第20話

「そういえば、風呂のことを忘れてたんだが……」


 妹が退散した後、しばらくの間経ってから悟はその問題に気が付いた。

 本来は夕食を食べるために家へ戻った際に、諸々終わらせるつもりだった。


 妹が居る中で、マイペースな彼女の要望にに付き合うというイレギュラーなことをしたこともあって、すっかり頭から抜け落ちていた。


「別にうちのお風呂に入れば良いのではなくて?」

「うーん、それはそうなのかもしれないが……」

「何を今更、躊躇するようなことがあるのかしら? うちの風呂場自体は使ったこと、何度かもうあるでしょうに」


 麗羽はその淡々と、事実を述べてくる。

 悟としては、その事実を聞かされることでちょっと前の“至り”を掘り返されるようで、何とも言えない気持ちになるのだが。


 確かに、悟は既に何回か麗羽の風呂場にあるシャワーを使ったことがある。


 何故使ったかは、もはや説明するまでも無いのだろう。


「でも、今回は叔母様が居られるというか……。その、色々とな?」

「今更でしょう。別に私の母親も嫌がったりなんてしないわよ」

「そ、そうだとしても俺自身の気持ちとしてだな」

「はいはい。こういうところはいつもよりも無駄に細かいし、ビビリなんだから……」


 珍しく麗羽がうんざりしていそうな声でそう突っ込んできた。


「悟くん? お風呂入れてあるから、良かったらどうぞ」


 そんな話をしていると、ドア越しに麗羽の母親からお風呂に勧められた。


「ほらね。母親も元々悟を入れるつもりだったみたいだし、先に入ってきなさいよ」

「ええー……。叔母様より先はまずいだろ。より寄って俺は男だし」


 現役男子高校生、彼女の家にて彼女の母親よりも先に風呂に入っても良いのか問題。


 思わずスマホで検索をかけてみたくなったが、こんな特殊条件下におかれているやつが、広いネットの社会でも居るはずもなさそうだ。


 それにあったとしても、的はずれな事を書いていそう気もするし、調べている間に麗羽から「良いからさっさと行け」とも言われそう。


「仮にも私のために来てくれてるって私の母親も思ってるから、お風呂くらい先に入って欲しいって思ってるのよ。そこで遠慮されると……ね?」

「そ、そうか」


 そう言われてしまうと、断る理由も無くなる。

 確かに、厚意で勧めて貰っている以上、下手に断ると逆に気まずさや距離感が出来る理由にもなる。


「じゃあ、先に使わせてもらうかね」

「ええ。そうすると良いわ」


 麗羽はそれだけ言うと、布団を被って再び寝直し始めたので、一先ず厚意に甘えることにした。


 ※※※


「ふぅ、良いお風呂だったわ」

「随分と長風呂だったな」


 悟が入浴を済ませた後に麗羽が続いたのだが、一時間以上も入浴していた。


「高熱でたくさん汗かいてるし、愛しの彼氏の前では綺麗にしておくことは当たり前でしょう?」

「その心遣いに関しては、良いことだと思う」


 何とも返事しにくいことを言われるが、こういう時にはあたかも客観的意見を言っているフリをしておく。


「あら、何とも曖昧な感想ね?」

「ここで個人的な感想を述べるとして、どんなことを言えと?」

「何って、思ったことを言えば良いのに」

「でも、ここで『そんなこと、特に何も気にならんが』とか言うのはダメなんだろ?」

「ええ、それはもちろん」

「めんどくさ……」


 結局、「そういうところも可愛いな」とかテンプレを個人的感想として言わないとダメということらしい。


 思わず溢してしまった「面倒」という一言が、何よりも素直な感想かもしれない。


「それは一番言ってはダメね。メンヘラだったらその一言で終わりよ」

「まぁ、お前だから言っても大丈夫だという安心感があるからな」

「分からないわよ? 今はメンタルが弱っているし、今にも泣き出すかもしれないわ」


 そんな事を言っている時点で、そんなことになるなんてことはあり得なさそうだが。


「まぁそうなったときは、ちゃんとケアするだろ」

「何してくれるの?」

「え、そうだな……」


 具体的に詰められると、何をするのが良いのか全く分かっていない。


「何すれば良いんだろ、分かんね」

「私がメンヘラになるまでに考えておくことね」

「じゃあ、考えなくて良くね?」

「あなたが今後ぞんざいに扱えば、化け物になる自信はあるわ」

「しないから止めてくれ」

「言ったわね? でも、さっきの一言は化け物になるきっかけになりかねないから、注意なさい」

「分かりました……」


 女子の扱いについて、軽く説教を受けてしまった。


 麗羽がメンヘラモンスターになったら、本当に自分の周辺世界が終わりそうなので、この言葉はそれなりに受け止めておくことにした。


「さ、私の心を軽く傷つけたのだし、化け物になるきっかけを消すためにも、私の髪を丁寧に乾かしなさい?」


 そう言って、ドライヤーを悟に押し付けるとそのまま背を向けた。


「何かネットで見たことあるけど、女って彼氏とはいえ男に乾かされるとか嫌ってみたけど」

「その人によりけりだと思うわ。もちろん、男側が丁寧する前提だけども」

「なるほど。じゃあ、俺なりに丁寧にやらせてもらおうか。まずいところがあったら、すぐに言ってくれ」

「今の回答は100点ね。では、お願いするわ」


 ドライヤーの設定をよく確認して、髪の根本から乾かしていく。


「近すぎないか?」

「ええ、大丈夫よ。根本から乾かすの、よく知ってるわね」

「さっきも言ったが、ネットに書いてるの見たことあるからな。テンプレートの流れなら多少は分かってるつもり」

「へぇ。何でそんなことを調べたの?」

「え……」

「実は今後、こういうことになると思って予習でもしていたのかしら?」

「……」


 悟は言えなかった。

 こうなることを予想していたのではなく、ちょっといい感じのシチュだと思って想像してしまっていたことを。


 だがしかし、現実は「止めてほしい」という意見が多く、幻想止まりだと諦めていたわけで。


「なるほど。その間合いからして、想定していたというよりもしてみたかったのかしら?」

「な、何をおっしゃいますか!?」

「図星のようね。カマをかけたつもりだったけど」

「ぐっ……」

「ふふ、可愛いじゃない。あれだけ体を重ねてきても、こんな初歩的な絡み方に憧れるなんて」

「う、うるせぇ! ステップ踏み飛ばしたのそもそもお前だし」

「あら、それは今後の事後の時にまた聞いてあげるから、そこでワンちゃんにならずに言い返せたら、認めてあげるわ」

「……もう負けでいいよ」

「ふふ」


 いつも通りのやり取りをしながらも、乾き具合に気をつけながら丁寧にドライヤーを持つ手を動かしていく。


 ある程度乾いたら、低温にして仕上げていく。


「おし、どうよ?」

「良かったわ。何なら、自分でするよりも丁寧だったと思うわ」

「そうか、なら良かったわ」

「お望みのシチュエーションはどうだったかしら?」

「神経使いすぎて、楽しんでる余裕なし。こういうのはマンガとかドラマの世界だけでいいや」

「あら、そうなの? でも、手際が良いから今後もこうして一緒にいるときはしてもらうわ」

「へいへい」

「それじゃあ、寝ましょうか。抱き枕として拘束される準備をして頂戴」

「明日休む前提だから、いくらでもどうぞ」


 こうして、二人揃って床に着いた。







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