第2話 ソニーがなぜプレイステーションを開発したのか

 今になってみればソニーのブランドイメージはプレイステーションです。これはソニーの社員にも浸透してまして、ソニーと言えばブラビアでもウォークマンでもなく、プレイステーションなのです。


 けれども、初代プレイステーション開発は苦悩の選択だったと言われています。当時、スーパーファミコン向けのCD ROMとしてソニーがプレイステーションと言うコードネームで開発されてました。


 当時の任天堂は、ゲーム業界では一強であり、セガやNECと相当ユーザー数が違いました。海外では当時セガのメガドライブが任天堂と並ぶ快挙を挙げていましたが、日本では販売台数に相当な差があったことは事実です。


 ただ、新ハードに関してもかなり強引で新ハードを辞めることなど珍しくもなく、スーパーファミコンのCDROM開発もコピー問題とロムと違って儲けが取りにくいと言う理由から、開発中止になりました。


 詳しく言うと当時任天堂のロムカセットは、一本2000円程度の買取制だったのです。しかも、前金制だったため、開発メーカーは売れるか分からないソフトのために、お金を借りないとならないため、相当大変だったそうです。


 この利益がCD‐ROMではなくなるため、突然CD‐ROMの開発は中止になりました。当時のことは久多良木さんが本を執筆しています。


 ソニーに残された選択肢はこのCD-ROMを使って新ハードを作るか、開発部を解体して止めてしまうかの2択でした。家電メーカーにゲーム開発ができる訳がない。任天堂の山内社長もどこかで言っておられましたが、これが当時の常識でパナソニックは3DOで失敗していますし、ソニーもファミコンソフトを開発して手痛い失敗をした経験から無理じゃないかと言うのが一般的でした。


 久多良木さんはソニー本社を説得し、子会社を作ることで失敗してもソニーに悪いイメージが行きにくいように、そしてソニーブランドではなく、プレイステーションブランドを使うことでソニーのイメージを表に出さない配慮をしてハード開発の許可を取り付けました。


 自称オタクと言われる久多良木さんは有名ソフトメーカーに頼み込みに行きましたが、殆どのメーカーは3D特化したプレイステーションを見せられて、3D特化のハードなんか売れるの? と言うイメージを持たれます。


 ナムコを除き、殆どのメーカーは3D特化したハードでどんなゲームが出来るのかイメージ出来ていませんでした。


 ナムコだけが興味を持ってもらいましたが、これでは? と言う状態だったそうです。


 ここで少しだけプレイステーションの特殊なハード設計を話しておきますが、このハード本当に3Dの機能しかなくて、当時普通だったスプライトもありません。ソニーが開発環境を整えるまでは、これで普通のゲーム作れるの? って言う状態だったようです。


 スプライトは厚みがないポリゴンを擬似スプライトとして使うと言う力技で解決してますが、2Dゲーム機として見た場合にはライバルのセガサターンに性能は大きく劣ります。ラム容量も少ないため、元カプコンの岡本さんもYouTubeでこのハードが覇権を取ったら嫌やなあと言っておられてました。


 サードパーティが増えない状態がこれからも続き、さすがにこのままでは出しても売れない。今のうちに辞めればリスクも小さいだろう、と言う選択が久多良木さんの背中に重くのしかかります。


 これを一気に変える出来事がありました。ライバルのセガのバーチャファイターです。今の3Dのレベルではレースゲームしかできないだろうと思っていたゲームメーカーには衝撃の出来事だったそうです。


 一枚の画面に5000ポリゴン。1ポリゴンが一つの三角形としてそれが5000枚程度の今から考えるとかなり少なく、テクスチャーマッピングと言うものもないため、カクカクでしたが、このソフトがゲーム業界に与えた衝撃は相当なもんだったようです。


 これが呼び水となり、一気に3Dに特化したプレイステーションへサードパーティになりたいと言う声がかかるようになり、プレイステーションが発売となります。

 

 ただ、百万台程度までは販売出来ましたが、打倒任天堂というにはあまりにも少ない台数で、ライバルのセガサターンにも少し負けている状況が続きます。


 これを大きく崩す出来事が起こります。任天堂にセカンドパーティと言われ破格の扱いを受けていたスクウェアが突然の任天堂離脱を表明したのです。


 なぜこうなったかと言うと当時、株式上場を考えていたスクウェアは、多作品を市場に送り込むことを考えていたのですが、当時任天堂の流通を担っていた初心会の意向と真っ向からぶつかります。


 任天堂は次の新ハードには、任天堂が独自のチェック機構を設けて、それをクリアーしたソフトしか市場に出せないと言ったのです。


 ファイナルファンタジーだけでなく、もっと多くのソフトを出したいと思っていたスクウェアは任天堂向けのソフトだけでは本数が確保できないと考え、ずっと任天堂と調整をして来ました。


 スーパーマリオRPGがスクウェア発売と言うのもスクウェアの要求に答えた形だったのですが、これが任天堂の意向にそぐわず全部訂正をした挙句、任天堂から出したことで亀裂は決定的となり、ソニーが開いたクリスマスイベントにスクウェアが参加すると言う異例の事態となります。


 それからは知っての通り、発売一年近く後のファイナルファンタジー7始動のコマーシャルがソニーのメインコマーシャルとして繰り返し放映され、今月発売のうちのゲームより、ソニーはファイナルファンタジーのコマーシャルをするのかとワープの飯野さんを怒らせ、もうプレイステーションには出さないと言う事件にまでなりました。


 まあ、そう言う困難はありましたが、ソニーはその事件で体勢を変更したりして、今のプレイステーションの礎を築いて行ったのですね。

 

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