8 幼馴染

リリィは目を細めるようにして、天井の闇を睨んだ。

何もない寝室。

身に纏うものすべてを外して、沈むように寝台に転がった。


(気に入らない女)


夫の趣味をどうこう言う気はない。

嫉妬なんてあるはずもない。

が、兎に角あの女は気に入らない。

体の中にある魔獣族の血が、本能的にそう云っているように思えた。

特にアヴェリーの眼を見る度、警戒に気が逆立つ。


あの紫の眼。

澱みの中の狡猾な光。


アヴェリーとファイサルのことには干渉しない、とリリィは決めていた。

すれば、どこかに本音が出る。

そうしたらファイサルに嫌われてしまうから。


それはいやだ。


だからファイサルに心で問う。


(知っているの? あの女の眼を。

 解っているの? あれは、きっと凶を呼ぶわ)


以前ならそんなことを問う必要などなかった。

彼が気付かない筈などないのだ。

しかし、今は違う。

ファイサルの顔から、以前の炎の切っ先のような鋭さが薄れ、苛々と乱れた凶悪だけの表情が増えつつある。

アヴェリーの狙う隙間が、増えつつある。


原因は分かっている。

魔王ラシュの不在と―――変化。

ラシュがはるか遠くを見遣る度、ファイサルが乱れてゆく。


(ラシュ、あなたは知っているの?)


幼い頃から側で支えてきた黒い王子。

素っ気なく、父王の為すことすべてに無関心で無気力な男。

それでも、リリィやそのほかの部下、それに、ファイサルにはとても優しかった。

気は利かないけれど。


魔王となり、重責が肩に圧し掛かり、ラシュらしくない決断を強いられるようになり、苦しんでいるラシュを助けたいと思った。

ファイサルも、きっとそう。


(ああ、でもファイサルは)


魔王だから、ではない。

兄だから。


兄が自分の憧れのまま強くある姿を、誰よりも望んでいる。

誰よりも、ラシュのことを必要としているのに。


妻である自分よりも。

少し、ラシュが羨ましい。


ラシュは、王位を継いだこと、魔王であるというそのことにを受け入れていなかった。

父に与えられた権力に迷い苦しんでいた。

担ぎ上げられたラシュを助けるのは、幼馴染としてリリィの使命だと思った。

リリィはラシュに仕えていて、王がラシュであって良かったと思っている。


ラシュが魔王となったことが公になり、周囲がそれまで差を付けなかったファイサルへの態度とを画すようになったが、ラシュ自身はファイサルへの態度を全く変えることはなかった。

それどころか、ファイサルと二人で魔族を守るのだと明言し、ファイサルへの敬意を求めた。

その意図はなかったかもしれないが、ファイサル派の家臣たちは、新王への態度を軟化させた。

魔族は、前王の時代より、まとまったように見えた。

ラシュが彼のやり方で王の地位を築いてからは、父王の人形のようであった時より、リリィが知っているラシュらしい。

ファイサルやリリィを信じて、頼ることをする。

自分にははっきりとした自信がなさそうで、何とか懸命に。

たぶん、本音を隠して、王らしく。


前王が存命中は、なんでもラシュとファイサルを競い合わせた。

切磋琢磨し、お互いを育て合うのだと。

そして二人がともに強く逞しく成長し、圧倒的な力を以って今後の魔族を率いていくことを望んでいたのだ。

二人はどちらも父王の期待に応える力を備えた。

何の差か、死に際、父王はラシュを選んだ。

ファイサルではなかった。

ファイサル派閥の重鎮たちは挙って落胆した顔を見せた。


でも、リリィは知っている。

ファイサルが、一番それを望んでいた。

ラシュが王に相応しいと、誰よりも大きな声で叫んでいた。


リリィに自慢気に言ったあの時の、ファイサルの輝いた瞳が、忘れられない。


「……ふ」


首の向きを変えた。

自身の髪に埋まるように天井が見えなくなる。


「ファイサル……」


玉座に独りの夫を思う。


対の玉座。

その席は、二人の男のもの。

世界をも平伏させられる強大な力を持ちながら、ままならない現実に焦れる二人の男。

一人は兄。

一人は弟。


「……そして貴方達は、何を掴むの?」


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