月かたぶきぬ 3

 関山さんが「久しぶりなんだし控えめで清楚系にしたら」と洋服のイメージをアドバイスしてくれた。そういえば、子役時代は母がそんな洋服をいつも選んでくれていたっけ。胸元に白いリボンのブラウスとパステルブルーのロングスカート、白いショートソックスに瑠璃色のパンプス。やりすぎかな。明るすぎるかな。ドラマ『ルールブルー』に合わせて青を取り入れてみる。

 肩まで伸びた茶色の髪は美容院で揃えてもらう。マホガニーのような濃い茶色に塗り替えてもらった髪に黒のカチューシャを合わせた。前髪が浮きあがったらどうしよう。ついつい、昔の失敗を思い出して、そうならないための方法を実践する。


 鏡野さんはすらりと背筋を伸ばして立ち姿もかっこいい。化粧品のポスターのキリッとした感じとは違って、オレンジのチークがはにかんでこちらに笑いかけた。黄緑の生地に濃い緑が印象的で目を奪われる。


「初めまして、鏡野優夜きょうのゆうやと申します。よろしくお願いします」

「こちらこそ初めまして。晴間綺月はれまきづきと言います。よろしくお願いします」


 顔合わせが始まった。挨拶を交わしながら、主演の鏡野さんが小さな紙包みに入ったプレゼントを配布する。


「いつも晴間さんのイソスタグラムの投稿を見ています」

「あっ、えっ……ありがと、うござい、ます」


 喉奥から甲高い悲鳴のような音が出ると瞬時にその空気を押し戻して、平静を装った。


「ここだけの話」

「はい?」


 鏡野さんが口元に右手を添えてこちらに上半身を近づけたから、耳を傾けた。


「プライベートアカウントで毎日メッセージ送ってるんです」


 ちょっと、今、たぶんだけど、耳の調子が、おかしい。プライベートアカウント? メッセージ送ってるんです? しかも毎日!?


「あ、あの……ありがとうございます」

「じゃあ、また」

「……はい」


 返事をするのがやっとだった。息が止まった気がした。


「晴間? イソスタグラムの写真どうする?」

「あっ、はぁっ……はあはあ」

「ちょっと落ち着いて、水飲む?」


 関山さんの問いかけに頷いた。紙コップに入ったお水は薄氷が浮いていて、ライトに反射してきらめく。そのきらめきが楽しくて、コップを様々な角度に傾けた。


「もういらないの? 片付けるよ」


 慌ててごくんと飲み込むと、お水は冷たくて現実みたいだった。やっぱりさっきは夢のような時間だった。毎日、メッセージ送ってるんですよ、と言ってたのは夢だったのかなぁ。


「緊張した?」

「あ、いえ……実はその」


 いや、なんて言おう? 言ってなんになる? だって、そんなことが外に漏れたら鏡野さんは嫌がるだろうし、きっとアカウントも削除されてしまうだろう。そしてなにより私にメッセージが来なくなるなんて嫌だ。


「……なんでもないです」

「そう? ならいいんだけど」


 それにしてもどれだろう? 鏡野さんのプライベートアカウント、鏡野さんからのメッセージ。毎日の「好きです」? いやああああ、さすがにそれはないでしょ。「頑張ってください」、「かわいい」……毎回くれる何人かのメッセージを見返しては胸が弾む。これじゃあ監督の宿題である『ルールブルー』の時間とはほど遠い。だって、春のピンクに染まる夕方って感じだもん。桜の花びらが舞い散っててさ、これから楽しい時が来ます! ワクワク! みたいな。現場が一緒だし、つまり顔を合わせるし、雑談だってするだろうし、心が躍るような楽しい時間であって『ルールブルー』、朝が始まるしんとした静けさじゃないからだ。

 その感想を持ったままイソスタグラム投稿用の写真撮影に挑むと関山さんに「はしゃぎすぎ」と注意された。『ルールブルー』が思い浮かぶようなポーズを取らないと。注意された分を含めて百枚近く撮影し、そこから十五枚に減らす。はしゃぎすぎた前半は削除行きだから、実質半分しか確認してないけれど。

 関山さんと投稿用の写真を選んで、撮影楽しみですとだけ文を添えた。

 今日も「好きです」の四文字が届いた。「撮影頑張ってください」、「私も楽しみです」といったメッセージのどれかに鏡野さんがいたらなぁ。関山さんからはよっぽどのことがない限り、好意を持つ人間に対して小言を述べることはないらしいと聞いている。好意を持ってることを相手に表すため、同じ言葉を繰り返すことが多い。だから、一言多い人の意見を真面目に受け取る必要はないと教えられた。それでも心が厳しくなったら報告して、と約束している。実際、シャドウバンという対応を選ばざるをえなくなった人はいるが、全部を真面目に受け止めなくていいんだと知っただけで軽い気持ちでイソスタグラム運営をこなせている。「好きです」の四文字はよっぽどのことがない限り、にあたるメッセージだ。だけど、毎回投稿後にメッセージが送られること、それが開設時から変わらずに続いていること、そしてそれ以上のメッセージを送ってこないこと。一線を守ってくれているようで嬉しい。こちらが嬉しくなるような言葉をかけて、ファンの一線をまたいで繋がろうとしてくる人はどの時期にもいて、こういうところが嫌だと伝えてくる人よりも言葉に心を縛られた。体が疲れているのに、無理してテンション上げて笑顔で応えなきゃいけない時間を過ごす感じ。いや、まだ仕事の付き合いで幸いにもないけれど。

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