ルールブルー
思い出した。バラエティ番組の収録だった。銀河くんはいなくて一人で暇を持て余していた。母は偉い人との会話に熱中していて、時々連続ドラマという単語が漏れ聞こえる。母は私が『連続ドラマ』という言葉を聞くと喜ぶと思い込んでいた。だけど、その時の私はさびしくて、母の興奮した声を聞きたくなくて控え室を飛び出した。廊下からは母の声が漏れ、その喜びようも聞きたくなくて局内を一人彷徨った。スタッフは私に目を留めず仕事をこなす。バタバタと駆け足で追い抜かれる。嫌だなぁ。仕事が嫌だなんて今まで感じたことなかったのに。廊下に置いてあった長椅子に腰かけると、上半身をゆっくりと横たわらせた。眠かったのかもしれない。ただ仕事も周りの大人も、今日のこの環境が嫌だったのかもしれない。忘れたくて目をつむった。
「ちょっと! 大丈夫!?」
大きくて黒い瞳が目に入る。誰だろう。ちょっと年上の綺麗なお姉さん。
「鏡野優夜さん、こっちです!」
なじみのスタッフの声だ。他のスタジオでドラマの撮影をやっているようだ。
「行かなきゃ」
私の両腕が彼女の手でしっかりと挟まれていた。ぎゅっと強く握られて焦点が合う。きょうのゆうやさん。
ゆっくり手を離すとお姉さんはこくんと頷いて、スタッフの背中を追うようにスタジオへ消えていく。
きょうのゆうやさん。頭の中でもう一度名前を繰り返す。私と同じ役者なんだ。女優さん。
記憶の中でバラエティ番組の撮影へと場所が移動する。司会は大物のお笑い芸人の方で日本で名前を知らない人はいない。ゲストとして銀河くんと一緒に出演する。そう、私たちはいくつかの同じドラマに出演して同時期に人気に火がついた。
『今夜のゲストはドラマに引っ張りだこのお二人! みなさんご存知ですよね、桶田銀河くんと晴間綺月ちゃんです!』
『よろしくお願いします』
『綺月ちゃんは最近憧れの女優さんがいるんだって?』
『はい! きょうのゆうやさんです!』
『きょうの、ゆうやさん……? おじさん、ちょっと知らない名前でごめんねぇ。きっと綺月ちゃんにとって素敵な人なんだね』
『はい! とっても素敵なお姉さんです!』
どうして忘れてたんだろう。大切な人なのに。ずっと想い続けていたのに。
奥村監督が「鏡野優夜を主演に据えるから、それで君の名前を思い出したんだ」と言ってくれた。私が活動を続けたい理由として鏡野優夜の名前を母が挙げた。銀河くんが「鏡野優夜を憧れの女優に挙げて良かったな」と覚えていてくれた。
『鏡野優夜さんが好きです』
泣いて赤くなったまぶたに赤いチークをさして、唇はぷっくりとふくらませて赤いティントを塗った写真とともに投稿した。
ファンからは「大丈夫?」「なにかあったの?」と心配のメッセージが相次いだ。34292431-1111-3226さんからは「私は綺月ちゃんが好きです」と届いた。鏡野さん、なんだよね。34292431-1111-3226さんは鏡野優夜さん。34292431も3226も検索したところで曖昧な情報しか得られなかったけれど、1111だけは違った。エンジェルナンバー、願いを叶える数字だと書いてあった。34292431-1111-3226さん、教えてよ、ねぇ。あなたの願いごとを。何を叶えたかったのか。好きだと伝えなければ、この関係は進まない。34292431-1111-3226さんの願いを知ることは叶わなくなる。
「好きです」
「ごめんなさい。毎日メッセージだけ送らせて、それ以上は望みたくないの」
「……どっ、おしてで、すか」
「撮影で疲れるとね、何も感じなくなるの。綺月ちゃんもその感覚わかるでしょう?」
「いや、それは……」
「綺月ちゃんにメッセージを送るときだけ心臓がドキドキして生きてると感じることができるの。今はまだ、それ以上のことは考えられない」
「鏡野さん」
「撮影、今日までありがとう。またメッセージ送るから。別のアカウント作ってフォローするから」
やだ、嫌だよ。それでも鏡野さんだってわかるから、わかってしまうから。
「……ありがとうございます。また共演したいです」
「ぜひ」
今日の投稿文は『撮影楽しかったです!』だ。ルールブルーはきっといい作品になる。こんな苦い気持ちは朝焼けをする前の青さだ。夜が優しかったから、朝がくるのを苦しく感じる。
「さようなら」
「お疲れさまでした」
さっきまで泣きじゃくってた鏡野さんは真っ赤なまぶたのまま、ルールブルーの顔合わせのときみたく目を細めて笑った。
<終>
ルールブルー 川上水穏 @kawakami_mion
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