3 記憶
燈りのない、真っ暗な町。
その町を、ゆったりとした曲線を描いて貫く道。
ラシュには、ここしばらくで見慣れた景色になっていた。
(馬鹿な事をしている)
心の中で、毎夜この人族の町へ通う自分を嘲る。
左肩が、重い。
ラシュの父であった前魔王が、腹心の部下に裏切られ倒れたのは、半年前のこと。
駆け付けたラシュとファイサルの眼前。
残り少ない力を使い、血に染まった手で、父は己が手の甲の皮膚を剝ぐ。
父の手の甲には血色の紋章があった。
命を意味する宝珠を守るように位置する有翼の蛇。
それは、魔王の証。
ラシュは、王になりたいと思ったことはなかった。
王になり得る権力よりも、今の身分で味わえる自由な静寂の方が、彼には価値がある。
しかし、眼前に死を迎えた父が差し出す意思を、拒むことはできなかった。
ファイサルが無言で見つめる中、父の手から紋章を受け取る。
血色の紋章。
それは、王から王へ受け継がれてゆく。
何処か、遠くを睨むようにしながら、
ゆっくり、ゆっくり、
ラシュは、紋章と父の皮膚を、
喰った。
裏切り者を始末し、ラシュは即位した。
即位の直後から、ラシュはこの町に来るようになった。
一度体内に取り込まれた紋章が左肩に現れたのを見た時、不意に蘇ってきた、記憶。
◇
何年前になるだろうか。
この町には一度来たことがあった。
存命だった父王に従い、ある人間を抹殺するためだ。
何故その男を殺さねばならないのか。
理由は知らなかったが、そんなことは構わなかった。
ラシュは一個隊を率いて、城を出た。
突然の魔族の襲来。
そして、簡単に予想できる殺戮の宴に、人族は逃げ出し、町には人っ子一人残っておらず、静まり返っていた。
目的の男も逃げ出したのではなかろうかとさえ思われた。
だが、男は、一人町に留まり、燃える瞳で魔族を出迎える。
人族にしてはなかなか歯ごたえのある男であった。
だがもちろん、ラシュの敵ではない。
部下が幾らか刈られた後、ラシュは久し振りに愛剣に血を吸わせた。
空気の刃を纏う魔力を込めた剣で、一刀の元に切り捨てる。
男は、飛び散る血飛沫の中、一度大きく目を見開き、そのまま倒れた。
目的を達した魔族たちは、各々引き上げていく。
ラシュもその場を立ち去ろうとした。
躯となった男に踵を返すその視界の隅で、何かが動く。
反射的に目を留める。
そこには、自分を見つめ返す、瞳。
気付くとラシュは、癒しの魔法を施していた。
その少女は、左肩に大きな傷を受けていたのだ。
鮮血が溢れ出す鋭い切り口は、ラシュの剣が放った空気の刃が与えた傷であることに疑いはない。
しかし、だからといって、何故助けねばならぬのか。
何故、助けているのか。
自分で自分に問うてみても、答えは見つからない。
「名は、何と云う」
気を紛らわすため、少女に話しかけてみた。
「……」
が、少女は応えない。
瞬きもせずに見つめるのみ。
少女の視線を受け止めきれずに、ラシュは目を逸らした。
それ以上、口を開けなかった。
しばらくの沈黙。
施術により、傷口には薄っすらと皮膚が張り、出血が止まった。
安堵して、ラシュがゆっくり立ち上がった。
少女の視線が動きを追う。
首を伸ばして、背の高いラシュを見上げる。
一瞬たりとて目を離さない少女。
一言も発することはなかったが、何よりも強く語りかけられた気がした。
けれど、ラシュには、何を言っているのかわからない。
言葉が勝手に零れた。
「すまなかった」
男の謝罪を聞きながら、少女は糸が切れたように倒れ込んだ。
意識を失ったらしい。
何故が、ラシュの心がざわついた。
動揺を隠すように、ラシュは少女に背を向け、足早にその場を立ち去った。
帰還の途中、少女の瞳が意識を離れることはなく、そして不意に、ある考えが頭を過ぎった。
手に掛けた男の目と、少女の瞳とが、意識の中で重なる。
―――ああ、あの男はこと切れる瞬間、大きく見開いた目に、何を見たのだろう
少女の瞳が、心深く、焼き付いていた。
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