2



 明治やのある湯の川村に行くには、港の近くからバスに乗らなければならない。

 本数の少ないそのバスを待つ間、浩二は喫茶店でサンドイッチとコーヒーをとり、博行と話をした。

「実はこの2年間梢さんを訪ねなかったのは、ちょっと怖かったんだ。梢さんの悲しみをどうしてやればいいか分からなくてね。メールのやり取りだけしていた」

「うん。でも、梢も大分立ち直ってきたみたいだ。是非きょうは一緒に来てほしいんだ」

「まあこんな時でなきゃ、明治やに足を向けることもないかもしれない。久しぶりにいい機会かもしれないね」

浩二はそう言った。

「なんだか少しドキドキするなあ」

「大丈夫。是非会ってやってくれ」

「うん」


 朝食を済ませたあと、浩二と博行はバスに乗って港をあとにした。

 湯の川村へは20分程揺られなければならない。

 ゴトゴトと悪路を行き、バスがやや右に折れると、後ろの窓からのんびりとした海辺の風景が遠ざかっていくのが見えた。

 海に注ぐ小川に沿って走り、段々辺りが小山や木々の連なりに変わってくると、2年前と変わらない癒される風景に、浩二は少しホッとした。

 バスは半島の中央を目指している。

 浩二は博行に聞きづらいことをあえて尋ねた。

「どうなんだい? 民宿のほうの、なんていうか、つまり」

「経営状態か」

「うん。梢さんのメールではなんとかなってるって書いてあったけど」

「そうだね。相変わらずみたいだけど。でも親子2人暮らしていくにはなんとか足りてるみたいだ」

「ヒロくんが亡くなっても、梢さんとさやかちゃんでなんとかやってるって、ほんとえらいね」

 山あいの道をバスはのんびり走る。今の時期は客も少なく、地元の人ばかりのようだ。

「ヒロくん、死ぬ時って、どんな感じなんだい? どんな気持ちなんだい?」

 博行はいつの間にかいなくなっている。

 車内アナウンスが、

「次は湯の川村」

と告げた。


 バスを降り、浩二は小道に入り、湯の川温泉へ向かった。

 相変わらずひなびた温泉で、小川のせせらぎに耳を澄ませながら少し歩くと、開けたところに何軒か申し訳程度に並ぶ旅館が見え、その片隅にひっそりと「民宿 明治や」は佇んでいた。

 微かな川音しかしない、静かな一軒の和風民宿は、旅行客には安らぎを与えるかもしれない。しかし今の浩二にはひどく侘しかった。

 家屋も老朽化が進み、父親が自殺し、残された母娘だけで経営している民宿は、それだけで哀しみを感じさせた。

 今はまだ昼前。客が帰り、母娘はひと休みしているかもしれない。

 浩二は明治やの前を通り過ぎるとそのまま少し歩き、村の奥の、小川の流れのほとりで座って休んだ。

 そうしていると、せせらぎが身体に静かに染み渡った。水は澄み、触れると冷たかった。

 梢さんと会っても、なるべくヒロくんの死に触れないようにしよう、そう、考えた。梢さんの痛みになるべく気をつけよう。

 そうして随分長い間、水を眺めて時間を潰した。

 やがて浩二はもとの道に戻り、村に一軒だけあるうどん屋に入った。

 安いうどんをすすり、そのあとしばらく店内でテレビを見て過ごした。

 店内は古かった。雑然としていて、そうして長居していると、自分はずっと以前から、ここにこうして座っていたという気がした。


 頃合いを見て、浩二はスマートフォンを取り出し、勇気を出して梢に電話をかけた。

「梢さん? 浩二です。ヒロくんのいとこの」

「ああ、浩二さん、お久しぶりです」

「実は今、すぐ近くのうどん屋にいるんだけど、ちょっとこれから寄せてもらってもいいかな?」

「あら、亀田屋さんに? もちろんどうぞ。でも突然どうしたの?」

「いや気まぐれにちょっと寄ってみたんだ。

こんな時間に迷惑かな?」

「いいえ、とんでもない。どうぞ来てください。お茶でも淹れて待ってます」

「ありがとう。じゃあ今行きます。どうぞ、気を遣わないでね」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る