第2話 夢か現か

「うわあああああああああああああああああああああ!」

 屋敷中に響き渡る声で叫ぶ私の声。

 暗闇に包まれた寝室で、突然の恐怖が私を襲った。悪夢に巻き込まれ、見知らぬ場所に迷い込んだような錯覚が私を捉えていた。息が詰まるような緊張が胸を締め付ける。


「なんだ今の! 私は死んだはずじゃ?」

 呼吸を整えながら、周囲を見渡す。この屋敷は一体どこなのだろう。しかも、私は死んだはずなのに、なぜここにいるのだろう?


「どうされましたか!? ネーテアお嬢様!」

 ドアの向こう側から聞こえるメイド、ミレナの声がする。

 聞き覚えのある声が耳に届き、少し安心する。私は自分の存在を確かめるように、手を触れてみる。幽霊になったのかもしれないという考えが頭をよぎるが、手は確かに実在している。


「な、なんでもないですわ! ただ夢見が悪くて。着替えたいのでお願いできるかしら?」

 心の奥で、まだ不安が残っている。


「承知しました。準備してまいりますのでしばらくお待ちください」

 ミレナの足音が遠ざかって行く。


「ふぅー」

 大きく息をつく。

 確かに私は処刑された。思い出しても辛くて、胸が苦しくなる。夢? そんなはずはない。この現実は否定しようがない。


 かつて私は聖王国でも最も王族に忠誠を尽くしていたルシャンドル家に嫁いで、平和に暮らしていた。しかし、確かにルシャンドル家では私の存在は軽んじられ、時には不要な者として扱われることもあった。


 そして聖王国で反乱が起こった。


 暗い日々の幕開けとなったその出来事に、私は何も感じなかった。政略結婚の道具として公爵家からルシャンドル家へ嫁入りし、当主であるバルザック・ルシャンドルの妻として生きてきたからだろうか。愛とは無縁の結婚生活は私にとって、既に希望を奪われたような存在となっていた。


 彼は私を愛していたわけではない。そのことは私にとって苦痛でもなんでもなく、心の中で諦めていた。バルザックの目的は、この地を支配することだけだった。その野心的な欲望が、彼の心には愛情の余地を残さなかった。


 そして、反乱が起き幽閉され処刑されても、ルシャンドル家が何をしたのか私には全くわからなかった。政治の陰謀と裏切り、私の目には届かない世界で繰り広げられた戦いが、結末を迎えたのだろう。私はただの傍観者であり、なにもわからないまま処刑される運命に直面した。


「処刑された私がなんで?」

 目を覚ますと、嫁入りする前の日々に戻っているようだった。


 不思議な現象に戸惑いながらも、とりあえずミレナに急かされているので、急いで扉を開ける。


「お嬢様。さすがに朝からあの大声はいかがかと思いますよ」

「ご、ごめんなさい、大きな声を出してしまって」


「お、お嬢様?!」

「はい?」

「熱でもあるんじゃないですか?!」

「え?」

「お嬢様が謝るなんて、雪でも降るんじゃないですか?!」

「ええ? あの、私」

 確かにそんな気がする。当時の私は、わがまま放題で他の人々を完全に軽んじていたような気がする。

 自分勝手な態度と傲慢さで、周囲の人々をバカにしていたのだろう。


 思い返せば、私は愛情や他人の気持ちを考えるなどということはなかった。ただ自分の利益や欲望にだけ固執し、他人の苦しみや悲しみを理解することなく過ごしていた。

 家族や使用人たちを見下すような言動もそれが当たり前でなんの疑問もなかった。


「そ、そうですわね。私がミレナに謝るなんて、変ですわね」

「お嬢様」

「は、はい!」


「私の、私の名前をお呼びくださいましたね」

 ミレナがなぜか涙が浮かんでいるのに気づく。


「ミレナ、何か悲しいことでもあったの?」

 心配そうに尋ねる。


「いえ、お嬢様。ただ、ただ嬉しくて」

 ミレナは深呼吸して涙を拭う。


「お嬢様が私の名前を呼んでくださったことが、とても嬉しかったのです。」

 私は目を見開く。そんな些細なことで涙を流すなんて。


「ミレナ、私はもっとあなたのことを大切にすべきでした。今まで気づかなくてごめんなさい。」

「いえ、お嬢様には何の非もありません。ただ、あなたが私の名前を呼んでくださったことが、とても嬉しかったのです。」

 私の過去の傲慢さと冷淡さを思い返し、改めて自分の行動を反省する。ミレナは私にとって大切な存在であり、彼女の存在は私の生活を支える大きな要素だったのだと気づく。


「あの、ミレナ。どうしました?」

「いえ、なんでもありません。名前など呼ばれたことがなかったものですから。あ、朝食の準備ができておりますのでお着替えを」

 たしかにあの頃私はメイドなんて人だとも思っていなかった。


 ミレナは私がルシャンドル家に嫁いだ際も一緒に来てくれ、幽閉された後も食事を運んでくれたりお話をしてくれたりした唯一の人だった。


 私はなんてひどいことをしてきたのだろう。ミレナはそんな私を見捨てずにいてくれたのに。


「ミレナ、これからはもっと大切にします。あなたの名前を呼び、感謝の気持ちを忘れないようにします」

 ミレナは微笑んで、感謝の言葉を述べてくれる。


「ありがとうございます、お嬢様。私はこれからもお嬢様を支えることをお約束します」

「ミレナ、本当にありがとう」


「あの、お嬢様、ほんとどうしちゃったんですか? 熱ですか? 腹痛ですか? あ、わかった! 今日のお勉強、またおさぼりしようと思ってるんですね!」


「……ミレナ、だいなしですわ。ああ、着替えましょうか」

 私は着替えを済ませ、ミレナに連れられて部屋を出て食堂へと向かう。

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