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 それは博行が6歳、浩二が7歳の時のことだ。

 のちに博行が言うには、久しぶりに祖父に会った時、自分がどれくらい強くなったか見せたかったのだという。博行は祖父のもとに走り寄り、思い切り祖父の胸に飛び込んだ。無邪気なだけだった、という。

 しかし、祖父は博行の重さに耐えられず、出っ張った石にかかとを引っ掛けてそのまま後ろ向きに転倒し、頭を強く打った。

 近所の人たちが集まって来た時は、浩二の母が浩二と博行を祖父母の家の中に連れて行き、騒ぎを見せないようにした。

 その時、浩二は博行と一緒に到着した救急隊の様子をうかがっていたが、博行が恐怖にぶるぶる震えていたのを覚えている。

 結局それが原因で祖父は命を落とした。

 祖父が亡くなって以降、浩二は父親から、博行のせいで祖父が亡くなったのではない、と強く教え込まれ、博行の前では絶対この話題を出してはいけない、と強く念を押された。

 祖父の死についての真相は、親族の間ではタブーとなり、誰も博行を責めはしなかったが、博行も浩二も、幼いながらに真実は分かっていた。


 この一件以来、博行は小児喘息になり、小学校に上がっても、学校を休んでばかりいる子になった。だから友だちもできず、全てを分かっている浩二とばかり遊んでいた。

 博行にとって、一生涯、心を許せるのは浩二しかいなかった。

 博行は心にこの暗い思いを抱えたまま成人した。

 そして21歳の時、たまたま祖母も転んで強く頭を打ち、結果的にそれがもとで亡くなるという事件が起きた。

 その時、診療所の祖母が寝ているベッドの脇で、事もあろうに浩二の父が、自ら口を滑らせた。

「何てこったろうな、親父だけでなく、おふくろも頭を打って死ぬなんて」

 浩二と博行も傍にいた。

 この言葉が博行には大変なショックだったようで、以来博行は生まれ育った町を出て、日本各地を放浪し、同時に女性遍歴が始まった。

 もともと稀に見る美貌だった博行は、その翳りがさらに女性を惹きつけたらしく、疲れた羽を休める相手には事欠かなかった。

 ところが3年ほどでそうした生活をぴたりとやめ、地元に戻って来たかと思うと、1人の女性の紹介で海沿いのホテルの調理場の仕事に就き、いちから見習いを始めたのだった。

この女性こそ、そのホテルのフロントに勤める明治やの一人娘の梢だった。

「できれば、街の片隅で、世間の隅っこで、ひっそり細々と生きて行きたい」

 そう言って披露宴もせずに、梢と一緒になった。

 そして暫くして、小さな村の、小さな民宿で、その言葉通り細々と生きて来たのだった。


「とうとう苦渋からは解放されなかったってことか」

 浩二はつぶやいた。博行は頷く。

「人を1人、しかもじぶんの祖父を俺は殺してるんだ。そりゃ、その思いは一生引き摺るよ」

「梢さんとはうまくいってたんだろ?」

「別に問題はなかった。だから梢とさやかには、本当に申し訳なく思っている」

「信仰を持つとか、何かに打ち込んで忘れるとか、そういうのも無理だったってことだ」

「そうだね。どうしても駄目だった。女に走りそうになったけど、それだけは思いとどまったよ」

「あの、こんにちは」

 突然入口をノックする音がして、浩二が扉を開けるとさやかが立っていた。

「やあ、こんにちは、さやかちゃん」

 浩二は随分成長した印象のさやかを見て、

「やあ、立派なお嬢さんになったね。いつもお母さんを手伝って、えらいね」

「いえいえ」

 部屋の中をチラと見たが博行は見えなかった。

「ちょっとお母さんに似てきたかな?」

「いえいえ」

 さやかはそれっきり黙って、恥ずかしそうにそわそわしている。

「ごめんね、おじさん突然きちゃって。悪いけど、今晩泊めてほしいんだ」

「もちろん、どうぞゆっくり過ごしてください」

「ありがとう」

「じゃあ、どうぞごゆっくり」

「うん、ありがとね」

 さやかは階段を降りていく。その後ろ姿を見届けると、浩二は風呂に入る支度をした。

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