第1章 胎動が如く

1 火種

「良い天気だ」


清々しく輝く太陽を見上げ、ラシュは目を細めた。

山の頂に居座る傲岸な城。

その中でも上部に位置する彼の自室から続く広いテラスに、二つの影。

世の魔族を統べる王、ラシュ・G・ブラックストーンと、その異母弟、ファイサル・I・ブラックストーン。


ラシュの髪と瞳は闇よりもさらに深い黒。

黒は不安。

しかし同時に安らぎも体現する。

多種多様な風貌を持つ同胞が多い魔族においても、そのように不可思議な色を持つのは、ラシュただひとり。

漆黒の髪と瞳は、思慮深げな彼の顔によく似合った。

自分とは全く違う、銀色の髪を風に泳がせたファイサルが、横で空を睨んだ。


「俺には眩しすぎる」


そっけない言葉に、ラシュは困ったように小さく笑む。


「お前の黄金眼は光を反射し過ぎるから」

「ああ。お前の黒眼のように、光を受け止めることなどできん。

 そうしたいとも思わんがな」


兄は何も答えず、弟から顔を逸らした。


ラシュの装備は濃いグレイと青でまとめられているのに対し、ファイサルの装備は黒と赤を基調にしている。

二人の装備の形状が似ているのは、今は亡き彼等の父王が、ラシュとファイサルを並び立てダーキシュ・リブラと称し、己の腕として扱っていた頃の名残である。


「時にファイサル、ロキは元気か」

「突然何を言い出す」


兄王の話題の転換に、ファイサルは露骨に嫌悪を顔に表した。

それに関せず、続ける。


「幾つになった?」

「……知らん。多分6年か7年になるのだろうがな。

 にも拘らず、未だ赤子のような風体のままだ」


苦虫を嚙み潰したような顔のまま、吐き捨てるように答える。

弟の言葉に、ラシュは困ったような目をして空を見上げた。

しかし、その口元は、どこか嬉しそうにも見える。


「我々魔族は、生まれ出でて1年足らずで成体となる。

 だが人族はもっと時間を掛けて成長すると聞く」


少なくない怒りのこもった視線が、複雑な表情のラシュの横顔に刺さった。


「ロキは、人族である母親の血を多少なりと継いだのだな」

「くくく……」


見守ってやれと言い終わる前に、ファイサルが喉の奥で低く嗤う。

振り返ると、ファイサルの黄金眼に真っ赤な火種があるのが見えた。

感情が昂ってきている証拠だ。


「違うな、あれはそんな下等なものではない」

「ファイサル」


諫めるように、鎮めるように名を呼ばわる。

ラシュはしばしばそうする。

ファイサルは、それも気に入らなかった。


火種は、次第に炎となり、やがて紅蓮に燃え上がる。


「あれは生まれ出でた時に、母の生命力を総て吸い尽くしてきた。

生まれた瞬間から、ロキは母殺しだ。素晴らしいだろう?

そんな芸当が、下等で、無能で、非力な人族になど出来得るものか」


ラシュは、ファイサルの目を静かに見返した。


「しかし、ロキが人族の血を継いでいるのは確かだ。

 そしてお前の愛した女も、人族であった。

 人族を、必要以上に蔑むのは、止めろ。」


「愛した? この俺が? それも、人族の女を?」


ファイサルはさらに卑下したように笑い飛ばす。


「何が、可笑しい」

「何もかもがだ」


静かなラシュの問いに、ファイサルは口の端を歪めて答えた。


「ロキはな、総てが戯れなのだ」


瞳の紅蓮に呼応するように、長く輝く銀髪が逆立つ。


「戯れで襲った人族の村に居た女を戯れで連れてきた。

 そうして生まれたロキもただの戯れ。

 それを愛などと……くくく……」

「ファイサル」


強い風が音を立てて吹上、二人のマントを強くはためかせた。

交錯する黒とグレイ、黒と銀、兄と、弟。


「もしもロキが人族の血を引くばかりに無能なものに成長するのならば、あれに用はない。

 何処へなりと打ち捨ててくれるわ」


ファイサルは、風で乱れた髪の陰から、事も無げに言い放った。


「それが父の言うことか」


怒気を含んだ声。

しかしファイサルはそれも鼻で哂った。


「父だと? 随分温いことを言う。

 父だろうが子だろうが、力無きものは死ぬだけだ。

 それが魔族。そうだろう?」


挑発的な視線をラシュに向ける。


「そしてラシュ」


次に何を言われるのか、わかっていた。

これまで、黄金に縁どられた紅蓮の瞳を真っ直ぐに受け止めていた黒が、揺れる。


「貴様は、その魔族を統べたる、王なのだ」


ラシュは苦しげに、その眼を閉じた。

ファイサルは視線をラシュから微塵も外そうとはせず、瞳の炎を猛狂わせた。


兄は、自らを厭う。

魔族であることを。

その長であることを。


……憎い、と。


ファイサルはそれを知っていた。

知っているからこそ、敢えて言うのだ。

兄には大きくあってほしい。

王なのだから。

自分の上に立つ唯一無二の存在。

その存在感は強くあらねばならないのだ。


(それを、愛、などと)


どの口が言うのだと、冗談で済ますことなどできる筈がなかった。

眉根を寄せる兄の顔。

見飽きた。


「部屋に戻る」


その一言を吐くと、カツンと踵を返しファイサルはテラスを去る。

広く天井の高いだけの簡素なラシュの部屋を抜けると冷たい石畳の廊下に消えた。





ラシュはようやく顔を上げ、歩き去る弟を呼び止めることもなく、後ろ姿を見送った。


「…………魔族の、王か」


テラスの桟に手を掛けて、ずっと遠くを見る。


遠く、遠く。

先には人族の国があるのだと。










想いを馳せる。


この世界にただひとり

あいするひと

いとしいひと


その名は、光に満ちていた。


愛しいひと。


声にならない声が、絶壁を駆け上がる風に吸い込まれる。


―――マリア



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