第3話 セガとスペースハリアー
セガと言えば今やゲームメーカーとして有名で、アーケードから撤退したと言う話も聞きます。だが当時のファミコン少年には夢のハードでした。当時ファミコンにはセガマーク3と言うライバルゲーム機があって、ライバルだったけれども今度スペースハリアーが出るよと言うことを聞いてワクワクしたものです。
ここでスペースハリアー自体知らない人がいると思いますので説明します。スペースハリアーと言うのはドラゴンランドを舞台としたシューティングゲームです。
擬似3Dになっていて凄い速度でオブジェクトが近づいてくる映像に当時のファミコン少年はワクワクしました。ただし、当時のファミコン少年の知ってる知識なんて容量の多さくらい。
スペースハリアーは容量的に厳しいとかファミコン雑誌でも書いてあるのだから、当時の雑誌のレベルも低いものです。
ちなみにスペースハリアーと当時のファミコンのスペックを比較して見るとどれだけ無謀な試みなのか分かると思われます。音源とかはとりあえず無視して映像面のみ考えます。
ファミコン 64色。スプライト 64個です。一つのスプライトには8色。拡大縮小などもありません。後、絶望的なのは横に4個スプライトが置かれるとちらつきます。
スペースハリアーの基盤 32768色。スプライト無制限。スプライトの拡大縮小が可能。範囲は無制限。1スプライトに256色。
シンプルですが。もう勝負にならないとわかると思います。ちなみにこの化け物マシーンの移植が初めてできたのがサターン、足掛け10年以上かかりました。
それはさておき、無謀な移植も目立ちましたが、ここではそれを無視して、頑張った移植を見て見ます。
x68000。シャープが開発したゲームパソコンです。同梱ソフトがグラディウスの完全移植と言うのも凄い。
それでも移植は難しかった。まず拡大縮小がありません。スプライトも化け物マシーンのような大きなオブジェクトを描けません。そのため、高速書き換えにより実現しています。そのため地面の市松模様もありませんし、上下しても背景は動きません。
それでも当時としてはスペースハリアーがまともに移植できたこと有名になりました。完全移植は無理でしたが、かなりのインパクトでしたね。
これ以降、セガの体感ものはたくさん出て来ますが、家庭用の移植を考慮していないため、移植は困難を極めました。
なぜそんな無謀なソフト開発をしたのか今となっては不思議でしょうが、当時それだけアーケードゲームが人気だったんです。
中でもセガの体感ゲームは当時のファミコン少年の夢でした。時代は違いますが、ソニーのところでお伝えしたセガのバーチャファイター2も化け物ハードでした。
有名人の中で筐体ごと購入した人もいたそうですが、価格は150万から200万。
いやはや恐ろしい話です。スペースハリアーも同じくらい当時はしたそうです。しかもすごく重い。
最近のスマホは性能が高くて、スペースハリアーを見せても誰も驚きませんが、当時いかに化け物だったのか感じていただければ幸いです。
◇◇◇
そろそろ新作を出す予定をしています。不定期ですが、こちらの話も続けていきますので今後もよろしくお願いします。
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