22 知らないふり

(笑った?)


ラシュの表情、その一瞬の変化に胸がざわめき、ファイサルは間を取るために飛び退いた。

今のラシュの顔が何を意味するのか、わからなかった。

白濁した霧の中に紛れ込んだような危険信号が脳を走る。

ラシュが、見たこともないような人物に見えた。


「なあ、ファイサル」


ラシュが口を開いた。

いつもの、口調だった。

生まれてからずっと、ふたりで、父王の側らにいた時から変わらない、ふたりがふたりでひとつだった、そのままの口調だった。


「覚えているか。父が、死んだときのこと」


戦いに乱れた黒い前髪が、ラシュの目を隠していた。

ファイサルは返事に戸惑い、沈黙を保った。

ラシュは血塗れの右手で自身の左肩を抑えた。


左肩には、王の紋章。


「俺は父を食った。そして、王になったんだ」


独り言ちて、ラシュはゆっくりとかぶりを振った。


魔王の生き方しか知らなかった。魔族であることが全てだった」


右手は、ラシュの肩を離れ、夜の黒を照らす唯一の星の光に向かって伸ばされる。

子供が親に縋るような、指先の震えが見えた。


ファイサルは、ラシュの手を取れなかった。

その手を受け止めたいと、思ったのに。

その思いを心の底に沈めて、ファイサルは言った。


「お前は、魔族だ」


つい窘めるような言い方になったと、ファイサルは舌打ちした。

ラシュはファイサルの言葉に乾いた笑い声を上げた。


「あはは……知っている。魔族でも、いいんだ。

 なあ、ファイサル」


それはこの夜に溶けるような他愛ない言葉だった。


「お前は知らないふりをしているだけだろう」




何   ……を




ラシュは言わなかった。

ファイサルの脳裏に浮かんだのは、ロキの顔だった。

それから、ラシュがいつだったか、ファイサルが愛していたと断言した女の顔。

女はロキの姿に重なって、消えた。


(……ロキ、が、どうして)


人族の半分の子供。

その存在を、ファイサルは嘲っていた。

視線を合わせず、育てることをしなかった。

その子供が、今ここにいるような存在感を持ってファイサルに圧し掛かる。


振り払うように、ファイサルはラシュに双眸を向けた。


「魔族であることが、全てだ」

「そうだ、俺は魔族だ」

「ラシュ!」


ゆらり、と黒髪の隙間から覗いたラシュの目に浮かんでいるのは、憐憫の情だった。

ファイサルは、ラシュが何故そんな目をするのか、わかりたくもなかった。


「ファイサル。俺はいつしかお前と道を違えてしまった。

 だけど」


ラシュは、言った。


「これが、俺だ」


それをお前に証明してみせる、とラシュはまっすぐにファイサルを見た。

眼光が夜風を巻き起こし竜巻となり、ファイサルを足元から揺るがす。

不安定な自分自身を辛うじて支えるものは、いまや萎みかけた殺意だけだった。


湧き上がる何か別の感情を抑えつけ、ロキの幻影を殺し、ファイサルは口を開く。


「認めん。ラシュ、お前は俺の」

「ファイサル。俺を見ろ」

「だめだ、ラシュ、お前は魔族だ。魔族の王だろう」


その叫びを、違う、と気が付いたファイサルに、ラシュは少し微笑んで、問うた。


「お前は何故、ここにいる」

「!」


ファイサルの答えは、弱々しく夜風に巻き取られ、黒い木々を揺らして消えた。


「……魔族の王に、なる為だ」


そうか、とラシュは言った。

それは呟きだった。

その向かいでファイサルは、目を閉じて、息を整えた。

ラシュは左手で大剣の柄を握り直した。


途端に激しい嵐が大剣に纏った。

一度地面を見て、再び顔を上げたラシュの目には、ファイサルが鮮明に映っていた。

ファイサルが呼応するように長剣に炎を猛け上がらせる。

熱が拡がる。


夜を切り裂くように二人は間合いを詰め、剣を走らせた。

ラシュがまばたきの差だけ速い。

誰にも譲れない思いをぶつけるように———


剣先が、ファイサルに向かった。




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