7 跡目
「フフ」
長い回廊、起毛の絨毯の上に立ち、紫の口許が笑う。
毎夜毎夜ラシュを待つファイサルの苛立ちを知っていて、アヴェリーはひとことふたこと必ず声を掛けていた。
それが猶更ファイサルの心中を搔き乱すことを知っていて。
ラシュが即位した当時から、頻繁にその席を空けていることに気が付いたのは、偶然だった。
当時息子を妊娠していたアヴェリーは、夜中、寝付けずに月の下を徘徊していた。
気分が悪かった。
冷や汗が頬を伝い落ち、意識が朦朧とする中、アヴェリーはどこへともなく歩き続けていた。
話し声にはっと顔を上げると、そこは城の外だった。
腹をさすりながら身を屈め、茂みに姿を隠す。
茂みから覗くと、そこに居たのは。
(魔王……様、そして……)
ラシュの横には小さな人影があった。
まだ歩き始めたばかりのファイサルの子供だった。
ファイサルが人族に産ませた子供、名前は、ロキ。
何故ふたりが。
そう思いながらその場にうずくまった。
アヴェリーの存在に気付かれた様子はない。
ラシュがロキに話しかけていた。
連れてはいけないけど
もしかして、お前が育っていたかもしれない世界
まだうまく話すことの出来ないロキに、ラシュが語り掛けるのは、まるで独り言だった。
ロキは唇を結び、拗ねた時のファイサルによく似た表情でラシュを見上げていた。
途端にアヴェリーは、ラシュが、人族の世界へ出掛けているのだと、理解した。
お前は、ファイサルの大切な子
ここにはリリィもいる
アウディルもいるだろう
部屋に戻りなさい
それを聞いたアヴェリーの脳裏に過ぎったのは、今から生まれる我が子への愛情と……不安だった。
アウディルが居る。
ロキが居る。
我が子が将来成長し、強くたくましい戦士になったとして、あの二人が居ては、王位を継ぐことができないのだ。
なんと、悲しい我が子。
王家に生まれるにも拘らず、その王座を手にすることができないなどと。
冷たい空気がした。
恐る恐る顔を向けると、ロキがこちらを見ていた。
動揺が気配に現れてしまったらしい。
(気付かれた……!)
恐ろしい才覚を持った子供。
ロキは、人族の血を引いているのに、魔族以上に冷たい視線を持っていた。
魔王にも気づかれたか、とアヴェリーは肝を冷やした。
しかしラシュはロキの見る方向にちらりと目を遣っただけで、何も言わず飛び去った。
ロキもまた、黙ってラシュを見送り、ふ、と姿を消した。
誰もいなくなった王門の前で、アヴェリーは蒼い顔のまま立ち上がった。
張る腹をさすり、溜息を付く。
……ラシュには、妻も、子もいない。
ロキ、アウディル。
あの子たちが死ねば。
ファイサルが私だけのものなら。
我が子がゆくゆくは魔王になれるのに。
ファイサルとの婚姻を決めた時に感じたことを、改めて思い出す。
自分の美しさならば、ファイサルを手中に納め意のままに繰ることも可能だと考えていた。
それは変わることなく、今なおアヴェリーを動かしている。
「ま、そう焦らずともいいわね」
「何がよ、アヴェリー」
「……っリリィ」
いつから、そこに、とは問えなかった。
獅子の女の落ち着いた表情と獰猛な瞳は苦手だった。
この女には、近づきたくない。
「おやすみなさい」
そそくさと小走りに闇に消える。
……あの女もいずれは。
そう、考えながら。
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