第27話 過去編①

 そもそもの話、悟と麗羽がお互いの存在を把握し始めたのは、中学三年に入ってからだった。


 お互いに成績が良かったこともあり、よく担任教師や科目教師から名前を出されることが多かった。


「今回も、学年一位が高嶋君で二位が初音さんとなりました! 流石二人、と言ったところですね!」


 そして、その中でもいつも悟が一位で麗羽が二位という構図が続いていた。


 そんな二人の中学時代だが、悟は地味な陰キャという言葉がピッタリと当てはまった。


 周りからは「ガリ勉野郎」と言われることも多く、友人と呼べる人がどれほども居なかった。


 一方で麗羽は、現在同様にクールで高嶺の華というポジションは変わっていなかった。


 ただし、今でこそ話せる友人がかなりいるのだが、この頃は誰に対しても棘があり、まさに「孤高」という言葉が合うような雰囲気だった。


 似ているのか似ていないのか、よく分からないスタンスの二人だったために、お互いの存在を把握しても、特にやり取りすることも最初はなかった。


 そして、この二人が少しずつやり取りをするきっかけとなったことが夏に訪れた。



 それは、学習塾である。



 高校受験に向けて、様々な学習塾が夏期講習を行うが、二人の通う事となった学習塾が被った。


 当然、二人とも学力としては申し分が無いため、より上の選抜クラスという同じクラスで授業を受けていた。


「今日も、閉館ギリギリまで自習してから帰るか……」


 中学三年生といえば、世間一般的に反抗期真っ只中と言っても良い時期。


 悟も絶賛、その時期に反抗期が訪れていた。


 とにかくこの時期は、親と話すと絶対に何か言い合いになることしかなかったので、家に帰ることが苦痛に感じることも少なくなかった。


 そのため、夏期講習が夕方くらいに終わっても、閉館時間である夜遅くギリギリまで、自習してから帰ることにしていた。


 そうすれば、帰ってさっさと風呂に入って寝るだけで良いので、親と話す機会を極力避けられるからである。


 反抗期を抜けつつある今の時点で考えれば、とんだ生意気野郎と言ったところ。


 しかし、そうして思春期特有の嫌に感じることから逃げることに、勉強が一役買う形になっていた。


 そのため、あれだけの成績を残せていたとも言えるのだが。


 もちろん、受験生で残って自習をしている者は少なくはない。


 だが、どうしても学習塾の閉館は22時くらいまで開いており、そこまできっちりと残っている人はそれほど多くはない。


 やはり夕食や生活リズム、あまり長時間詰め込みすぎても良くないということで、夜のある程度の時間になると、一気に人がいなくなる。


 その中でも、悟と麗羽は閉館時間ギリギリまで毎日残って勉強していた。


「……初音さんも、ここが閉まるまでずっと勉強してから帰るんですね」


 ある日、悟は閉館間際のもう周りに誰も居ない時間に思い切って麗羽へそっと声をかけた。


 何故、いきなり声をかけようと思ったのか。

 今になってみると、明確な理由がよく分からない。


 おそらくだが、ずっとまともな友達も居ない。家に帰っても家族が憎たらしく思える。


 自分にとって、何一つ関わって落ち着ける存在というものが居なかった。


 その結果、藁にも縋るような思いで学校・学習塾のクラスが同じであり、同じように遅くまで自習をするという共通点がある彼女に近づきたくなったのかもしれない。


 孤独が辛いのは分かるが、流石に寄っていく相手を間違え過ぎだと、笑わざるを得ないのだが。


 しかし、これが全ての始まりだった。


「……あら。『同じだけ勉強しているくせに自分と差がついてるな』って言いたいのかしら?」


 今でこそ悟に対しては全肯定であり、口を開けば愛の言葉と優しい言葉、甘やかす言葉しか言わないが、悟に対してもこんな対応の時代があった。


「いや、そんなこと一言も思ってないけど……?」


 陰キャで周りからの情報を全くキャッチしてなかった悟は、「麗羽が誰にでも棘がある」ということすら、把握していなかった。


 更には、自分が声をかけることで嫌そうにする相手はいくらでも見てきたので、この程度のことは普通だと思ってしまう悲しい耐性も備えていた。


 そのため、この程度の麗羽からの言葉ですんなりと引き下がるようなこともなかった。


「初音さん、今は何してるんです?」

「数学だけど、何? 嬉しげに答えでも教えてあげるってでも言いたいの? それよりも耳障りだから、離れてもらえるかしら?」

「初音さん、字が綺麗ですね!」

「あなたの字が汚過ぎるだけでしょう? その汚い字で書かれた答えに点数が負けてるのが腹立たしいから、見せないでもらえる?」

「初音さんのペン、オシャレですね」

「……よく使うから買ったの。あなたみたいに鉛筆で至る所を真っ黒にして、汚らしくするようなことはしたくないの」

「初音さんって、休憩されてる時にイヤホンされてますけど、何聞かれてるんですか?」

「……普通に音楽だけど。何、基礎英語聞いてるとか必死になってた方が滑稽で面白かったかしら?」


 どんなに麗羽に冷たく言われようが、何故かその時の悟にとっては、定期的に話しかけることを止めようとは思わなかった。


 それはどんなにキツく言われようが、彼女が無視することはないところがあったからである。


 そんな悟のことが、麗羽にとっても計算外だった。


 いくら懲りずに話しかけてきても、色目を使ってくる男なら、容赦はしなかった。


 だが、あまりにも悟は純粋に話しかけてきていた。


 その純粋さに押されて、段々と彼女から辛辣な言葉は鳴りを潜めていき、少しずつ普通の会話をする機会が増えて行き始めた。


「初音さんって、たくさんの色を使って線とか引いてるんですね」

「……当たり前じゃない? 項目ごとに色々な要素や重要度が異なるのだから。逆にあなたは、色の使い分けとかしないわけ?」

「しないですね。使ってもシャーペンと赤と青のボールペンしか使ってないです」

「……それ、本当に言ってるの?」

「ええ。だって、どちらにしても把握するかしないか、優先度も細かく分けても整理する能力が自分にはないので」

「あなたのノート、見せてもらってもいいかしら?」

「もちろん、どうぞどうぞ!」

「……信じられない。こんなまとめ方で、何であれだけ点数が取れるわけ?」

「まとめるのが苦手なんで、とにかく問題を解きます。それで把握しなきゃいけないことは、拾い切るぐらいでやってます。それでカバー出来ないことだけを、赤青で何とかするってくらいですね……」

「……なるほど。あなたは自分にとっての最適解をすでに見つけて行ってるのね。勝てないわけだわ」

「初音さんにとって、今のスタイルは最適解ではないのですか?」

「……やると良いと言われた中で、一番何となくしっくり来たものをやってるだけ。あなたみたいにはっきりと自分にあったやり方を見つけて、徹底するなんてことは出来ないわ」


 麗羽は、ため息を付きながら首を横に振り、そんな事を言いながら悟にノートを返した。


「なら、それが見つかったら初音さんは敵無しになるってことなのでは? どれもはっきりと『これだ』というものがない中で、今もあれくらいの成績を残してるわけでしょう?」

「まぁ、そうかもしれないけれども……。というか、私の成績で『あれくらいの』って。その言い方だと自分自身の成績はどうなるのかしら?」

「……さぁ? 自分で自分の評価なんてしたくもない。そんなこと、意識の高い連中だけが、将来の理想像に向かってすればいいんじゃないか? あ、また嫌味だとか何だとか言う感じ?」

「……いえ。もうあなたにそんな気がないことは、うんざりするくらい分かってきてるし。その見た目通り、捻くれてるところもあるのね」

「……え?」


 この時に初めて、麗羽が悟の前で控えめに笑った。


 何となくそれまで悟は、麗羽の前で慣れていない人との話し方をしていた。


 しかし、ここで初めて「自分自身を評価する」という、陰キャが特に嫌うことが話に出てきて、思わずポロッと陰キャ染みた卑屈を、初めて麗羽の前で溢してしまったときでもあった。


「ごめんなさい、イジったつもりよ」


 普段の相手なら、とてつもなくイラッとしてしまうところだったと思う。


 それでも、これだけ棘があった相手が急に自分をいじるという新しい遊びを知って、無邪気そうに笑っている。


 その事実が、悟にとっては嬉しくなった。


「これまでキツかったのに、今度は弄りが始まるのか。ひでぇなぁ」

「無視しないだけ、感謝なさい?」


 こうして、二人は中学三年生の夏頃から唯一、お互いに少しだけ素を出して話せる相手になったのだった。

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