3 記憶

燈りのない、真っ暗な町。

その町を、ゆったりとした曲線を描いて貫く道。

ラシュには、ここしばらくで見慣れた景色になっていた。


(馬鹿な事をしている)


心の中で、毎夜この人族の町へ通う自分を嘲る。


左肩が、重い。


ラシュの父であった前魔王が、腹心の部下に裏切られ倒れたのは、半年前のこと。

駆け付けたラシュとファイサルの眼前。

残り少ない力を使い、血に染まった手で、父は己が手の甲の皮膚を剝ぐ。

父の手の甲には血色の紋章があった。

命を意味する宝珠を守るように位置する有翼の蛇。


それは、魔王の証。


ラシュは、王になりたいと思ったことはなかった。

王になり得る権力よりも、今の身分で味わえる自由な静寂の方が、彼には価値がある。

しかし、眼前に死を迎えた父が差し出す意思を、拒むことはできなかった。

ファイサルが無言で見つめる中、父の手から紋章を受け取る。

血色の紋章。

それは、王から王へ受け継がれてゆく。


何処か、遠くを睨むようにしながら、

ゆっくり、ゆっくり、

ラシュは、紋章と父の皮膚を、


喰った。


裏切り者を始末し、ラシュは即位した。

即位の直後から、ラシュはこの町に来るようになった。

一度体内に取り込まれた紋章が左肩に現れたのを見た時、不意に蘇ってきた、記憶。





何年前になるだろうか。

この町には一度来たことがあった。

存命だった父王に従い、ある人間を抹殺するためだ。

何故その男を殺さねばならないのか。

理由は知らなかったが、そんなことは構わなかった。

ラシュは一個隊を率いて、城を出た。

突然の魔族の襲来。

そして、簡単に予想できる殺戮の宴に、人族は逃げ出し、町には人っ子一人残っておらず、静まり返っていた。

目的の男も逃げ出したのではなかろうかとさえ思われた。

だが、男は、一人町に留まり、燃える瞳で魔族を出迎える。

人族にしてはなかなか歯ごたえのある男であった。

だがもちろん、ラシュの敵ではない。


部下が幾らか刈られた後、ラシュは久し振りに愛剣に血を吸わせた。

空気の刃を纏う魔力を込めた剣で、一刀の元に切り捨てる。

男は、飛び散る血飛沫の中、一度大きく目を見開き、そのまま倒れた。

目的を達した魔族たちは、各々引き上げていく。

ラシュもその場を立ち去ろうとした。

躯となった男に踵を返すその視界の隅で、何かが動く。

反射的に目を留める。


そこには、自分を見つめ返す、瞳。


気付くとラシュは、癒しの魔法を施していた。

その少女は、左肩に大きな傷を受けていたのだ。

鮮血が溢れ出す鋭い切り口は、ラシュの剣が放った空気の刃が与えた傷であることに疑いはない。

しかし、だからといって、何故助けねばならぬのか。

何故、助けているのか。

自分で自分に問うてみても、答えは見つからない。


「名は、何と云う」


気を紛らわすため、少女に話しかけてみた。


「……」


が、少女は応えない。

瞬きもせずに見つめるのみ。

少女の視線を受け止めきれずに、ラシュは目を逸らした。

それ以上、口を開けなかった。

しばらくの沈黙。

施術により、傷口には薄っすらと皮膚が張り、出血が止まった。

安堵して、ラシュがゆっくり立ち上がった。

少女の視線が動きを追う。

首を伸ばして、背の高いラシュを見上げる。

一瞬たりとて目を離さない少女。

一言も発することはなかったが、何よりも強く語りかけられた気がした。

けれど、ラシュには、何を言っているのかわからない。

言葉が勝手に零れた。


「すまなかった」


男の謝罪を聞きながら、少女は糸が切れたように倒れ込んだ。

意識を失ったらしい。

何故が、ラシュの心がざわついた。

動揺を隠すように、ラシュは少女に背を向け、足早にその場を立ち去った。

帰還の途中、少女の瞳が意識を離れることはなく、そして不意に、ある考えが頭を過ぎった。

手に掛けた男の目と、少女の瞳とが、意識の中で重なる。


―――ああ、あの男はこと切れる瞬間、大きく見開いた目に、何を見たのだろう


少女の瞳が、心深く、焼き付いていた。



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