23 妻

小径を二頭立ての馬車が進んでゆく。

赤を基調にした立派な客車を引いている。

御者は、人ではない。

影が揺れているようだ。

急ぐでなく、だが遅くもない速度。

それが余計にえも言われぬ不安を掻き立てた。

無音の夜に木製の車輪が回る音だけが鳴る。

しかし空気は、無音のほかに強大な「何か」を伝えていた。

魔術師が、というよりは魔族の本能が感じ取るもの。

胸の奥がざらりとする感覚。


「……ふふふ」


アヴェリーはその「何か」を思い、満足げに口の端を引いた。

紫色のルージュが下弦の月を描く。

馬車の中、上質の皮張りのソファに深く腰掛けたまま、窓に掛かる緞子のカーテンを指でずらした。

雲に覆われる切れ間に月が見えた。


「付いてくるがいいわ。私と一緒に事の顛末を見届けましょう」


紫の唇が残酷な言葉を紡ぐ。

月は答えない。

だけど従うように付いてくる。

それが愉快で堪らなかった。

アヴェリーは喉の奥で哂いながら、馬車が向かう先へと期待に胸を躍らせる。


「ふふふ……ははは……」


馬車から漏れた声は、謀の臭いがした。







大気が震えるのを感じた。

魔王の居城の一角、鐘楼の屋根、一番高い場所。

リリィは、ロキを部屋から連れ出していた。


(わかってた、今夜のことは)


大きく輝く緑色の瞳を歪めて、リリィは幼馴染の王子たちの姿を思い出していた。


あの二人は鏡のようだ。

正反対で、まるでそっくりで。

呼吸ですべてを知るように、ラシュとファイサルの間には、隔てるものは何もなかったはずだった。

誰よりも近く、故にこの結末を迎えるしかなかった兄弟。


リリィには止めることはできなかった。

ファイサルを救うことはできなかった。

ケイトがファイサルに穿った穴を埋められなかった。


悔しくて、悲しい。


でも、今のラシュのことも、リリィは好きだった。

だから、動けなかった。


足元でロキが神経を研ぎ澄ませていた。

小さく三角座りで、一点を見据えていた。

柔らかな薄茶色の髪にそぐわないロキの金色の眼光は、ファイサルに瓜二つだった。


「リリィ」

「うん、ロキ」

「……どっちが死ぬの」


ロキから発せられた質問に、リリィはぞっとした。


どちらかが死ぬのか。


———どちらともが死ぬのか。


「わからない」


短く答えると、ロキは、そう、とだけ呟いた。


屋根の上の二人を飲み込んでしまいそうなほど、深く、暗い空。

その下、大地の端っこで戦う兄弟。

魔族の、王という存在を掛けて。


でも、その戦いは。


「……だれよりも、ひと、らしい」


そんな思いを抱いて。




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