3
浩二は民宿の2階の客間に通された。梢がお膳に茶菓子を出してくれた。
「葬式の時以来ですね」
と梢が言った。
梢は、二重の目に、こじんまりとした鼻と口をした丸顔の美人だが、やはり大分痩せたように見えた。
「そうだね。どう? 元気? メールでは大分元気そうに感じられたけど」
「そうですね。もう暫くは途方に暮れて、涙涙の毎日でしたけど。今は娘のさやかだけが唯一の支え。やっとこの頃、自分は生きて、ちゃんと生活しているんだと実感できるようになりました。さやかもよくやってくれて、本当に助かります」
「今、さやかちゃんは?」
「ちょっと買い出しに。じき戻ると思いますけど」
「そうか、さやかちゃんもえらいね。お母さんを助けて、頑張ってるんだね」
そう言いながら、浩二はお茶をすすった。
部屋の広さは6畳ほどで、窓の外にせせらぎが望める。博行が生きていた時も、何度かこんな部屋に泊めてもらったことがあったと思う。
「相変わらずいい部屋だね。とても静かな気持ちになる」
「いいえ、静かすぎて、あのあとはそれが耐え難いほど寂しかったんです」
「そうかもしれないね。それも分かります」
「でも、博行の自殺のあと、民宿を改装した時のローンが保険から出て、結局逆に楽になって……皮肉なもんですねえ」
「でも、なんというか、それは不幸中の幸いというか……」
「遺書にあった心の傷だけが原因じゃなく、そういう計算もしてたんだわ、たぶん。ローンがなくなれば、なんとか生活が成り立つって……」
梢はぽろぽろと涙をこぼし始めた。浩二はしまったと思った。あれほど博行の自殺に触れまいと考えていたのに、気づいてみるとそのことばかり話している。
「梢さん、ヒロくんのことはそれくらいにして、それより今晩僕を泊めてくれないかな。飛び込みの客ということで。ちゃんと宿泊費は払わせてください」
「いいんですよ、そんな。来てくれただけでほんと、嬉しいです。」
涙を拭い、梢は尋ねる。
「なつみさんは元気にしてますか?」
「うん、妻は相変わらず」
「乃絵美ちゃんは今……」
「高校2年になりました。生意気で、好き勝手なことばかりやってます」
「それはお父さんがしっかりしてるからでしょう。幸せなんですよ」
「それはどうかなあ」
梢は立ち上がりながら、
「ゆっくりしていってくださいね。さやかが帰って来たら色々準備があるので……」
「きょうはお客さんは多い?」
「そうですね。シーズンオフだけど、土曜日ですから、まあ普段よりは、ね。でもこんな小さな民宿だから知れてますけど」
「いや、忙しいのに、突然申し訳ない」
いいえ、とんでもない。ほんと、ゆっくりくつろいでくださいね」
浩二は、梢がまずまず元気そうなのを見て、少し嬉しかった。2年間、自分と梢を隔てていた重い何かがすっと下りた気がした。
窓からしばらくぼんやりと流れを眺め、部屋に目を戻すと博行が座っていた。浩二は博行の向かいに座り、
「案外元気そうだね。安心したよ」
そう言うと、
「そうなんだ。俺としても救われる」
浩二は改めて自分の思いを博行にぶつけた。
「なんで自殺しちゃったんだろうね。泳げないくせに、磯から海に飛び込んで泳ぐなんて」
博行は黙っている。磯から海に飛び込んだというのは、目撃した人の話だそうだ。
「まあ、あの時はとうとう自殺までしたか! と思ったけどな。ヒロくんはどうしても救われなかったんだな、と」
「うん」
博行は無造作に頷いた。
「一時は梢さんみたいないい奥さんをもらって、かわいい一人娘もできて、もう救われたかと思ったけど、ヒロくんはやっぱりダメだったんだなって」
博行の本当の心の内を知っていたのは、たぶん浩二だけだろう。
浩二は遠い昔の出来事を思い出す。
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