第29話 過去編③
いくら夜遅くまでと言っても、中学生・高校生が外で居られる時間には限界がある。
それでも、二人は出来るだけ居られるように粘った結果、23時前までは一緒にいることにしていた。
最初こそは、学生がこんな遅くまで店にいることに対して、何か言われるのではないかと最初は不安にこそ思っていた。
しかし、他にもそういう人が居るのか、特に言われることもなかったのが大きかった。
「ねぇ、本当に大丈夫なの?」
「ん、何が?」
「こんな遅い時間まで居て、ご家族を不安にさせているとしか思えないから……」
「気にするな。もうちょっと外で追い込みかけてくるって言ってあるから」
本当のところ、問題がないわけがなかった。
中学三年生という大事な時期に、帰ってくるのが23時などという、とんでもない時間になっているわけで。
当然、塾は22時には終わることを知っているから、尚更『空白の一時間』として、何をしているのかと問い詰められることにはなっている。
そこで悟も、「同級生の女子と一緒に居る」などと、口が裂けても言えるはずもない。
そんな事を言ってしまえば、確実に今の状態に対する介入があることが、目に見えているからだ。
結局、だんまりを決め込んでいるので毎日のように夜中に言い合いになりながら、一日を終えることになってしまっていた。
それでも、麗羽に寄り添いたいという気持ちが、悟の中で何よりも最優先となっているため、止めようとはならなかった。
彼女も、定期的に「大丈夫なのか」と確認に取ってくるものの、今の状態を止めようとはしなかった。
お店には申し訳ないと感じつつも、それぞれ飲み物を一つずつ注文して、それを少しずつ飲みながら一時間を過ごしていた。
「あなたって、もう寒くなってきているというのに、まだ冷たい飲み物を飲むのね」
「え? まぁ、あったかい飲み物あんま好きじゃないし。飲んでもコーヒーとかスープぐらいだろ」
「じゃあ、それを飲めばいいと思うのだけど?」
「うーん。着込んでるせいなのか、冷たいものの方が欲しいんだよなぁ」
「別に構わないとは思うけど、体調崩しやすくなるから、注意しなさいよ」
「へぇ、心配してくれてんだ」
「な、何よ……」
「いや、別に?」
いつもなら、体調を崩したりでもすれば「間抜けさの塊ね」とか言いそうなものなのだが。
こうして単純に気遣われると、ちょっとした違和感を感じる。
それは悟に言われてから、彼女自身もらしくないと自分で思ったのか、ちょっと複雑な顔をしていた。
「まぁそうだな。体調を崩すと、こうして一緒に居残り出来なくなるしな。気をつけるとしよう」
「……そうよ。ちゃんと元気で居て」
「……」
どんなに仲良くなって話していても、こういう時は必ず「別に一人でも問題なくてよ?」とか言うのが、彼女だったりする。
現時点でこうなっている以上、複雑な理由があるのは察していたが、こういう時にこんな反応が返ってくるのも、やはり何かがあると悟は感じた。
聞くことはやはり憚られるため、そうなってくると麗羽の言うとおり、悟がずっと元気で側にいることが、一番良い形となる。
「あったかい飲み物か。ちなみに、この店ってどんなものがあるんだ?」
「そうね。ココアとかそれこそ、あなたがさっき言っていたコーヒーやスープもあるわ」
「なるほどなぁ。コーラじゃなくて、今後はそういうのも飲むとするかなぁ。ちなみに、そっちは何を飲んでるんだ?」
「私は、その時によってに飲むものは変わるけど、今日はカフェモカのホットを飲んでるわ」
「うわー、めっちゃ洒落てるもの飲んでやがる」
「別に、今じゃどこでも飲めるけど? というか、あなたカフェモカがどんな飲み物かちゃんと分かっているのかしら?」
「……え? そ、そりゃもちろん!」
「……絶対にわかってないわね。コーヒーにミルクとチョコレートシロップが入ったものよ」
「何だ、そのカカオ感マックスの飲み物」
「いや、チョコ部分しかカカオ成分無いじゃない。コーヒーとカカオは別の植物よ?」
「……モチロンシッテマスヨ」
「…まぁ雑学だし、勉強に関係はないけど……。あなたにもそういう所あるのね」
「興味がないことは本当にダメだね」
「勉強には興味あるってこと?」
「いや、無いけどやらざるを得ないし」
「イマイチ線引が分からないわね」
そう言いながら、麗羽はカフェモカの入ったカップに口を付ける。
その姿を悟がじっと見てると、麗羽が何を思ったのか、自分の持っていたカップを渡してきた。
「な、何よ?」
「試しに飲んでみたら? そのジュース脳から離れられるかもしれなくてよ?」
「……」
問題はそんなことではない。
カップに蓋がされており、一箇所の飲み口からしか飲めないようになっている。
つまり、このまま飲めば間接キスということになるのだが、麗羽は気が付いていないのか、全く気にしていないのか。
「これ、蓋どうやって外すの?」
「外さなくても、そこの飲み口から飲めるでしょう?」
どうやら、どうにか違うところに口を付けて飲むことを前提に渡してはいないようだ。
ここは気が付いていないことを考えて、一言言うべきなのか。
(いや、どうせ「そんなことを気にするの?」とか言われて終わるか……)
彼女が把握済みで、聞けば煽られそうだと心で思いながら、そのまま言われた通り飲んでみることにした。
本心は、間接キスのことで頭が一杯だったが。
「……あっまい」
「そうかしら? ココアよりは苦めな味だと思うのだけれども」
「コーラより甘い……」
舌に感じたのは、受け止めきれないくらいの甘さ。
それが悟にとっての、カフェモカという人生初の飲み物と、人生初の間接キスの経験だった。
「俺は、コーヒーにしよう……」
「まぁ、何でもいいわ。とにかく冷たいものを摂りすぎて体調不良だけはやめなさい」
「あい……」
彼女はそう言うと、悟が口を付けた飲み口に口を付けて、再びカフェモカを飲んだ。
※※※
塾で長い時間勉強している二人にとって、この一時間はあっという間である。
外に出ると、冷たい風とすっかり建物の灯りが消えて街灯だけが照らす夜道が広がっている。
「今日はここまでだな」
「……そうね」
別れ際、彼女の表情は暗くなる。
「明日はコーヒーにするか。いや、疲れてたらココアだな!」
「さっきカフェモカで甘すぎとか言っていたのは、誰かしら?」
「うっ……。良いんだよ! とにかく……!また明日な」
悟に出来ることは、「また明日」と明日も変わらず一緒に入られることを伝えるだけ。
「ええ。また明日ね」
そう言い合って、お互いの家の方向へと重い足取りで向かっていく。
悟は、家族との言い合いが確定していることに対する億劫さに。
そして麗羽は――。
「おかえりなさい。麗羽さん、今日も遅かったですね。お疲れ様です」
「……」
家のドアを開けた瞬間、これまで優しく温めて貰った心が、急に冷める感覚がした。
待ち受けていたのは、麗羽にとって人生史上最悪かつ誰よりも憎い相手となっている男。
この如何にも"優しい義父という面をしている"この男の隣を、麗羽はそのまま無言で素通りした。
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