ヤコージュ

霙座

序章

0 はじまりの運命

すらりとした体に、露出の少ない流れるような白い装束。

華奢な造りの眼鏡と、細い銀のグラスコード。

静かな彼女の、憂いを湛えた紅い瞳。

淡く優しい紅茶色の肌を彩る、真っ直ぐな、長く紅い髪。


(シーシェ)


世界の全てを記録に残す、筆記者の名。

それが、美しい彼女の名。



世界の核に独りで住まいしているシーシェの元から己が住処である魔王一族の居城への帰途。

アウディルは矢よりも速く、空気を裂いて飛んでいた。

その動きが作り出した風が、自らの鬣を激しく弄るのをそのままに、獅子の面を硬くしかめたまま、母親譲りの深緑の眼を鋭くする。


『運命はその時へと動いている』


筆記者シーシェはそう言った。


アウディルは、運命という言葉が嫌いではない。

魔王の弟である父と魔獣族の長である母の嫡子として生まれ、力は求めずとも備わっていた。


(この世は、力だ。

 魔力、権力、腕力、財力、全てが力。

 しかしその力というものすべてを無に還す、運命という曖昧な言葉。


 それはなかなか面白い。)


そう思えるのが、アウディルの強さの証でもあった。


『運命はその時へと動いている』


シーシェはそう言った。

悲し気な顔をして。


(……それでも、筆記者故に悲しいという感情を知らず)


あまりに速く飛ぶアウディルの横を、風が高い音を立てて耳元を通り過ぎてゆく。

それは立ち止まることを知らない時を思わせる。

大きくはためくマントの下で、アウディルは逞しい腕に力を込めた。


何処で狂ってしまうのか。

誰が違えてしまうのか。

何処で違えてしまうのか。

誰か狂ってしまうのか。


きっとこの問い全ては無意味なのだろう。

全ての命の歯車が複雑に絡み合い、

導かれるまま、世界は


来るべき、その時は。


―――けれど皆、足掻かずにはいられない。


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