第4話 宮本茂と鈴木裕 任天堂とセガ

 デザイナーとして任天堂に入社し、マリオやゼルダで一財産を作った宮本茂さん。彼は天才だけれども任天堂にいたから有名になれたと思ってます。


 その逆に天才としては宮本茂さんよりも天才だったと思う鈴木裕さん。セガの凄さは彼に始まり彼に終わったと言ってもいいくらい。


 大学で3Dを勉強してセガに入社したのが始まり。そこから、先のスペースハリアー、アウトラン、アフターバーナー、ギャラクシーフォース、GLOCやバーチャレーシング、バーチャファイターに至るまで、ありとあらゆるゲームの礎を築いた。


 確かに当時の世界は親会社のCRIの会長がセガが好きで多少赤字でも目を瞑ってきたこともある。それでもこの大ヒット作の量は桁違い。


 スペースハリアーでドラゴンランドを疾走する擬似3Dゲームを出すと今度はアウトランで走る楽しさを味わえる新感覚レースゲームを出した。トップガンが大騒ぎになるとF14トムキャットを主人公にしたアフターバーナーを出し、今度は宇宙を舞台にしたギャラクシーフォースを登場させた。


 3Dブームに誰よりも早く乗り、バーチャレーシングを世の中に出すと、ピットクルーをポリゴンで描いたのに自信をつけ、それをメインとしたバーチャファイターを世の中に出した。


 ここで3Dの説明すると、擬似3Dとはスプライトを拡大縮小して見てる人に3Dぽく見せる技術。鈴木裕が大学を卒業したタイミングでは本格的なポリゴンはとても出せなかった。


 ポリゴンと言うのは三角形で描かれた三角頂点を無数に並べて立体を作るもの。ちなみに色の入らないポリゴンをワイヤーフレームと呼ぶ。


 ここにシェーディングと言う化粧を施して、今のキャラクターなども作られてる。シェーディングの質は違えども今のファイナルファンタジー16のあの戦場さながらの臨場感も無数の三角形が描かれて、そこに色々な化粧が施されてる。


 バーチャファイターが出た当時の常識では、人型のポリゴンを制作するのには一体あたり1万ポリゴン。要するに三万頂点が必要と言われてた。


 それを2500ポリゴンくらいでやってみせたのだから日本のみならず海外からも注目を集めた。ちなみにバーチャファイターを動かしているモデル1基盤は、マーチンマリエッタ。軍事メーカーの民間転用の一つなのだ。この流れはバーチャファイター3まで続くことになる。


 当時、専用ハードなどもない時代に軍事メーカーから供給されたハードでゲームを作ろうなんて誰も考えないだろう。無謀かつ凄まじい挑戦だった。


 近年は鈴木裕氏も歳をとったのか、あまり面白いゲームを作ってないが、当時もっとも天才だったと思う。

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