失われたタンゴが聞こえてきたので

両目洞窟人間

失われたタンゴが聞こえてきたので

 休みの日に散歩をしていると失われたタンゴが聞こえてきたので、私は通りを右に曲がった。

 軒先でレコードを七輪で炙っている着物を着た女性がいた。レコードがパチパチとはぜる音が失われたタンゴのメロディを奏でていたのだった。

 着物を着た女性が団扇を扇ぐと、七輪の火は強くなった。

 レコードはますます焼かれ、失われたタンゴは失った音色を取り戻していった。

「失われたタンゴですか?」と私は女性に尋ねる。

「ええ、やっぱり季節ですからねえ」と女性は団扇を扇ぎながら答える。

 私はしばらく失われたタンゴを聞かせてもらった。それから何のレコードを焼いているか気になった。私もできることなら自分でも再現したいと思ったのだ。

「すいません。あの、これはなんのレコードを焼いているのですか?」と女性に訪ねた。

「あ、ごめんなさい。うちはハードオフではないのです」と女性は言った。

「そうですか」と私は言った。残念だったけどもハードオフじゃないから仕方ない。

私は女性に失われたタンゴを聞かせてくれたお礼を言って立ち去ることにした。

 通りを左に曲がるまで、焼けたレコードからは、失われたタンゴのメロディが聞こえていたが、いつしか聞こえなくなり、またタンゴは永久に失われてしまった。

私が通りをまっすぐ歩いていると、何かが揚げ上がる音といい匂いがしたので、そちらの方に足を進めた。

 すると白のエプロンをつけた豚がいた。どうやら豚の肉屋のようだ。

「こんにちは、いい匂いがしますね」と私は言った。

「お兄さん!いいところにきたねえ!今、ちょうどコロッケが揚がったところだよ!」と豚は言った。

「じゃあ一つ」と私は言った。

「はいよぉ!」豚は揚げたてのコロッケを油紙に包んだ。

「80円でぃ!」

 私は100円を豚に渡した。豚から20円のお釣りと油紙で包んだコロッケを受け取った。

 私はコロッケを食べようとし、その前にふと気になったことを聞いてみることにした。

「凄くいい匂いですね。これは何の肉ですか?」

「これかい?これはあれでぃ、オオカミでぃ!」

「オオカミ?」

「昨日、ウチの煙突から侵入して来やがった、オオカミの肉で作ったコロッケでさ!」

「えーそれは大変だったんじゃないですか」

「そりゃもう、大変だったよお!お客さんに言うことじゃないけども、あっしの兄弟はオオカミに食べられてねえ。だから野宿と木造アパートなんてやめときゃって言ってたんだけどねえ。まあ、それはそれとしてさあ、あっしは見ての通り、コロッケ揚げてる肉屋なもんだから、煙突の下はフライヤー置いてるんだよぉ。なんだって、そんなことも気が付かないで、飛び込んでくるのかねえ。もうびっくりしたよ!オオカミじゃんかよおつってよー!」

「で、大丈夫だったんですか」

「まあ、見ての通りあっしは丈夫なもんよぉ。けどよおオオカミを見た瞬間だけどねえ、兄弟の復讐心っつうのが、すごいんだよ!このやろ!このやろ!って。だから温度もあげて、菜箸でつついてよう、まあ、オオカミもフライヤーには敵わねえってこったな!!」

 豚はガハハハと大きく笑う。豚の家を見た。立派なレンガ造りの家だった。屋根には煙突が突き出ていて、そこから煙が漂っていた。

「これはまた立派なレンガ造りですね」

「そうだろう!今はコロッケ揚げとるけども、前は郵便局員だったんだよお!郵便局員をやりながら、せっせとレンガを積んだ家でねえ。長くかかったんだよお!」

「えー自分で作ったんですか」

「そうだよお!豚にできることと言ったらコロッケ揚げることとレンガを正確に積むことくらいなもんでさあ!」

 私は豚が揚げたオオカミのコロッケを食べた。

 熱くて口の中がズタボロになるくらい火傷をした。



 通りを歩いていると「献血にご協力ください、献血にご協力ください」という声が聞こえた。その声の方にいくと、そこはのぼり旗を持った集団と猫が一匹いた。

その集団の持っているのぼり旗には「我々、吸血鬼に血をください」「吸血鬼はいつだって血液不足です」「実力行使には出たくないから、献血を」「血はいわば猫におけるチャオちゅーる」と書かれていた。

私はのぼり旗を持ってる集団の一人である金髪の女性に「えーと、吸血鬼なんですか?」と話しかけた。

「あ、そうです」金髪の女性の目は赤色だった。

「存在は知ってはいましたけども、実際に見るのは…」

「初めてですか」

「はい。意外と普通の格好なんですね」

「まあ、伯爵って時代でもないですし。私は古着が好きですし」

「そうなんですね。あの、それで、血、足りないんですか?」と私は言った。

「そうなんです。まあずっとなんですけども」と女性は言った。鎖骨と胸のちょうど間に、名札がついてあり「アバラ」と水色のマーカーで書いてあった。

「アバラ?」

「アバラ、ってのが私の名前で」

「え、あ、アバラさん。結構変わった名前ですね」

「まー、でも吸血鬼ってほうが変わってるじゃないですか。それに比べたら名前なんて、些細ですよ些細」アバラさんはそう言って笑った。

血を吸わないと生きていけない。そんなふうにして命を繋いでいることのほうが変わっていて、それ比べたらあまりない名前なんて、大したことないのかもしれない。

 隣にいる猫はパイプ椅子に座りながら自力でチャオちゅーるを吸っていた。

「あ、この猫、自力でチャオちゅーるを食べれるんですね」

「そりゃ猫やさかい、自分のおまんまチャオちゅーるは自力でチュウチュウしますがな」と猫が喋った。

「あ、喋った」

「そりゃ、吸血猫やから」と猫が言う。

「吸血猫ですから」とアバラさんが言う。

「吸血鬼の猫?」

「そうや。血を吸うて命繋ぎ止めてる猫やがな。知らんのかいな」

「知らなかったです」

「勉強不足やで。猫のみんながみんなネコ缶食べてごろごろにゃんにゃんや思たら堪忍やで」

「すいません」

「だいたい人間だけが吸血鬼になるって考えがもう、想像力不足やわ。想像しい、本を読んで、荻上チキのラジオを聞きなはれ」

「ごめんなさいこいつ、口悪いでしょ」とアバラさんは吸血猫を指差して言った。

「誰が口悪いねん」と吸血猫は言って、またチャオちゅーるを吸い始めた。

 私は吸血鬼と吸血猫のために、献血に協力することにした。

 献血は小型のバスの中で行われた。

「少し、腕が点で痛くなるんで、我慢してくださいね」とアバラさんは言って、注射を挿した。腕に面ではない、点の痛みがする。注射はチューブに繋がっていて、血はそのチューブに流れていく。そしてそのチューブはファミレスで見るようなドリンクバーに繋がっていて、私はドリンクバーのタンクに自分の血が流れていくのをしばらく見ていた。

 そしてアバラさんも私の血がドリンクバーに溜まっていくのを見ていた。目が輝いてるようだった。

「美味しそうですね」とアバラさんが言う。

「そうですか」

「ラーメンとかそういう脂っこいの食べないタイプですか」

「あんまり食べないですね」

「いや、通りで。本当、美味しい血って感じの色っすよ」

「そうなんですね」

「たまに、ラードが流れてるんかい!って思うような血もあるんですよ。あ、今の言い方、ボディビルの大会の掛け声みたいでしたね」

「ボディビルの大会?」

「知らないですか。ボディビルの大会の掛け声。肩にハーレーダビッドソン乗せてんのかい!みたいなやつ。切れてる切れてるアキレス腱切れてるよ!みたいなやつ」

そう言ってると、ある程度血がタンクに溜まったようで、アバラさんはドリンクバーに向かい、コップを差し込むと、あっという間に私の血で満杯になる。

 コップにひたひたになった私の血をアバラさんがごくごくと飲み始めた。

美味しそうに私の血を飲んでいるのを見ていると妙に恥ずかしい気持ちになった。恥ずかしいをきっかけに学生の頃、合唱で独唱パートを任されたときの記憶を思い出した。あれはとても嫌だった。

アバラさんは血を飲み干すと「うんうん!」とうなずいた。

「美味しいですか」

「凄く!美味です、美味美味」

「あの、さっき、オオカミのコロッケを食べたんですけども、脂とか、大丈夫ですかね」

「や、本当全然美味しいから、というか、オオカミのコロッケ?そういうの売ってるんですか?」

「あっちの方歩いたところにある豚がやってる店で。今日だけかもしれないけども」と私は言った。

 アバラさんは「へー。後で買いに行こうかな」と言った。それからまたコップをドリンクバーに差し込み、コップを血で満杯にした。

「結構飲むんですね」

「朝から大きい声出しまくってて、それで凄く喉乾いてるんですよ」

「大変ですね」私は言った。

「吸血鬼向けの献血は初めてなんですよね」アバラさんは血を飲みながら私に聞いた。

「そうですね。普通のは昔、行ったんですけども、こっちは初めてですね」

「最近、やっとこういう移動形式で、やれるようになったんですよ」

「へえ。それはなんでですか」

「法改正もありましたし、それから募金とか寄付とか。あとクラウドファンディングとか。本当大変だったんですけども、そういうのでお金を集めて」アバラさんは言った。

「じゃあ、本当ここまで来るの大変だったんですね」

「本当。一時期は吸血鬼も絶滅の危機でしたからねえ。国に滅ぼされかけましたけども、こればっかりは国が動いてくれて本当良かったですよ」そう言ってアバラさんは血を飲み干すと、コップをゴミ箱に捨てて、私にお辞儀をし、外に出ていった。

 私はそれからまたしばらくドリンクバーのタンクに溜まっていく自分の血を眺めていた。しばらく眺めていると眠たくなり、少し眠った。

 目を覚ますと、吸血猫が隣でチャオちゅーるを吸っていた。よく見るとそのチャオちゅーるは「血液味」と書いてあった。

「お、やっと起きたかいな」と吸血猫は言った。

「どれくらい寝てました?」

「30分くらいちゃうか。あんさん。寝ながら泣いとったで」と吸血猫は言った。

「嫌な夢を見て」と私は言った。

「どんな夢みたんや」

「好きなミュージシャンのライブに言ったら、アコースティックでカバー曲しかやらないって夢」

「それは嫌やなあ」と吸血猫は言った。


献血を終えてバスを降りるとありがとうございました~と言いながらアバラさんが近寄ってきてカードを渡してきた。

 そこには今日の日付と今日取った血液量、そして次に献血ができる日にちが書かれていた。

「次できるのは3ヶ月後なんですけども、もしよかったらまた協力してください」

「わかりました」

「体調は大丈夫ですか?」

「そんなに悪くないです」

「ふらついたら休んでくださいね。あと、これとこれ」アバラさんはポカリと猫のぬいぐるみを渡してきた。

 猫のぬいぐるみは口を大きく開けていて、鋭い牙が見えていた。

「吸血猫ぬいぐるみです」

「あの子がモデルなの?」

「いえ、これは漫画家さんに書いてもらったやつです。あの知らないですかね。ベトナム戦争とか魔法使いの漫画とか、あとどっかのテレビ局のキャラクター書いてる人」

「あー見覚えはあるんですけど、わかんないです」

「そうですか。あ、これ、お腹を押すとね、しゃべるんですよ」そう言ってアバラさんが吸血猫のお腹を押すと吸血猫ぬいぐるみは高い声で「ニンゲンノチハトテモオイシイニャ!」と叫んで私は「可愛いなあ」と呟いた。



家に帰ってテーブルに吸血猫のぬいぐるみを置き、しばらくソファーに座ってぼんやりし、それから献血でもらったポカリを飲みながら、今日一日のことを思い返した。

それから壁に貼ってあるカレンダーに目をやると、カレンダーは先月のままだったので、先月を破り捨てて、今月にした。今月はロシア人の喧嘩の写真だった。

テーブルに目をやると、今日が返却期限の図書館の本があった。

 私はやってしまったなあと思いながら、また来週、時間があるときに返そうと思った。

 それから、袋詰されたおでんを鍋で温めて、白ごはんを一緒に食べた。

 今日は湯船にお湯をためようと思った。普段はシャワーです済ましているけど、今日はお湯につかろう。そうして私は久しぶりに湯船に湯を張り、前に買って戸棚にしまったままだったた入浴剤を投入した。入浴剤のパッケージには「何が出るかは全てランダム!(私どもも把握しておりません!)」と書かれていた。

 お湯の中で入浴剤からしゅわしゅわと~と炭酸が出て、そしてお湯がどんどん真っ赤になり、明太子の香りがした。白ごはんがまた食べたくなった。

私は明太子の香りがする湯に浸かりながら、今日はなんだか、休みの日らしい休みの日だったなあ、こんな日がたまにあるといいなあと思ったりした。そして三ヶ月後にまた献血に行こうとも思った。

 お風呂から出て、髪をドライヤーで乾かしながら、テーブルの上に置いた吸血猫のぬいぐるみのお腹を押した。

「イマニミテイロヨジンルイ!ニャンニャンニャーン!!」と吸血猫のぬいぐるみは叫んで私は「可愛いなあ」と呟いた。

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