EXTRA STAGE
病院を出ると、もう辺りは茜色の空に覆われる時間となっていた。
「やあ白理君。今日はお疲れ様」
病院の前には一台の黒塗りの
車はエアコンが効いており、小気味よいジャズが流れている。
排気音一つせず、緩やかに車は進行した。
「今、逢坂部先生は取調室で余罪を取り調べているよ。犯行の鮮やかさから、初犯では無さそうだと先生が仰っていてね」
夕焼けが染みる街並みを眺めながら、シルヴィアが言った。
「それにしてもよくやったよ君たちは。宙ちゃん、豊崎ちゃん、白理君、君たちの推理に拍手を送りたいぐらいだった」
あまり振動を感じさせないシート故なのか、隣にいた菜穂は、こてんと僕の肩に頭を預けて目を瞑って静かに寝ていた。
赤信号で一時停止した車、シルヴィアはゆるりと両手を放す。
拍手でもされるのかと思ったが、そうでもないらしい。
上部に付いているルームミラーから助手席を見ると、宙も眠っているのか、瞼を閉じていた。
「もしかして遠回りしています?」
「ははは、バレちゃったか。うん、まあ安心しておくれよ別にどうこうしようって訳じゃない。必ず家に帰すよ」
催眠ガスとかではない。単純に疲れからか眠ってしまったのだろう。
いや寧ろそれを狙っていたまである。
そうだ――今更だけどこの人は探偵でもあるんだ。
緩めた気を引き締めて、僕は尋ねる。
「それでなんです? 僕にこうまでして何か用でも?」
「別に何でも。今回の推理に置いて概ね、私の見立て通りだった。寧ろその歳で良くぞあそこまで思考を発展させたと考えても良いぐらいだ。ああよくやった、よくやったよ君たちは――本当に、良くぞやってくれた」
「…………」
信号が青になり、再びBMWは音も立てずに緩やかに進行する。
運転しながらシルヴィアは言葉を続ける。
「君たちのあの推理には『黄金郷の呪い』が含まれていなかった。いや、あの場では言う必要もなかったし、君たちもどうせただの迷信だと思っているのだと思うけれども、私は実は期待していたのだよ。君に、君たちに」
「……あまり期待しないで下さい。彼女たちはともかく、僕はただの生徒なんですから」
菜穂の頭をずらさないように、僕は少し体の向きを変えて、窓の外を眺める。
「その君に期待していたんだけどもね。彼女たちは正義側だから、だからどうしても解けない。あの謎は、あの噂は」
「僕をナチュラルに悪人側にしないで下さい。そりゃあ生きている以上一つや二つの軽犯罪を無意識に行ってしまった事もあるかもしれませんが、それを省けば僕が悪意を持って犯罪を犯したことなんてありませんよ」
「そこまでスラスラと言えると逆に怖いものがあるね……まあいいさ」
シルヴィアがちらりと隣の助手席に座っている宙と、菜穂を眺めながら口を開く。
「君たちを見ていると昔の僕を思い出すよ」
「宙ちゃんは条件下における事象を組み合わせて犯人を特定するのが天才的に長けていて、豊崎ちゃんは現場を見ただけで事象を物理法則だけで言い当てられる天才的な頭脳を持っていて、そして君は即座に相手の弱点を見抜ける様な、天才的な体術を持っている」
僕の――弱点看破が知られている?
宙から伝わったのか、それとも矢車か服部から流出したのか。
もしもそうじゃなかったとしたら、シルヴィアは見ただけで分かってしまったと言うことになる。
「今の発言を聞くと、まるでシルヴィアさんがそれを有していると聞こえるんですが」
「ああそうだよ? ――私は何でも知っている。いや、分かっている」
「宙ちゃんみたいな天才性を、豊崎ちゃんみたいな頭脳を、君みたいな体術を、私も持っているし、恐らく私の方が上だろう」
シルヴィアの蒼い双眸がルームミラー越しに僕を映す。
僕のしかめっ面が分かったのだろうか、その顔を破顔させてシルヴィアが冗談だよと言った。
「だけどね、本当に君には期待していたんだよ。君ならば『黄金郷の呪い』を解けると思っていた」
「どうしてそんなにも『黄金郷の呪い』に執着するんですか?」
つい気になって僕は訊いてしまった。
シルヴィアがその時、ガラス越しにふっと寂しそうな笑みを浮かべながら、口をつぐんだ。
彼のその様な反応は初めてだったので、僕が困惑していると。
外の景色が見慣れたものになっている事に気づいた。
僕は慌ててシルヴィアさんに伝える。
「この辺で止めて下さい」
「お客さん、あと数メートルだけ……!」
「そんな悪徳タクシードライバーみたいな事を言わないで」
屋敷の近くの住宅街、またもやスッと停止した車、僕は菜穂を起さない様に慎重に背もたれに寝かせながら、外に出る。
「愛されているね」
「友愛です」
運転席の窓を開けたシルヴィアにお礼を伝えて、帰ろうと背を向けた時。
後ろから声が掛かった。
「昔ね――私がまだ学生服に身を通していた頃だ。私には複数の友達がいてね――ほんの少しばかりの、ちょっとした出来心だったんだ」
遠い過去を思い返すように、落ちてゆく夕焼けを眺めるシルヴィア。
それさえ様になるのだから何も言えない。
――というか、今、なんて言った?
『六年ほど前かしら。旧校舎に肝試しに行ったという、当時高校三年生の男女三人組が黒い人影を見たって話があるの』
あの時、旧校舎に足を踏み入れた時に宙が言っていた言葉が蘇る。
高校三年生というと……十七か、十八歳の年ごろだろう。
シルヴィアは現在二十四歳――計算は合う。
「……まさか」
「さて、そろそろ豊崎ちゃんを送って行かないと、親御さんたちも心配するだろう。また機会があれば会おう白理君」
その答えは得られずに、僕はただ静かに発進するBMWを見送って、屋敷の方へと向かった。
==
何だろうか、この気持ち悪い感じは。
犯人は捕まって、あれだけ不安だった殺害方法もなんとか正解だったようだし。
これで終わったのだ――勲章であるはずの右手を見ながら、僕は深くため息を吐いた。
因みにこの右手を見た雪と白亜は血相を変えて僕の所へと訊ねてきた事に関しては、まあ、話さなくても良いだろう。
軽い夕食を取って、風呂にでも入ろうかなと思った僕は、その前にノートに軌跡を残すことにした。
横にある窓ガラスからは夜景が一望できる。
たまにそれらを見ながら、僕は右手の負傷のことも含めて詳細に記述した。
しかし――やはりどうしても気になる。
『黄金郷の呪い』どうしてあの時佐藤先生は、何故あの時になって言ったのだろうか。普通、あんな単語は出てこないはずだ。
心当たりがある者でしか、出てこない単語なはずだ。
「佐藤先生は――最初から『黄金郷の呪い』を知っていた? それで逢坂部先生が殺した……」
筋は当たっていると思う。
……まあ、遅かれ早かれ当の逢坂部は取調室にいるんだ。
詳細を聞けるのは確実だろう。
「でも――もしも」
あのシルヴィアが言っていた事が確かであるのならば。
本人そっくりに遺書を書けるプロがいるという事は。
『黄金郷の呪い』は実在していて。
六年前から――否、それよりも以前にいるのかもしれない『黄金郷の呪い』は。
今も旧校舎内にいるのではないのか――。
「……止めよう、時間が経てばシルヴィアさんが解決してくれる」
そう、遅くとも遅かれども、あの人ならば確実に解決してくれる。
ただいまはその時期じゃなくて、きっとそこには彼なりの考えがあるはずなのだ。
そこに口を出す程僕は思い上がってもない。
少なくとも旧校舎のことを『黄金郷の呪い』の事を調べなければいいのだ。
「いやいやいや! 僕たちもう調べちゃってんじゃん!」
そう、僕たちは調べてしまった。
実際に旧校舎に足を赴いてしまった。
そしておそらく『黄金郷の呪い』と繋がっている逢坂部を逮捕してしまった。
六年前、黒い人影を見たという二名の生徒は死んでしまった。
背中にじっとりと冷汗が流れるのが分かる。
僕は良い――学校内とかで襲われもしない限り、この館のセキュリティは強固なのだから、僕は殺される心配は少ない。
だが彼女たちはどうなのか。
菜穂は両親がいないし、宙だって母親は分からないけど、少なくともこんなガチガチのセキュリティをしている家では無いだろう。
殺される――今かもしれないし未来かもしれないしだけど殺される確実に殺される。
殺されるんだ――ゾッとするような感覚が僕を襲う。
まるで手足が凍り付くように、恐るべき事実に戦慄するように。
「どうしよう……どうすれば――」
その時、ヴ―ッと机の中からバイブ音が鳴り響いた。
自分のスマホは今ポケットの中に入っている――僕は机の引き出しを開けて、黒いスマホを手に取った。
このスマホは昨日矢車に借りたものだ。結局返しそびれた、充電の少ない安っぽいスマホ……画面には着信が入っていた。
『矢車重蔵』――と、画面には表示されていた。
「も、もしもし……!」
『白理有……か、良かったまだ充電は生きてるようだな』
荒い息遣い。走っているのか、だけど走っている音が聞こえない。
「もう残りすくないです。えっと充電コードどこだ……?」
機械通の白亜なら、この機種に対応した充電コードを持っているはずだ。
椅子から立ち上がって白亜の下へと向かおうとした僕に、矢車が『白理』と僕に言った。やけに真剣みを帯びた声に、僕は訝しむ。
『最悪のケースだ、今回ばかりは俺の失態だ……ッ』
ドンと石壁に拳を叩きつけた様な音が聞こえる。
相当悔んでいるようだ。あまりの事態に僕はペンを持ってノートの枠外に書き込む。
「さ、最悪……?」
『――あの事件はまだ、終わっていなかった!』
ヒゥっと唇から声が零れ出た。
まさか――いや、あまりにも早すぎる。
「矢車さん貴方一体いま、どこにいるんですか!?」
『俺は大丈夫だ……今しばらくは、お前らの所には行けなさそうだがな……」
「傷を負っているんですか!? 救急車は!?」
『いいか……白理有、警察は頼るな。こんな事を言うのは大人として情けない話だが、今はお前だけが頼りだ』
はあ、はあと苦しそうな息遣いに、予想以上に彼が重傷を負っているのだと察する。
これが白亜ならば、今すぐに位置情報を逆探知できるのに……!
僕は部屋の外に出て、白亜がいる部屋を開ける。
「な、なに!?」
「白亜、今すぐこのスマホで位置情報を検索してほしい!」
僕がスマホを見せて、それで察したのか白亜は直ぐにパソコンの後ろからコードをそのスマホに指した。セキュリティもされていないスマホからデータが白亜の持っているパソコンへと流れて行く。
僕は通話を切らずにスピーカーモードにして矢車との会話を続ける。
『今日の夜、警察に不信な連絡があったと言われてな。服部は消してくれと言ったそうだが、その前にどうしても聞いてみてくれと、俺の同期が連絡してくれてな』
「はい」
『俺に取り付けてくれと言われて、俺はその子の録音を聞いたんだ……そしたら、そいつ――月見宙だった』
その一言に、完全に思考が硬直した。
真面な応答さえ出来ずに、ただただスピーカーから矢車の声が聞こえる。
『今日で『黄金郷の呪い』は全て片が付くから、俺も来て欲しいと……』
「月見さんは、月見さんは今どこに!?」
『月見宙は俺に――――』
その瞬間、鳴ってはいけない音が鳴った。
ピシュンと掠れた音が後方から響いて、かしゃんと携帯が落ちる音が聞こえる。
何が起こったのか、硬直する僕は目線を上げて白亜の方を見た。
スピーカーにしていたからか、白亜も当然聞こえているはずで。
白亜が震えた声で言った。
「
「矢車さん! 矢車さん!!」
痛みを堪える様な矢車のうめき声と、後ろから響く足音。
その足音が停まると、恐らく携帯を拾われる音が聞こえて、その直後。
ブツッ……と電話が切れた。
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