EP.40
40.
「生きる意味なんて、自分で選ぶ。余計なお世話だ」
真っ直ぐと宮藤を見据える。解の瞳に、一切の不安も、怯えも、迷いの色も無い。彼の考えは翻らない事を宮藤は悟った。
「……そうか。残念だ。非常に残念だよ」
「温は返してもらう」
解は宣言する、と同時に枝枉を起動。差し込まれたのは
黒い繊維が、宮藤を拘束せんと殺到する。しかし、それは宮藤に触れるなり、粒子となって散った。もちろん、解が意図した現象では無い。何が起きたのか、解自身も理解できなかった。
「……どうして?」
「変換杖が有れば私に勝てるとでも? 君は新しい玩具を貰ってはしゃいでいる子供のようだ」
宮藤は、そっと、サングラスを外した。そして、出来の悪い生徒に、教師が言い聞かせるように告げる
「「大島大洋」がオリジナルだとしたら、君が、彼と同じ年齢のはずが無いだろう?」
もし、「大島大洋」がオリジナルだったとする。「大島大洋」が生まれてから、彼のクローンができるまで、必ずタイムラグがある。「大島大洋」が生まれてから、彼の遺伝子を採取し、次のクローンが子宮の中で育つまで、最低でも十か月はかかる。当然、これは全ての工程においてトラブルが無かった場合だ。実際はもっと時間が必要だっただろう。つまり、解と同い歳であるはずが無い。
「……「大島大洋」も、複製なのか?」
「そうさ。多数の試行のうち、ようやく成功した二つの
サングラスの下には、一切、隠さなければならないような傷は無かった。ただ、顔が有った。普通の顔。加齢による皺や、皮膚の垂れ下がりを除けば、解と、「大島大洋」と、寸分違わぬ顔。
「君が三七研に来ることは分かっていた。分かっていてここまで来させた。何故なら、確実に君を殺すことができたからだ」
宮藤はスーツの内側から、まるで万年筆でも取り出すような所作で、黒く、細長い直方体を取り出した。
「変換杖?」
宮藤が頷く。
「君が私の考えに賛同するのであれば、もうしばらくは生かしておくつもりだった。最後のチャンスだった。君は、それをふいにしたわけだ」
罠だと分かっていた。
しかし、これは余りにも想定外だ。
解は変換杖を握り直す。
枝枉を向けた、その先。
自分がいた。
変換杖を、解へ向けている。
そして、笑う。
「私だって良い気分じゃないよ。自分を殺すなんてね。しかし、
解が後ろに跳ぶ。勘だった。
次の瞬間、解が一瞬前まで立っていた場所に、百本を越える刃が格子状に並ぶ。それは、公園のジャングルジムのように、一本一本の刃が等間隔に並び、綺麗に直交していた。宮藤の握る変換杖には、タングステンロッドが接続されていた。
完璧な制御。同じことが、解にはできない。彼が同様に刃の楼閣を建てたとして、鳥の巣のようになるだろう。
宮藤の変換杖と、自分のそれ。
性能が違い過ぎる。
そう悟った解は、すぐに動いた。
宮藤に背を向け全力で駆ける。
ここは三七研のエントランスホール。何も無い広い空間で殺し合ったとしたら、勝つ可能性が高いのは、より性能の良い武器を持つ人間だ。
「良い判断だ」
宮藤は言った。
変換杖を振る。まるで指揮者のように、ホールの端から端まで払う。瞬間、解の眼前に刃の壁が現れた。針山の如き刃の壁が行く手を塞ぐ。宮藤は変換杖を、ピッと強く、天上に向けて振った。そこから、幾つも、幾つも、氷柱のように刃が生える。
その膨大な刃の量。これだけの結晶を、解は制御できない。
見上げた解のこめかみを、冷や汗が伝う。
「
宮藤が言った。
変換杖を振る。
刃が一斉に、解目掛けて落ちる。
銀色の雨垂 《あまだ》れは、その一つ一つが、必殺の一撃。
降りしきる。
床に落ちた刃は、互いにぶつかり合い、跳ねまわり、砕け散る。
甲高い音を奏で、銀色の粒子を撒き散らす。
やがて、霧が晴れた。
「…………ほう。生きていたか」
宮藤は愉快そうに言った。
解の手には、変換杖・枝枉。それが造り出したタングステンの刃が、逆さまにした鳥の巣のように、解の頭上を覆っていた。それでも、全ては防げなかった。頭部を庇った左腕が切れて、血が滴る。
解は、頭上を守る刃を消すため、変換杖を振った。
しかし、消えない。
それどころか、成長を続ける。宮藤が干渉しているからだ。急成長する刃の
一瞬、解は後ろを見た。
出口はまだ遠い。
辿り着く前に殺されるだろう。
ならば、道は前にしかない。
分かっている。
分かっていても、一歩踏み出すのが、こんなにも怖い。
それでも、解は踏み出す。
自分は「大島大洋」ではないこと。
森都の英雄ではないこと。
そんな事、彼は既に理解していた。
それでも、踏み出す。
温を死なせるわけにはいかない。
おもむろに、腰の〇九式拳銃を引き抜いた。宮藤に向けて銃弾をばら撒く。宮藤は刃を展開。幾重にも折り重なる刃に、銃弾は弾かれる。噛み合う金属が火花を散らす。その間にも、解は前へ踏み込む。引き金を引き続けた。銃声でも掻き消せない恐怖を、押し殺し、前へ。弾が切れた。拳銃を投げ捨てる。
瞬間、刃の格子が解を捕えた。
まさに、一回の瞬きの間に、その格子は出来上がっていた。
少しでも身体を動かせば、刃が解の身体に食い込む。
しかし、解は囚われる直前、枝枉のロッドを換装していた。
鮮やかな黄色の刃。
硫黄だ。
燃え上がる。
結晶を構成する原子に熱が加わると、その振動が激しくなる。加えて、空気中に存 在するタングステン分子も、より激しく動き回ることになる。つまり「秩序」が壊れる。
解を取り囲む刃が、風に吹き散れるように消えた。
腕から流れる血は、既に乾き、肌にこびりついていた。
枝枉を握る右腕が焼けただれる。
神経も焼けたのか、痛みは既に感じなかった。
それだけの熱量だ。
解はさらに前へ。
宮藤はタングステンブレードを展開。しかし、迸る熱が「秩序」を壊し、刃をかき消す。火が闇を払うように、燃え盛る枝枉が、刃の群れを押し退ける。
その間隙を突いて、解は駆ける。それでも、一歩踏み込む度、身体に傷が刻まれる。血は流れだす傍から、乾いて固まった。固まる度に、新たな傷から血が流れる。
解は止まらない。
止まるつもりなど無かった。
「宮藤ォ!」
叫んだ。
勢いそのまま、宮藤に飛び掛かる。
最早、硫黄の刃は燃え尽きていた。
武器はただ、この拳のみ。
対する宮藤の手には、変換杖。
そこから伸びる、タングステンの鋭い刃。
それを、解の首に突き立てる、寸前、解は自分の変換杖を放った。
「なっ!?」
くるくる回りながら、緩やかな放物線を描く、変換杖・枝枉。結晶を意のままに操るそれは、現時点において、人類が到達しうる科学の最高峰。そして、日本が抱える最大の機密。
咄嗟に宮藤の手が伸びた。
その直方体を掴む。
だから、一瞬、解から注意が逸れた。その一瞬を、解は逃さない。宮藤の腕に両腕でしがみ付くと、彼が握る変換杖をむしり取った。解の腹に、宮藤の膝がめり込んだ。解は後ろに転がされる。それでも変換杖は離さない。直ぐに身体を起こし、膝をつきながらも、今しがた宮藤から奪い取ったそれを構えた。
「……小賢しい真似を」
吐き捨てるように言った。その憎々しそうな表情を見て、解は確信した。
「この変換杖、俺も使えるんだな?」
沈黙。
即ち、肯定。
解が宮藤の複製であるなら、同じ遺伝子配列を持っている。つまり、変換杖に対して同じ適性が有るはずだった。
「形勢逆転だな」
宮藤から奪った変換杖にも、枝枉と同様のスリットが有った。解はそこに、タングステンロッドを接続すると、刃を展開した。植物の生長を早送りしたみたいに、地面から無数の剣が伸びる。その木立の中に宮藤は捕らわれた。少しでも身体を動かせば、刃が彼に食い込むだろう。
「心配するな。殺すつもりはない」
そんな解のセリフに、宮藤は笑みで答えた。
「歌姫をここから助け出したとして、どうするつもりだ? 森都は狭い。逃げ場など無い」
「壁の向こう側か、海の向こうにでも逃げる」
「やはり、協力者がいるのだね?」
少し喋り過ぎたか、と解は後悔する。
「もう終わりだ。少し痛いけど、今更、文句なんて言うなよ?」
解が変換杖を構える。「秩序」を与え、宮藤に絡みつくように、タングステンの刃を成長させる。宮藤も、解が放り投げた枝枉を起動した。刃状の結晶が崩壊するという事象で、刃の生長を上書きする。
刃が生長しては、その先端から粒子となって消える。生成と崩壊がせめぎ合っていた。解が結晶の生長速度を上げる。宮藤も、それを追いかけるように崩壊速度を上げた。刃は、伸びたり、縮んだりを繰り返す。しかし、均衡は、長くは続かなかった。
結晶の成長が、止まった。
知らず知らずのうちに、解は歯を食いしばっていた。どれほど明確に想像しようと、成長速度は一向に上がらない。それにも関わらず、分解速度は徐々に上昇する。
「どうして……」
解のこめかみを、汗の雫が滑り落ちる。氷が溶ける映像を早送りにしたみたいに、刃はみるみる縮む。そして、消えた。
宮藤が
「君は、私の変換杖の方が優れていると思ったのだろう? しかし、君の手に有るそれも、私の手に有るこれも、同じ枝枉だ」
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