4 光の花
己の左肩の紋章を見た時、少女の左肩を治癒した記憶が思い起こされ、少女のことがどうしようもなく気がかりになった。
居ても立ってもいられず、この町を訪れていた。
復興した街並みを見渡して。
そして、見つけてしまった。
暗い夜道を小走りに駆けていく、パタパタと軽い音。
自分の黒の鎧姿を人族に見られるのを面倒に感じた、というよりは恐れ、ラシュは樹木の裏に身を隠した。
明るくもない外套の下、葉の間から見た横顔。
あの少女だ。
あの時より一層真っ直ぐな瞳に美しい光を宿して、両腕に落ちそうなくらいの花を抱えた少女。
花の名など知らぬ。
しかし花弁をいっぱいに広げた白と黄色の花が少女を彩り、装飾よりも華やかに彼女を飾っているように思えた。
少女は家の中に消えた。
ラシュは、姿が消えた戸口を見つめていた。
しかし、それでどうしようというのだろう。
魔族たる自分が、白昼堂々と人族の村に入り込める筈も無い。
そして、毎夜。
ひっそりと夜に紛れて佇む。
(馬鹿な事をしている)
それでも猶、ここに立つ。
振り返れば灰色の石畳。
町の中心の丘に向かった坂道。
体を引き摺るように一歩、一歩上り来ることにしていた。
駆け上がるのは造作もない道だが、ラシュは町の入り口から歩く。
人族のするように。
この町の発展を、捨てた郷を懐かしむように見渡す。
この町のこの場所、この窓が見える木の下に立ち竦む。
少女の瞳を思い出す。
大きな想いを凝縮した、強い瞳。
あの瞳が、見たい。
(会いたい)
日毎はっきりとするその思いを、どうにか押し込むように俯き、拳を握る。
自分が魔族であることを、思い知らされる。
会ってはいけない。
自分でする忠告の声に、左肩を掴んで天を仰いだ。
――――――!
ラシュの動きが、止まった。
見てしまったのだ、少女の瞳を。
カーテンの隙間で驚いたように震わせた肩。
布を握りしめ、目をまたたいた。
ラシュは、何かを言おうとして薄く唇を開いてみたが、言葉は紡がれることはなかった。
しばらく、世界が止まってしまったかのような時が流れ、やがて、カーテンが閉じた。
少女は姿を隠した。
魔族を、この黒い姿を見てしまった人族の通常だ。
ラシュが頭を垂れた。
「……ふ」
つい、漏れた失笑。
一瞬、期待した。
少女が自分に声を掛けることを。
(馬鹿だ)
どうすることもできない。
黒い瞳を石畳に向ける。
黒い髪が、さらさらと夜風に遊ばれる。
ラシュは左肩を、マントの上からゆっくりと紋章を引きちぎるような動きで手を滑らせた。
後悔に、悲しみにも似た表情をする。
この感情を、何という?
「悲しいの……ですか」
か細い声。
「それとも痛い?」
いつの間にか玄関戸が開かれ、家の中から漏れた手元を照らす程度の照明の中、少女の気配がした。
初めて聞く、声。
何にも囚われない透明な声。
顔を上げるのが恐かった。
きっと、前にいるのは、あの、つよい、ひとみ。
「左肩……」
自分が傷付けた少女の左肩を思い当て、はっとして、ラシュは反射的に目を開いた。
眩しい瞳が、自分を見上げている。
成長した少女の美しさ、輝きは自分が想像できるものではなかった。
「痛いの、ですか?」
ラシュの顔を覗き込む少女に怯えた様子はない。
心配そうにそろそろと近付いてくる。
瞳が。
(あの時の瞳だ)
目を逸らすことを知らない少女。
真っ直ぐな、真っ直ぐなひかり。
「手当を……」
会ってはいけないと、そう言い聞かせた先刻の自分を忘却し、怪我などしていない、手当など不要なのに、ラシュは少女に誘われた。
もう少し、この少女の声を聞いていたいと。
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