第3章 鬩ぎ合う感情

10 螺旋

東雲の空に黒点が浮かぶ。

石の壁、開いた窓枠から差し込む朝日と冷たい風に、玉座のファイサルは赤くなった金目を細めた。

兄が帰ってきた。

ファイサルは城に隣接されている西塔の最上階のテラスへと向かった。

ラシュが必ず下りる場所。


「……おはよう」


俯き加減で降り立ったラシュは、顔を上げたそこにファイサルが居て、驚いた様子で挨拶を告げた。

一瞬の間、そして何でもないような顔でいつものとおりの挨拶の言葉。

ファイサルは、何も言わなかった。


(何故、俺がここにいるのか、考えたに違いない)


黙って兄を見た。

ラシュはファイサルの肩を軽く叩き、ファイサルを伴うように促した。

塔の階段を下りていく。

無言で後ろを付いてくるファイサルを少しだけ振り返り、ラシュは言った。


「今日は確か魔獣族から貴賓が来るんだったな。

リリィはいるんだろう?

お前も、たまには同席するといい」


ファイサルは短くああ、と答えた。

塔の螺旋階段に篭り、響く声。

自分の声が予想外に低いことに気付き、ファイサルは少しだけ唇を噛んだ。


陽光は少しずつ高くなり、塔の小窓から中に斜め上から光が差し込んでくる。

きらり、と、ラシュの首元の何かが、光を反射した。


(———!)


ファイサルの足音が止まった。

何段か下りたラシュが、仰ぐようにファイサルを振り返る。

その距離が何倍にも遠く感じられる。

すうと血の気が引いていく。

周囲が重く、暗く、また白く、空っぽに感じられる。


それは何だ。

装飾の嫌いなラシュが、何故首にチェーンなど掛けている。


「……ファイサル?」


ラシュの呼びかけにファイサルが我に返り、歩き出した。

ラシュも何も言わず、また歩き出した。

塔の階段を下りる二つの硬い足音。


城に連結する扉の取っ手を握り、ラシュが止まった。

振りむこうか迷っている風に見えた。

ファイサルは兄の言葉を待った。

伸びた襟足が銀色の鎖を隠していた。

ラシュが呟いた。


「……すまない」


何に対しての謝罪なのか。

咄嗟に口を開くことができなかった。

角を折れた兄の真っ直ぐな背。


込み上げる激情をぶつけるには、朝の城の中という状況はファイサルの立場が許さなかった。

歩き去る兄の姿を、ただ、見送った。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る