ヤコージュ
霙座
序章
0 はじまりの運命
すらりとした体に、露出の少ない流れるような白い装束。
華奢な造りの眼鏡と、細い銀のグラスコード。
静かな彼女の、憂いを湛えた紅い瞳。
淡く優しい紅茶色の肌を彩る、真っ直ぐな、長く紅い髪。
(シーシェ)
世界の全てを記録に残す、筆記者の名。
それが、美しい彼女の名。
◇
世界の核に独りで住まいしているシーシェの元から己が住処である魔王一族の居城への帰途。
アウディルは矢よりも速く、空気を裂いて飛んでいた。
その動きが作り出した風が、自らの鬣を激しく弄るのをそのままに、獅子の面を硬くしかめたまま、母親譲りの深緑の眼を鋭くする。
『運命はその時へと動いている』
筆記者シーシェはそう言った。
アウディルは、運命という言葉が嫌いではない。
魔王の弟である父と魔獣族の長である母の嫡子として生まれ、力は求めずとも備わっていた。
(この世は、力だ。
魔力、権力、腕力、財力、全てが力。
しかしその力というものすべてを無に還す、運命という曖昧な言葉。
それはなかなか面白い。)
そう思えるのが、アウディルの強さの証でもあった。
『運命はその時へと動いている』
シーシェはそう言った。
悲し気な顔をして。
(……それでも、筆記者故に悲しいという感情を知らず)
あまりに速く飛ぶアウディルの横を、風が高い音を立てて耳元を通り過ぎてゆく。
それは立ち止まることを知らない時を思わせる。
大きくはためくマントの下で、アウディルは逞しい腕に力を込めた。
何処で狂ってしまうのか。
誰が違えてしまうのか。
何処で違えてしまうのか。
誰か狂ってしまうのか。
きっとこの問い全ては無意味なのだろう。
全ての命の歯車が複雑に絡み合い、
導かれるまま、世界は
来るべき、その時は。
―――けれど皆、足掻かずにはいられない。
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