14 爆ぜる

アヴェリーが去ったことに、気づいた様子もなく、ファイサルは灯りを残して立ち上がり、城を取り囲む黒い森を望むバルコニーまで歩を進めた。

巨大な白亜の柱と柱の間に立った。

そして森と、夜空に視線を這わせる。


兄は、


ラシュは、


こうしてよく遠くを見遣った。

それに倣うように、見る。


遠く


…………遠く。


「……ふ、ふはは……ははは! 愚かな!」


しばし静止したファイサルが急に笑い出すまでそう時間は無かった。

思い当たることは唯ひとつ。

哄笑をぴたりと止め、歯を剥く。

ぎり、と嫌な音がした。

銀色の豪奢な髪が逆立つ。


人族などに!


瞬間、月に向かって跳んだ。

マントが大きく風に拡がる。

夜空全てを纏うごときファイサルの姿に、迷いはない。


月が見える。

低く、大きい。


(俺にはわかる。

 貴様が、どこにいようとも)


魂が呼ぶなどという、くだらないものではない。

ファイサルにはわかるのだ。

己と兄はそのように出来ている。


(ラシュ……ラシュよ)


王としての、魔族としてのプライドを無くした男の名だ。


(俺が替わる。

 俺が相応しいのだ)


魔族の王に、なる。


兄が王に相応しいのだと信じて疑わなかった。

前王はいつもラシュとファイサルを競わせていたから、第一王子派と第二王子派に勢力は分断されていた。

ファイサルに付き従う者はみな、ラシュの覇気のなさをあげつらい、ラシュが王になっては魔族は人族に押し負けると言って憚らなかった。

剣技にしろ座学にしろ、良き競争相手ではあったかもしれない。

しかし雌雄を決する寸前でいつもラシュは手を緩めてしまう。

だからこその互角なのであって、ファイサルはラシュに勝てたことなど一度もなかった。

ラシュのことを尊敬していた。

ラシュは無関心なように見えて、ファイサルには常に労いや励ましの言葉を掛けて、次はどうするという助言も忘れない。

それを嫌だと感じたことはなく、これこそが王の器なのだと信じていた。

周りがラシュのことを甘いとか、やる気が感じられないとかで不満ばかりファイサルの耳に届けるが、ファイサルは苦笑するくらいで、ラシュの力を疑うことをしなかった。

父がラシュを王に選んだことは、とても嬉しかった。

ラシュはファイサルを片腕としていつも隣に置いた。

ふたりでこの国を治めるという言葉には嘘はなかった。


今、前王の頃より、民の暮らしは安定したものになった。

前王を殺した謀反人への制裁が残虐だったことは、現王の権威を高めて、また密かに魔王が竜の一族への報復を忘れていないという噂が、国全体を引き締めた。

ラシュが人族との争いで過去に破壊された街の復興を進めていたから、国民は労働に駆り出されて大忙しで、見合った賃金も、充足感も得られるようになっていて、人族との争いは国境の町の小競り合いくらいで、ほかはなりを潜めた。


ひとことでいうと、平和だ。


その治世に不満はないと、思っていた。


だが、今ファイサルの中にあるのは、獰猛な炎だった。

表情を消した金の眼に、火が爆ぜる。

冴え冴えとした月明かりを遮り、ファイサルが飛ぶ。

森を越え、草原を越える。

さらに速度を上げて、風を切る。


ラシュ、お前の元へ。


「今、行く」




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