24 夜光珠
駆け付けたマリアが乱れた息を整えるのも忘れ、立ち尽くした。
視線の先に、ラシュと、ラシュにぴたりと寄り添う金の髪の男がいた。
マリアは石の壁のように自分を抑えつけてくる空気の波動に負けないように踏みとどまりながら、その眼に、ふたりの背中から真っ赤な翼が広がるのを見た。
鉛色の雲が溢れるように空に広がっていった。
遠くに見えた白銀の月も覆い隠す。
何里も遠くで轟く雷鳴が心臓に重く響く。
真っ赤な翼は、ラシュの左肩に浮かぶ痣を思い起こさせた。
互いの剣が心臓を貫いていた。
剣を通してかよわせたのは、兄弟の血だった。
黒い目と、金の目が、静かに呼び合っているかに見えた。
音もなく二人は離れ、そしてラシュが、倒れる。
マリアの視界が滲んでいく。
見えなくなる。
だんだんと
暗くなる。
まばたきする毎に崩れていくラシュの身体。
(捕まえることができるのは、わたしだけなのに)
マリアはラシュに駆け寄ろうとした。
足枷を付けられているように重く、遠かった。
こんな僅かずつしか進めないなんて。
マリアは食いしばり、駆けた。
「ラシュ!」
地面に伏したラシュが振動で近づいてくる足音を知った。
よく知った足音だった。
唇がかすかに動く。
マリア。
その名を呼ぶ。
マリアは転ぶようにラシュの横に座った。
「……ユアン、来ちゃった」
この愛しい人は、自分をそう人族の名で呼んだ。
そしてラシュの黒髪を撫でて、少女のように微笑んだ。
◇
仁王立ちのファイサルが、ラシュに駆け寄る人族の女を見た。
どちらのものともわからぬ血で濡れた前髪が、顔に張り付いた。
右手に持つ剣、ラシュの胸から引き抜いた剣から、血が流れて、地に落ちた。
魔族の血が、大地を濡らす。
「何故」
ファイサルの声は低い。
「何故剣を止めたのだ」
ラシュは答えない。
答える力も残されていないようだった。
マリアがラシュの蒼白くなった顔を見て、それから、ファイサルを見上げた。
駆ける速度も剣を抜く速度も勝っていたのに、ラシュは、寸前剣を迷った。
何故。
「あなたには、わかるはず」
マリアの声が、天から降り注ぐ歌声のように森に強く響いた。
一音一音確かめるような声。
ファイサルは、人族の女の顔を見た。
人族として生きることを望んだラシュが、湧き上がる思いを留めることができなかった。
あの一瞬の迷いは、ひととしての迷い。
弟を殺すことができるのか。
迷いは、急所を貫くことの邪魔をした。
ファイサルは、この女がラシュを堕落させた張本人だと瞬時に理解した。
(……そうか)
この女か。
ファイサルを前に全く臆さず、射るようにこちらを見返している。
闇夜の世界で、ラシュの道標となる唯一つの光。
無垢な瞳。
それはまるで内側から熱を持って輝く宝玉で。
ファイサルは体の力が抜けるのを感じた。
がくんと関節が重力に負ける。
ファイサルは、ラシュが急所を外したとしても、ラシュに一撃を入れるために力を使い果たしていた。
◇
「……マリア」
掠れた声に、マリアは静かにラシュに視線を戻した。
フレッドは?
ラシュが視線で問う。
「家で眠ってるわ。きっと、かわいい寝顔をしてね」
マリアは普段と変わらぬ明るい口調で答えた。
その優しさと強さに、ラシュはただ眩しそうに目を細めた。
穏やかなラシュの笑顔に、マリアも微笑みを返す。
互いの視線を受け止める瞳に、ラシュはマリアとフレッドを思い、マリアはラシュとフレッドを思った。
これからも、ずっとずっと。
じぶんのすべては、いとしいひとのもの。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます