11 あるべきもの

気だるげに椅子に身を預けたアヴェリーは、細い眉を不機嫌に歪めた。


「なによ。あんなの」


口に出して言ってみる。

彼女の不機嫌の理由は、ラシュの胸元で弱々しく光るリングだった。




場内の広い中庭に面した廊下で、謁見の間へ向かうラシュとすれ違った。


「やあ」


膝を折り頭を垂れる目上の者に対する型通りの礼をしたアヴェリーに、ラシュは気さくに声を掛けた。

来賓を迎えるため、普段より精巧な造りの装束を身に纏った姿に、その言動はひどく不釣り合いに思えた。


(でも、この男はいつもそう)


アヴェリーは心の中で小さく舌打ちした。

魔王なら魔王らしく振舞えばいいものを、と常々思う。

魔王という地位や権力一切に執着しないその態度が、アヴェリーには気に入らなかった。

ラシュが自分に心を砕く様を見せる度、侮られているように感じる。


ラシュは、アヴェリーが自分を快く思っていないことは知っている。

さりとて、弟の妻であるアヴェリーをどこか直向きな危うさを持つこの美しき義妹を、無碍に扱うことはラシュにはできなかった。

自分から目を背け、身を硬くするアヴェリーに、どう接するのが良いか迷いながら、それでも今日も声を掛けた。

それが思いやりというものであるということを、この若き魔王はまだ知らない。

ラシュは歩みを止めずにアヴェリーの前を通り過ぎた。

わだかまった思いを互いに口にせぬまま、窓からそよぐ風が、二人の間を隔てた。


アヴェリーは込み上げる苛立ちを押し殺して顔を伏せたまま、早くこの瞬間が終わればいい、とラシュを呪っていた。

その黙した視界の端を、不意にチカリと光が差す。


(……?)


あまりに悪意のない光に、アヴェリーが思わず顔を上げた。

アヴェリーの動く気配を感じ、ラシュも反射的に顔を向ける。

そこにあったのは、少し驚いたような互いの顔。

それから、少しの沈黙。


わだかまりが存在感を増した。


隠し切れない動揺に揺れたアヴェリーの髪に差した簪がシャラシャラと音を立てる。

一方、思わず足を止めてしまったラシュも、歩き出すきっかけを失っていた。


風だけは、どこまでも爽やかにそよぐ。


(魔王ラシュ……それは……)




「思い出すのも不愉快だわ」


自室に戻ってからも頭を離れない。

アヴェリーは苛々と足を組み替えた。

深いスリットから白い腿が覗く。

動きに合わせて衣から香りが立つ。

お気に入りのラベンダーの香りも、今は全く気持ちを落ち着けてはくれない。

アヴェリーの感情に呼応して、深紅の壁に包まれた部屋の空気が不穏に霞む。


ラシュの胸元には、首から下げたチェーンに通されただけのリングがあった。

驚きに固定された視線の先がそのリングであることを、ラシュはすぐに気づいて、隠すように、守るようにそっと握って首元から服の下に入れた。


その小さくはにかんだ表情にアヴェリーは、何かに殴られたような衝撃を受けた。


飾りのない銀色は、なんだかとてもかわいらしかった。

魔王の装飾としてはあまりに適合しないそれは、しかし、ラシュの表情には、とても違和感がなく映った。


「魔王なら魔王らしく振舞えばいいものを」


アヴェリーはひとり、何度となく同じ台詞を吐き捨てた。

その度に目の裏に浮かぶラシュの姿を斬り捨てた。


はにかんだ顔を少しは隠そうとしたのか、どうか。

何も言わずに歩き出した幸せそうな背中に、全然似ていないのに何故かファイサルの姿が重なった。

長い回廊を歩き、差し込む陽光を受けたラシュの髪は、いつにも増して黒く美しいような気さえした。

アヴェリーはこの上ない喪失感を覚えた。


(……負けるわけには、いかない)


そんな自分の感情を認めるわけにはいかない。

アームレストに片肘をついたまま歯ぎしりした。

形の良い唇が歪む。


(魔王たるものが、あんなみすぼらしいモノを身に付けるなんて!

 あれが、我が夫ファイサルの兄だなんて!)


ラシュが憎い。


紫の瞳の奥には、怒りが渾沌と渦巻き始めていた。

澱んだ空気は湿度を上げて、アヴェリーの身体は重い。

濁った闇に思いを巡らせて、アヴェリーが目を細める。


そう、ラシュは相応しくないのだ。


粘着質な微笑みを浮かべ、結論を呟いた。


「そうあるべく出来ないなら、そうあるべきではないのよ」




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