彼方の君へ


それから一年後――霧島ミノルが起こした事件が解決して、三日後。

俺は学園の屋上の上に立っていた。

別にリラックスしたかった訳じゃない。こんな普通の生徒が来れない所に来て、優越感を味わいたかったという訳でもない。


現在時刻は真夜中――明日と今日の境の時刻。

俺は一人の名探偵の登場を、静かに待っていた。

カンカンと、その時出入口の方から軽やかな音が響く。


そうして重たい扉が開く音が聞こえて、中から出てくる一人の少女に――俺は笑みを浮かべた。


「よぉ――宙」


「こんにちは、白理君」


風が、冷たい風が宙の髪を撫でた。

俺はいつもの黒づくめの恰好だった。唯一していない装備と言えば――顔に付けている仮面ぐらいだろう。


「やっぱり貴方がJOKER—―去年のあの図書室のも、貴方なのね」


「そうだ。俺が、俺こそが――欺く者JOKERだ」


フードを脱いで、俺は今度こそ宙と向き合う。

びゅうびゅうと屋上に吹く風は強くて、宙はそれでも俺の目を真っすぐ見ていた。


「色々とおかしかったのよね。あの時の貴方は右手に傷を負っているかのような動きをしていたし」


どうやらあの時のカミングアウトで気づいたのではなく、昔から燻ぶっていたものらしい。どうあれ、気づくのは時間の問題だったという訳だ。


「それで? どうして俺をここに呼びだした。ここはか弱いお嬢ちゃんが来る場所じゃないぜ」


「今日は――答え合わせよ。あの日の、あの出来事の答え合わせ。だから本当は図書室の方が良かったんだけど、あっちは施錠されているから」


「それにしては随分なシチュエーションだな。このロマンチストめ」


「あら断崖絶壁の方が良かったかしら?」


「もう飛び降りるのはこりごりだよ。だってあれ痛いし」


そんな会話の応酬をして、宙は唐突に、真実を告げた。


「――金塊を盗んだのも、嘘なんでしょう? まだ金塊は――この学園のどこかにある」


「――――」


……その宙の言った言葉は、事実だった。


「どう考えてもおかしかったのよ。金塊がどこに隠されているかなんて会話、一度もされてなかったし、警察だって到着していた。貴方が金塊を探す時間なんて無かった」


ここは黙って聞いてやろう。

しかし、まさかこんなにも早くコイツの推理を聞かされるなんてな。


「だから貴方は私に敢えて偽の金塊を見せた。服部さんも含めて、自分が盗んだなんて事は言えてもどこに隠したかなんて言えないだろうし、あの時の貴方には『そうさせてしまう気』さえしていた」


「だから誰も金塊の在りかを知らない。警察も私もあの人たちも、全員が貴方に盗まれたと錯覚していた」


「貴方だけは、この学園のどこかにあると知っているから、いずれ探し当てればいい――そう考えての行動でしょうけど」


「とんでもない大嘘吐きだわ。流石と言いたいほどに」


そう付け加えて、宙ははあと息を吐いた。


「クックック、流石だ。流石だよ月見宙。その通り過ぎて何も言い返せない」


ぱちぱちと拍手を送りながら、俺は宙の推理を称える。

そうだ、全部その通りだった。


嘘に少しの真実を混ぜるとバレにくくなるが、最初から最後まで、何もかも嘘で塗り固めれば最後までバレない。


そしてバレない嘘は――やがてそれが真実となる。


「別に大したことはないわ。それよりも、まだ貴方に伝えて切れてない事があるの」


「なんだ?」


俺はパーカーのファスナーを上げながら、宙に訊ねる。


「ほら最後まで分からなかったじゃない。あの人達の依頼主――いわば『黒幕』の正体。私なりの見解を言ってもいいかしら?」


なるほど――『黒幕』という正体に気づいたのは、やはりシルヴィアの影響か。

果たしてこれがあの探偵王の意図した展開なのかは分からないが。


「どうぞ」


果たして、宙は一体どんな犯人を言うのだろうか。

黒神家の者だと言い当てられたのならば見事だ。拍手を送ってやろう。


俺は数秒後に起こる展開を予測して。



思った通りに期待外れだ――と思うのだろうなと、そう考えていた。




だから。





「貴方よ。貴方が黒幕」





――だから。


その時俺の表情は、完全に死んでいたと思う。


「…………驚いた。これはマジで驚いた」


顔に手を当てながら、俺はただ黙って宙の話を聞く。


「だってその方が説明が付くのよ。前にも言ったでしょう? ――事件が起きることによってが犯人だと。これが私の考え方」


あの時もそうやって宙は、ミノルが犯人だと突き止めた。

あくまで暴論だが、だがある程度は通用するのだろう。


特に、俺みたいな嘘吐きにとっては。


「ここからは推測だけど――貴方は匿名であの人達とコンタクトを取って、自分が盗むはずの金塊を盗むように指示した」


そうだ。仲介役の男を通して俺とあの何でも屋は繋がっていた。

勿論その時の俺の身分は、勝手ながら黒神家の人名を使わせてもらった。

そうして俺は事前に奴らに伝えたのだ――あの金塊を盗めと。


だからアレは予測道理だった。

俺は現場に行って、理由を付けて逃げるだけ。

白亜にもバレなかった。俺の演技でバレたと言う訳ではない。


――いや、そもそも宙は『推測だ』と言っている。


……末恐ろしい、もはやここまでに仕上がったのか。



「あの時佐藤先生に見つかったあの人達が、どうしてその場から動かなかったのか――プロなら尚更、どうして場所を移動させなかったのか――それは報酬を貰ってなかったから」


「このご時世に現ナマは無いだろ」


もはや何ら意味のない反論を返しながら、俺は思考を続ける。

俺がJOKERだということに気づかれたのは、想定内だった。

問題は――俺があの事件の首謀者だということに、いつ気づいたのか。


あの胡散臭い探偵王――いや、無いな。

アイツは全てを分かった上で見逃している。必要悪を認めてしまっている探偵だ。

だから俺の存在を認知していても、余計な手立てはしないだろう。俺がナニカをやらかさなければ。


「あら、誰も報酬が現金だとは言ってないわよ。――でも実物を受け取りに行くのは確かでしょう」


宙は風で乱れる髪を手で押さえて、ふうっと息継ぎをした。

その様子に、俺は唾を呑み込む。


なんてことだ。利用とまではいかなくとも、活用させてもらうはずだったのに。


侮っていた。本当に侮っていた。


真に恐るべきなのは、名探偵の素質を持ったこの少女だったのだ。

その片鱗に気づいていたくせに、釘を打たなかった俺の迂闊さが招いた問題だ。


目の前の小さな少女が、急に大きくなったような感じだ。

下だと侮っていた者が、ああなるほど窮鼠猫を嚙むとは正にこのことか。

いや、この場合飼い犬に手を噛まれる……か? どっちでも良いか。


「――認めるよ」


「負けを?」


嘘を全て見破られ、嘘で固めた仮面を剥ぎ取られた哀れな道化師ジョーカー

嘘を吐いて、虚言に憑かれて、戯言を言ってのけ、誇大妄想を吹聴する。

俺の全てがさらけ出された。こんな気分は――ああ、今俺はムカついている。


敗北に――勝敗に――結果に――。


「――いや、お前を」


俺はシルヴィアこそが、俺の敵になると思っていた。

だけど違った――シルヴィアは少し違うんだ。

アイツは悪を認めている。だから『名探偵』を名乗らない。


名探偵とはどんな難事件をも解決できる探偵ではない。

例え自分の身が危なくなっても、決して真実から目を離さない探偵のことを言うのだ。


「お前、自分が殺されることを覚悟していたか?」


「いいえ覚悟なんてしていないわ。――だって、JOKERは人殺しはしないんでしょう?」


風が止んだ。厚い雲が取り払われた夜空には、天空を覆い尽くす程の星が散らばっている。月を背に、宙はふふんとした様な顔で俺を見る。その青色のインナーカラーが輝いて見えた気がした。


俺は深くため息を吐いて、口を開いた。


「認めるよ――お前が、俺のだ」


「――――」


俺は仮面を付けて宙を通り過ぎようとする。


「最後に言いかしら」


後ろから声が掛けられた。

またか……俺は振り返らずに言う。


「まだ何かあるのか?」


「今の事は警察に言わないわ。貴方はともかく、貴方のその身体は白理君のものなんだから……そんな事をしたら、菜穂が悲しむもの」


菜穂……? ああ、豊崎菜穂のことか。

そう言えばアイツ、この冬からアイツと付き合い始めたんだっけな。

俺からしてみればようやくかと言う感じだったが――まあ、そこら辺はアイツも思う所があったのだろう。


「だから教えて……? どうして貴方はそこまでして、自分を苦しめているの?」


「……は」


苦しめている? 何を言っているんだこいつは。

俺は別に自分が苦しいだとは思っていない。


「何か勘違いしているようだから言ってやる――俺は有の影法師だ。言っちゃあなんだが、俺は病気の原因だ。アイツがストレスを受け続ける限り、俺と言う呪縛は存在し続ける」


だから俺の最終目的は――。


「俺は自分が消えることを望んでいる。それこそがアイツの幸せだからな」


有のストレスの元凶はJOKERにある。

だから俺はこの代で、何百年続いたこの忌まわしき悪しき風習を終わらせる。


「俺がアイツらに接触したのは、偏にアイツの精神的負担を現象させるためだ。自分は盗みなど働いていない……とな」


元々の計画は、それで内密に終わらせる予定だった。

誰も傷つかない――俺の計画は完璧だった。

はずなのに。


「佐藤純一が殺されたのは俺も想定外の出来事だった。そしてその渦中にいるのが有だということも、全くの想定外だった」


ここまで行くともはや哀れだ。

こっちがどれだけ思考を巡らせようが、手を尽くそうが、運命と言うものは常に上手で、俺はそれに踊らされる、文字通りのジョーカーだ。


ならば踊ってやろう、精一杯、惨めったらしく踊ってやろうじゃないか。それで俺の願いがかなえられるのなら――。


「いつまでそうやって、自分が苦しめば良いって思っているの」


その時、宙に後ろから抱き着かれた。

コート越しに、彼女の体温を感じる。


「何を……言って……」


「確かに貴方は白理君の影なのかもしれない。貴方の白理君を想う気持ちはとても強いし、私だってどうにかしたいと思う気持ちがある」


「でも――それで貴方が傷ついていい理由にはならないわ」


……宙は本気だ。

本気でそう言っているのが分かってしまう。

彼女は本気で俺を――俺と有を救おうとしている。


「ありがとう。誰かからそう言われたのは初めてだ」


「なら――」


「でもダメだ。これは俺の役目だ、俺が断ち切るべき因縁だ。お前だって知っているだろ。――『強くなければ生きていけない』」


俺の始まりの言葉。とあるミステリから引用した格言。

これは俺の核となる言葉であり、時折引用させてもらっている。


実にはこれには続きがあり、恐らくミステリに通じている者ならばこっちの方で知っているだろう。


「強くなければ生きていけない――だけど、優しくなければ生きる資格はない」


俺は夜空を眺めながら言う。


「俺は強いだけだ。強さなんてものは誰にだって手に入る。心が――優しさというものが一番難しいんだ」


肉体的な強さなど筋トレすれば誰だって手に入る。

ちょっとの格闘術を齧ればそこらのゴロツキ共だって一網打尽だ。


だけど優しさ――精神的な強さというものは、どうにも鍛錬しづらいものだ。だが有は違う。


有は辛さを知っている男だ。

人間の鬼畜を、闇を、苦しみを知っている男だ。

その上で他人に優しくあれの精神で生きている。お人好しを通り越してもはやバカみたいだ。


だけどそれが――有の強さだ。


闇を見ても尚、その身に宿る善性をも捨てなかった男だ。


俺の最も親愛する男だ。


「だから今はいい。俺がアイツの足りない部分を補ってやれる。だがこれから先、俺がいられるとは限らない。……徐々に俺と言う存在がいなくなるのが分かる。


つぎ、いつ目が覚めるのか分からない。

目を閉じれば、そのまま二度と覚めないかもしれない。

別にそれはいい。俺が望んだことだ――だがやり残したまま死ぬのだけは嫌だ。


「JOKERは俺の代で終了だ。何もかも壊す。全部壊す。ジジィも黒神家も――アイツを縛るものは全部――ぶっ壊す」


俺は右手を握りしめながら、宙の方へと降り向く。


「だから、出来ればそのまま、アイツと友達でいてくれないか? それだけが……心残りなんだ」


「……元より、白理君とはもう親友の域に掛かっているわ。だから安心して頂戴」


「それなら良かった。少々面倒くさい部分もあると思うが、優しい奴だ。気にかけてくれると嬉しい」


そう言うと、宙は少し照れた様な表情を浮かべて、「あ、貴方も」と続けて言う。


「貴方のことも……友達だと、思っているから……」


「…………」


なんだろうか、この気持ちは。

俺は今まで一人で頑張って来た。

俺の周りにいる奴らは全員、俺の敵だった。

色んな思いを、感情を、善意を利用してきた。


それが日常で、当たり前で、平凡だった。

身内でさえも騙そうとしてきた。


だけど今は違う。宙は俺を――一人の人間として認めている。


「……そうか」


そう考えると俺に友達が出来たのはこれが初めて――か。


「惚れるなよ?」


「ど、どうしてそんな話になる!?」


不思議と嫌な気持ちにはならなかった。

俺は適当にちゃかして、それじゃあなと、今度こそ別れを告げる。


「それじゃあ......また明日」


「さようなら――えっと」


どうやら何て呼べばいいか戸惑っているようだ。

確かにいつまでも貴方呼ばわりは、俺も好きじゃないな。


かといって白亜みたく「むー」呼びはな......。


「――彼方」


暫く考えていた宙が、指を満天の星空へと向けて言った。


どう、良い名前でしょう――と続けて言う。

彼方......彼方かぁ......。

口のなかで何度も転がすように呟く。


「気に入った。それじゃあな学園探偵、会えたらまた会おう」


「えぇ......さようなら、彼方君」


そうして俺たちは別れた。

なんてことはない、ただの友達みたいに。

俺はその関係がなぜか心地よく感じられて、思わず顔が綻んでしまうのを必死に押さえ込んでいた。


==


「惚れるな......か」


彼を見送ったあと、私はなお、屋上に留まっていた。屋上に吹かれる風は冷たく、心地良い。

空は見とれてしまう程に綺麗で、本当に――一年前のあの時と錯覚してしまうぐらいに、美しい。


あの時感じた恐怖と、彼の格好よさ。

我ながら呆れるぐらいに単純だ。

ああそうか、これが恋なのかと分かるのにさほど時間は掛からなかった。


「私は、彼方くんが好き......」


ああ本当にバカだ私は。

なんでこんな人を好きになってしまったんだろう。誰も救われないのは分かっているくせに。


わかっている上で、菜穂の恋を応援したのに。


本当ならここで彼に打ち上げるつもりだった。

ふられる覚悟で、いやむしろその方がどんなに良かったことだろう。どんなに幸福だったことだろう。


彼がどこまでも自罰的で、自己に執着しない人物だということは分かっていたのに。

だけどそれでも、彼の気持ちを優先させたかった。そのさきに幸せが待っていないのにも関わらず、私は彼の思いを優先したのだ。


「......報われない恋は嫌い」


零れる涙を拭いながら、私は空を見上げる。


報われないのは嫌だ。バッドエンドは大嫌いだ。

だから、私は決意する。ハッピーエンドではなく、バッドエンドでもない。ビターエンドを目指して。


だから私は、この想いにさよならしなくてはいけない。

これからは一人の友達として、一人の探偵として、彼と向き合おう。


だからさようなら、さようなら、さようなら.......


「さようなら......彼方くん」


彼方の君へ、想いを馳せて。

私のなかで燻っていた恋は今、実ることなく封された。































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