの人を親だという認識を持つことなど、出来るはずもない。


 だが、麗羽個人が父親として受け入れることは不可能であるでも、母親が幸せになるのであれば再婚することには反対する理由もなかった。


「ありがとう。その言葉だけで、十分よ……」

「これだけ頑張ってきたのだもの、そんな幸せがあっていいじゃないの」


 その時は、母親にとってようやくちゃんとした幸せが訪れるものだと思っていた。


 母親からのそんな話を受けてから約一ヶ月ほど経ってから、麗羽は母親の再婚相手と顔を合わせた。


「こんにちは、麗羽さん。これから一緒になる●●●●です。よろしくお願いします」


 もはや、麗羽にとってはあまりの恐怖と憎しみによってその男の名前は封印されたものになっている。


 当然だが、悟もその男の名前を現在も知らない。


「……どうも」


 見る限り、ただの子供に対する顔合わせだけだったのに、きちんとスーツを着ていたりしていて、きっちりしているように見えた。


 しかし、この時から麗羽は「何とも言えない不愉快感」を感じていた。


 それでも、「母親の幸せを壊すことをしたくない」ということと、「仮にもこの人の金でこれまでより自分の生活が豊かになる可能性」を考えると、あまり印象悪く見せるわけにもいかなかった。


 こういった理由から、その男が自分の家に来て生活を始めてからというものの、麗羽は塾などに夜まで籠もって出来るだけ家に居ないようにした。


 やはり、いくら名目上は家族になったとはいえ、ただの他人である感覚は払拭出来ない。


 そのため、塾にこもるようになったわけだが、その分はしっかりと更に成績を上げることで、母親へ約束した「荒んだりしない」ということを守り続けていた。


 そしてそのスタイルが定着しだした頃に、麗羽は悟と出会い、少しだけ外の世界に心の拠り所を見つけることが出来たわけなのだが。


 こうして形こそ歪であれど、新たな生活がこうして続いていき、大学生になるとともに一人立ちしていくと思っていた。



 その時までは――。


「ただいま」


 その日は、悟との会話が一段と盛り上がったこともあって、麗羽はいつもよりもご機嫌で帰ってきた。


「お、おかえりなさい……」

「おかえりなさい、麗羽さん」


 いつもと変わらず、二人が揃って麗羽の帰りを出迎えてきた。


 しかし、母親の様子が何かおかしい。


 長年、家族として一緒に過ごしている麗羽は、その異変に瞬時に気が付いた。


 そして、彼女がそのことに気が付いたことに、母親も気がついたのか、男にバレないように必死に首を振る。


「今、感じていることを絶対に口にするな」と。


 夕食を摂った後、男が風呂に行ったタイミングを見計らって、麗羽は母親にその異変についてすぐに確認を取った。


「何があったの! 普通の反応じゃない。何かあったのは言うまでもないんでしょう!?」

「ちょっと喧嘩して。……っ」


 そう言葉にしたとき、母親は左の二の腕を抑えて顔を歪ませた。


 麗羽が母親の袖を捲ってみると、そこには痛々しい大きなあざが出来ていた。


 明らかに、喧嘩で出来るようなあざではない。


 しかも、これまで長袖を着ていて気が付かなかったが、細かいあざが至る所に出来ている。


「こ、こんなの喧嘩で作っていいレベルじゃない! 警察呼ばないと!」


 そう言って、麗羽は自分のスマホで110番をしようとした。


「麗羽、それはダメ!」

「な、何でよ! こんなの絶対に許しちゃダメ! 明らかにDVじゃない!」

「確かに、あなたの言う通りあの人はDV男よ。でも、収入があって格段に生活が楽になったことは間違いないのよ」

「こんなことになるのなら、生活が苦しくっていいよ! 節約すれば良いし、勉強だって塾に行かなくたって独学でも何とかなる!」

「そうだとしても、問題はそれだけではないのよ。ここで警察に相談しても、どれほどもあの人を拘束なんて出来ない。逆に復讐心に目覚めて、あなたにも危害が及んだら……。それだけは耐えられない」

「でも……!」


 確かに母親の言い分も分かるが、こうして目の前で痛々しい光景があることにも、耐えられない。


「こうした環境になっても、あなたは本当に良い子で、結果を残し続けてくれてる。言った通り、『荒む』こと無くね。だから、あなたは出来るだけ今の生活を貫いて。あの人は、あなたにも危害を加えるつもりが無い。だから、不干渉を貫いてほしい」

「不干渉を貫く……」

「私のせいで、あなたにこんな思いをさせてごめんなさい……」


 麗羽は、母親を責める気にはならなかった。


 逆に、どうしてこれほど尽くしてくれる人に、これほどの試練を与えるのか。


 そして、何故ここまで出来た母親に対して、あの男はそんな事が出来るのか。


 悔しくて、憎くて仕方がなかった。


 でも、ここで自分が勇んで余計なことをすれば、母親を更に追い詰めてしまうことになる。


 そう考えた結果、どれだけ家に帰らずにいられるかを考えるようになった。


 しかし、中学生三年生の女子が一人でそんな時間まで居ることは、流石の麗羽でも心細くて仕方がなかった。


 更に、家でどんな事が起きているかと考えると、気がおかしくなりそうだった。


 そんな余裕のなさから、つい悟にこう問いかけてしまったのだった。


「この後、すぐに家に帰るのかしら?」


 家族以外の心を開いた相手に、初めて寄りかかった瞬間だった。


 そして――。


「ほらほら、行こうぜ」


 彼は、優しく受け止めてくれた。

 無謀な問いかけであり、その理由も明かしていないのに。


 それが、追い詰められていた麗羽にとって何よりもの助けになった。


 家に帰ると、また負の感情で苦しくなるが、彼と居たおかげで、何とか耐えることが出来ていた。


 ここで初めて、麗羽にとっての"騎士"が誕生した瞬間である。


 ちなみに、その"騎士"は自分嫌いという闇堕ち要因を抱えていた。


 そして、その闇堕ちの狂気によって麗羽を救うことになるとは、まだ誰も知る由もない。

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