第19話

 妹に連絡を取ってから30分ほどで、ドアの向こう側からやや騒がしい音が聞こえてきた。


「いや、いつもお騒がせしてすみません。愚兄が本当にお世話になっていまして……!」

「いえいえ、こちらこそ!悟くんだけでなく、千紗ちゃんも本当にしっかりしててすごいわぁ」


 そんな言葉とともに、階段を登ってくる足跡が二人分。


「あ、あいつもここに来るつもりかよ……! お、おい! 麗羽起きろ!」

「ん、なぁに?」

「千紗のやつにちょっと頼み事をしたんだが、その流れでこの部屋まで来るっぽい。この状況を妹に見せるわけにいかないぞ!」


 いくら普通に寝ていると言っても、こんな状態を中学生の妹になど、とても見せられたものではない。


「……別にいいんじゃない? さっきうちの母親にも見られたんだし、それよりは遥かにマシでしょ」

「それはそうだけど……って、あの時起きてたんかい……」

「ええ。でも、こんな状態で母親とどんなやり取りすればいいか、私にも分からなかったしだんまりを決めさせてもらったわ」

「さっきの状況を考えれば、その対応をしたくなる気持ちは分かる。だけど、妹相手にも同じで良いとはならねぇだろ!」

「ふふ。千紗ちゃんだって、あなたの家族でしょ? 家族にちゃんと彼女のことを認知させるのも、私は抜かり無くしたいところね」

「そんなことしなくたって、あいつは既にお前の信者なんだが……?」


 色々とこの状況を変えようと話を振ったが、麗羽は動じることがない。

 すると、ドアをノックする音と今一番聞くのが辛い声が聞こえてきた。


「麗羽姉ちゃんー、今入っても大丈夫?」

「ええ、問題ないわ」

「はーい、失礼しま……っ!」


 ドアを開けながら入ってきた妹の視界に、今の状況が飛び込んでくる。

 思わず言葉が途切れた妹は、しばらくの間絶句した。


「あ、ありがたや……! 眼福です!」

「いや、口にする言葉がおかしいだろうよ……」

「もうこれだけで、いくらでも悶絶出来る……!」


 悟の突っ込みをも無視して、一貫して気持ちの悪い言葉を発し続ける妹。


「千紗ちゃん、こんなだらしない状態でごめんね。それに、わざわざ来てもらって……」

「ううん、大丈夫! それより麗羽姉ちゃんが元気になるのが大事だよ!」


 いつも兄とやり取り時とは全く違う、あまりにも聞き分けの良い妹がそこに居た。


「本当に良い子ね。こんな妹を持っている人はさぞや幸せでしょうね」

「あ、義理の妹になる準備はいつでも……!」

「言いたい放題言いおってからに……」


 意気投合して、好き勝手なことを二人で言い合ってしまっている。


「はい、言われた通りご飯持ってきたよ。配達料10万ね。麗羽姉ちゃん、ゼリーとか食べられる?」

「私の分まで持ってきてもらったの? 何から何まで悪いわね……」

「そんな、麗羽姉ちゃんのためなら何でもするもん!」

「扱いが違いすぎて、泣けてきた……」


 何故目の前にいる相手二人に、そこまで声色と言葉遣いを変えられるのか。

 ひたすらに悲しみが積み重なるが、取り敢えず麗羽とそろって軽く食事を摂ることにした。


 食べやすいようにと用意してくれていたおにぎりを頬張る悟に、麗羽は妹が用意したというゼリーとスプーンを押し付けてきた。


「え、何よ」

「ん、あ」


 特に具体的な言葉を言うことはなく、控えめに少しだけ口を開けている。

 要するに、食べさせろと言うことらしい。


「えっえっ!? ここでアーンしちゃう流れですか!?」

「外野うるせぇ! ってか、お前いつまで居るんだよ……」

「あ? 容器とか回収するの、誰がやると思ってんの? また戻って頃合見て来いとか言うわけ?」

「すみませんでした」


 妹のごもっともな正論を浴びて、大人しく引き下がるしかなくなった。


「ってか、何で今になってこの流れなんだ」

「そう言えば、こういう事をしてもらったことがないと思ったのよ。もちろんだけど、女の子相手にこういう事をしたことはないでしょう?」

「まぁそりゃあ無いな」

「あなたの初めては、基本的に私が全て貰うつもりだから。これもその一つよ」

「ぐうううぅぅ……!」

「そこ、化け物みたいな唸り声あげるな」


 麗羽が何かをいうたびに、ああして妹が悶絶するとなると、それはそれできついのだが。


「じゃ、そういうことだから」

「はいはい、じゃあ口開けて」

「ん」


 悟はスプーンを手にとって、ゼリーをひとすくいすると、目を閉じて口を小さく開ける麗羽の方へと運ぶ。


「……人の口に入れるの、結構怖いな」


 スプーンだからまだましなものの、これがフォークとかだったら、普通に断念してしまいそうだ。


 ゆっくりと慎重に口の中に入れると、彼女は口を閉じる。

 そしてゆっくりと引き抜くことで、ようやく緊張の時間から解放された。


「ふふ。『初めてのあーん』、ごちそうさま」

「強調しなくていいって」

「も、もう死んでもいいです……」


 妹が勝手に転がって白く灰になっているが、こちらの知ったことではない。


「こんな言い方嫌だが、人の口にスプーンとかフォークとか入れるの怖いな」

「緊張した?」

「そりゃするだろ」

「その言葉が、初めてである何よりの証拠ね。忘れられない記憶になったでしょう?」


 麗羽は嬉しそうにそう言うと、今度は彼女がゼリーとスプーンを手に持ってひとすくいすると、悟の方に向けた。


「はい、口開けて?」

「お、俺はいいよ……」

「される側の初めても、私が貰うわ。こちら側は確実にされたことがないでしょう?」

「いや、あると思うけど……」

「あ、叔母様とか家族はノーカウントよ」

「そ、そうっすか……。なら、経験ないな」

「そうでしょう? だから、ほら」


 口言い出すと聞かないのは分かっているので、大人しく口を開けた。

 すると、優しくスプーンを入れてきた。


「よ、よく食べやすい位置に運べるな。な、なんかやり慣れているというか……」

「あら、私が他の人にしてるみたいで不安になった? 女の子同士では、たまにあるものよ。もちろん男相手はあなたが初めてよ?」

「な、なるほど……」


 ちょっとモヤモヤしたのをすぐに見抜かれたのか、すぐに知りたいことを言ってくれた。

 モヤモヤは晴れたが、こうしてはっきり見抜かれると、ちょっと恥ずかしい気持ちになる。


 こうして、妹が跡形もなく消し飛びそうな二人の食事の時間が続いた。

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