真実は時に小説より奇なり


 翌日。眠たい眼を擦りながら僕は学校へと向かう。

 暖かい陽気に制服の第一ボタンを外して、門の方へと足を運ぶ。

 校門には真っ白な服を着た青年が立っていた。


「やあ、白理君」


「……こんにちはシルヴィアさん」


 平時よりも暖かいはずなのに、いつも通り真っ白なコートに青いシャツを着こんでいた。ハンカチを額に拭いながら校舎の方を指さして「宙ちゃんと菜穂ちゃんはもう先に行っているよ」と言った。


「今日だねえ、白理君。私もやはりこの時ばかりは緊張してしまうよ」


「他人事なのに?」


「あはは、言い得て妙だね。私が師匠あの人の下で探偵業をお手伝いさせてもらったのは今ぐらいの時期だった。そんな私でさえお披露目というものはさせて貰えなかった。……あの子はね、小さな妹として見ていたんだ。私の両親は幼い時に死んでしまってね、だから必然的に、師匠は私の親代わりみたいなものだったし、あの子は可愛い妹として見ていたよ」


「可愛い………」


「疑問符を付けなかった事に対しては褒めてあげよう。まあ、宙ちゃんももとよりああ言う性格では無かったんだよ。寧ろ、君と出会ってから笑う顔が増えた気がする」


「それは……どうでしょうかね」


 微笑というか、冷笑だと思うけれど。

 そんなこんなで、シルヴィアと別れた僕は職員室に行く前に、少し現場である三年の教室を覗きにいく。


 教室の中は現場保全の精神なのか、あの時と同じように、教室はそこにあった。

 整備された机、窓際の方にある机の一部は横に倒れており、暴れた形跡が確認できる。流石に吐しゃ物や零れた唾液らは採取されてないようだが……。


「白理君じゃないか。久しぶりだね」


 向かいの扉に佇む一人の人影に、僕は慌てて後ろを振り向いた。

 柔和な面立ちの男性——確か服部といったか。

 お久しぶりです――と僕はそう言いながら、教室の外へと出る。


「もう行かなくていいのかい? 彼女たち、もう集まってるよ」


「え、えぇ……今行きますよ。服部さんは?」


「僕はちょっとここら辺を歩いてて。ここ図書室とか凄い大きいよね!」


 目を輝かせながら子供みたいに言う服部に、僕が対応に困っていると、背後から「服部!」と大きな声で呼んだ男性がいた。

 昨日会った時と同じ私服を着込んだおじさん、もとい矢車。


「や、矢車警部……!」


「そんなところでちんたらやってないで来い! 白理有もさっさと職員室に行け! 警察は暇じゃねえんだ!」


 矢車と昨日出会ったことは警察にも内密にしている。

 それは勿論、彼の後輩である服部にもそうだろう。

 建前は『高校生の頼みに矢車警部が折れた』と言った感じだろう。

 矢車と共に職員室に向かう最中、バレない様に片目を閉じながらニヤリと笑う矢車を見た。


 もしかしてウインクのつもりなのだろうか……全然似合ってないぞとばかりに、僕は駆け足で職員室へと行った。


 職員室はコーヒーの匂いが充満していた。午後中に来ていたのに、生徒は誰もいないというのに、教師というのは苦労が多い職業だな……。


「あ、有くん」


 宙たちはどこにいるのだろうかと探していると、菜穂と目が合った。

 気づいたのか、菜穂はその満点の笑顔を僕に向けながら、手を小さく振るう。


「く、可愛い」


「いやお前じゃねえよ」


 胸を抑えて背中を曲げる服部に、矢車が背中を叩いて突っ込みをいれる。

 取り合えず置いておいて、僕たちは慌てて宙の下へと駆け寄る。

 職員室の最奥部、宙たちをU字型に教師陣たちが囲っていた。

 その中へと無理やり入りこみながら、僕は菜穂の隣に立つ。


「……!」


 その時、犯人と目があった。

 緊張でドクンと心臓が高鳴る。僕は自然な感じで会釈しながら目線を外す。


「――それでは、僭越ながら発起人である私が、この事故……基い殺人事件の考察を行いたいと思います」


 頃合いを見計らったかのように、宙が一言そう言った。

 その瞬間、静けさが輪に掛けて静まった。

 空気清浄機とエアコンの音だけが聞こえて、ここら辺は流石大人だなと思ってしまう。


「まず……第一に、先生方に伝えておきたい事があります」


「……なんなのかな?」


 恐らく、宙の担任の教師であろう女性の人が、訊いてきた。


「ありきたりなミステリという訳では無いですが――私が先生方の、そして協力してくれた警察の皆さまの時間を取る以上、余計な手間は掛けさせたくありません」


 前置きと言うような語り口調だった。

 それが宙なりの緊張の静め方なのだろうか、宙は続けて言った。


「――犯人はこの中にいます。なので、互いに十分な距離を置いておくと良いかもしれません」


 まるでモーセが海を割るが如く、新型ウイルスが蔓延した時を彷彿とさせるように、各教師陣が静かに互いから距離を取った。余計に騒がない分、何とも言えないような緊張感が走る。


「……考察を始めます。まず、殺された佐藤先生は元より問題のある教師でした。金にがめつい先生でした」


 初っ端から口が悪い宙に、教師達は苦笑い。


「三日前の放課後、佐藤先生に呼ばれたそこの白理君と霧島ミノルは職員室に行きました。それぞれ時間は違いますが、短時間なので、そこは考慮しません」


「本来であるならば職員室にいるはずの佐藤先生ですが、どうやら自分とは関わりの薄い三年生の教室にいました」


 宙の視線が三年を担当しているであろう方へと向く。


「白理君、あとは第一目撃者である貴方が説明しなさい」


「……了解」


 それから僕は先生たちの前であの時の出来事を説明した。

 こうして何度も説明していく度に、僕は頭の中で疑問符を浮かべる。


 何故――犯人は佐藤先生を殺したのだろうか。


 今回の事件、僕たちはミステリにおける『フーダニット(Who had done it犯人は誰か)』と『ハウダニット(How done itどうやって犯行を成し遂げたか)』は分かった。


 だが問題である動機――『ホワイダニット(Why done itなぜ犯行に至ったか)』それだけは分からなかった。推察も考察も出来ない未知の領域。

 犯人は分かっているから、この場で判明出来ればいいんだけれど……。


「……私たちは最初、毒殺を疑いました。空気清浄機を使って散布する……ですがそれだと第一発見者である白理君達にも被害が及んでいるはず。それじゃあ昼休みのときに? 消化器官の活動は食後から二、三時間後だと言います。しかもお昼はどうやら佐藤先生はそうじゃないですか――それからこれは検察からの答えですが」


 宙が矢車に目配せして、矢車が答える。


「検死の結果、ご遺体からは毒物が検出されなかった。毒殺の可能性はゼロだ」


 動揺が伝わっていくのが感じた。

 それならば、一体どうして佐藤純一は死んだのだろうか。

 突然と自殺を図った佐藤純一。それが毒でないのであれば、それはもはや呪いだ。


「しかしこれは明らかに殺人事件です。ところで先生方に質問ですが、一昨日の放課後、佐藤先生は一体誰と話していたんですか?」


「確か化学の雹月先生だと思うけど……」


 僕の担任の先生がそう言った。

 少し後方にいる雹月先生は相変わらずと言った様子で、コクリと頷く。

 ここで初めて知ったのだが、雹月先生は三年生のクラスを受け持っているそうだ。


 ならば自クラスの教室で佐藤先生を呼んだ……というのは道理が付く。


「雹月先生、理由をご説明下さいますか?」


「......生徒とのコミュニケーションについての相談をしていた」


「その為にわざわざ佐藤先生が雹月先生のいるクラスまで出向いたのですか? 先生と言う生徒の模範的存在である人が、歳上の人をのですか?」


 宙の発言は相変わらず鋭く、聞いているこっちでさえギョッとする。

 強気というのか、自分に正義があったときの宙の口の悪さを思い知った。

 雹月先生は何も言わない。ただ黙っているだけだ。


「……まあ、雹月先生はこの学園の元生徒ですから、佐藤先生とはそんな野暮用でも付き合ってくれる関係だったとしても不思議では無いですね。すみません脱線しました」


 宙がその黄色い双眸を菜穂に向ける。

 コクリと顎を引いて頷く菜穂は、少し呼吸を整える様に深く息を吐いた。


「さて、ではここからが本番です――ここからは菜穂さんが」


「う、うん」


 ここからは謎解きの時間だ。

 菜穂はちらりと僕の方を見た。


 大丈夫だよ、と僕は目で伝える。

 それが伝わったのかどうかは分からないけど、前を向いた彼女の顔はスッキリしたような顔つきになっていた。


「それではどうやって佐藤先生が殺されたのか……私が思いつくに、それはだと思います」


「音......?」


 誰かが不思議そうに呟いた。

 そう音、ミュージック。生活を彩らせる大切なもの。

 音で人は殺せない。音楽で人はおかしくなれない。


 昔……確か『自殺の聖歌』とも呼ばれた曲があった。

 だけど明確な論理に基づいて人を自殺へと導くなんて事は無い。

 その場の後押しはしたと思うが、結局は、自殺なんて逃げであり心に闇を抱えているものしか出来ないからだ。


「……経緯はこうです。雹月先生と別れた佐藤先生は何らかの形でその教室に留まることになりました。もしかしたらここで有くん達を待っていたのかもしれません」


「音には――過剰な低周波音に晒されると様々な健康被害を引き起こすことになります。眩暈やふらつき、果ては幻覚まで」


 低周波音の騒動は問題視されている。

 単純に寝られない人もいれば、菜穂が言っていたように幻覚など、被害は人それぞれだ。


「ここからは私の推察ですが――低周波音に長く当てられた佐藤先生には幻覚が見え、錯乱しました。そんな状態で出会ったのが――有くん達です」


「ちょっと待ってください。豊崎さん、先ほど白理君が話していた様に、扉には鍵が掛かっていたでしょう? 信頼できる生徒ならば普通、何としてでも鍵を開けに来るのが普通だと思います」


 挙手をして茶髪の女性が菜穂に問いかける。

 恐らくは担任の先生なのだろう、菜穂はそれは……と僕の方を見ながら、申し訳なさそうな顔をした。


「有くんの話に出ていた通りです。――あの扉には磨りガラスがはめ込まれてありました。有くん、そこから佐藤先生の状態は確認できた?」


 菜穂の問いに、僕は記憶を辿らせながら答える。


「ううん。曇って良く見えなかったんだ。見えたのはシルエットだけだよ」


 その時になってようやく僕も気づけた。

 そうか—―ある意味、は僕がやってしまったのか。

 菜穂が少し曇った表情で言葉を続ける。


「……有くんの言う通り、外からは内部の確認が出来ませんでした。それは――。佐藤先生から見えた扉の向こうの景色は――黒色の人影の姿のみ」


 そこからは簡単だった。

 眩暈に吐き気に頭痛に幻覚と、恐らくこれ以上ないほど精神が揺れている状態で、不覚的要素が出てきた。


 そいつはもしかしたら自分の事を狙っているのかもしれない。

 そう考えた佐藤先生は逃げようとした。

 だけど逃げ場なんてどこにある? 唯一の出入口である扉には謎の人影がいる。


 ――そう、窓しかない。


 出入口が、逃げるべき場所は窓しか無かった。


「貴方は悪くないわ。そう仕向けた犯人が悪い」


 宙がきっぱりと皆に伝えるように言った。

 その物言いに、僕は幾分か救われた様な気持ちになった。


「最終的には自殺に見せかけて、そして殺人事件として見られても真っ先に有くん達が怪しまれるように仕組んだ人物――それは悲しいことに生徒を導くはずの教師でした」


 宙が弾劾するかのように、責め立てるように小さく言った。

 ゴクリと唾を呑み込む。

 ここからは――僕も本気を出さねばならない。


「スピーカー—―校内のスピーカーはここ、職員室で管理されています。今では低周波音の音源なんてネットを探せば幾らでもありますし、最近新しく新調したスピーカーなら、低周波音でもちゃんと流せると思います」


 相手の一挙手一投足をちゃんと見て、僕は菜穂の後ろに立った。

 矢車とシルヴィアが静かに前に立つ。

 宙はその小さな右手を前に上げて、とある人物を指さした。


 紺色の服に、全身脂身に包まれたふくよかな男性。

 確か、僕は知らないけど社会科を担当している教師だということは分かっている。


 その人物の正体は――。


「貴方ですね、逢坂部正弘あさかべまさひろ先生」


 あの日僕が最初に職員室で出会った、先生だった。


「……わ、私が……ですか?」


 ざわっと逢坂部の周囲にいた教師が割け、先生が慌てた様子を見せる。

 逢坂部正弘先生はここにやってきてから長い先生だ。佐藤先生とも面識があるだろう。


「反論はどうぞ取調室で。矢車さんが好きなだけ聴いてくれます。――貴方があの時間帯にいることは既に白理君が証言しています。ここにいない霧島ミノル君も、確かに職員室にいたと言っています。それに最新のスピーカーはどの音源を流したかが分かる様に記録ログが残っています。どうしても認めないと言うなら、そちらも調べてみても構いませんよね?」


 最後の発言はハッタリだろう。この土壇場でそんな嘘も吐けるとは……。

 新しい探偵の誕生を目の当たりにしている様で、少しばかり目を奪われてしまった。


「……ッ! 白理君!」


 呆然と、もはや恐ろしいぐらいに真顔だった逢坂部の顔が醜く歪み、咆哮を上げてこちらに来ると同時に、シルヴィアが叫んだ。


 矢車とその他の警察官は急いで犯人を取り押さえようとするが、その際に逢坂部は机の上にあったであろうハサミを取り上げて、その包囲網を突破する。

 シルヴィアが宙の前に立ちふさがるが、それを見るや否や、逢坂部の目線が僕たちの方へと向いた。


「お前が……お前がいなければぁ!!」


「有くん!」


 ハサミの切っ先には、血が付着していた。

 その血の赤さを見て、そして菜穂の声を聞いて、僕の体は動いた。

 姿勢を低くして、動作の中心核である足の膝蓋骨を正確に穿つ。


「ごっ――」


 崩れる体、しかし執念なのか右手に持ったハサミだけは決して離さずに、僕の方へと振るわれる。


「――有くん!」


 無意識に、空いた右手でハサミを抑え込み、無理やりハサミを引っ張り上げる。

 態勢を崩した逢坂部の背後に回り込んで、相手の右腕を持ち上げて――。


「あ、が、アアアァァァ……ッ!」


 ゴキリと鈍い音が響いて、脂汗を浮かべた逢坂部は醜い声を放つ。

 手に持ったハサミがカランと落ちて、指の隙間から血がぽたぽたと落ちる。


「犯人確保!」


 逢坂部に突き飛ばされて、転倒した机とぐちゃぐちゃの書類にまみれた矢車が叫び、その言葉に服部が慌てて手錠を掛ける。逢坂部はこれ以上の反抗は出来ないと分かったのか、ただただ痛みに悶えている。


「白理君!」


「有くん!」


 そんな姿を呆けてただ見ていた僕に、宙と菜穂が慌てて近づいた。


「て……大丈夫なの?」


「手……あぁ、そうだったね」


 右手を開く。右手には一文字の様にざっくりと斬られていた。

 青い血管とピンク色の肉が垣間見える。その傷口からだくだくと赤い血が流れ続けている。


 それを見た菜穂の目の色が変わった。


「た、大変!」


 このくらいの痛みは慣れているから何とも思わなかったけど、周りの人から見れば大怪我なんだろうか。菜穂は自分のハンカチを何重にも巻き付けて止血しようとする。


「それじゃダメよ! 誰か医療箱を持ってきてください!」


 宙の顔色が悪い、もしかして血が苦手なのだろうか――と、そんな事を思っていると、医療箱を持って来た警察官が駆け付けて、僕を座らせると応急処置に入った。


 ==


 それから何台ものパトカーが敷地内に入って行って、逢坂部は連行された。

 応急処置だけで十分だったのに、わざわざ救急車まで呼ばれてしまって、近くの総合病院で診てもらうことになった。


 皮と血管の一部は切れているけど、この分ならば痕には残らないだろうと、包帯を巻きながら医者はそう言った。


「君強いね……もっと暴れているかと思ったよ」


 きゅっと包帯を結び終えた医者が零した一言には、流石に笑うしかなかったけども。


「うわ~ん良かったよぉ!」


 近くの簡易椅子に座った僕の下に、菜穂と宙がどうだったと聞いてきた。

 痕は残らないし大した怪我じゃないよと伝えると、菜穂はその場でわんわんと泣き始めてしまった。


 何故か泣いている菜穂の頭を撫でて、傍にいた宙に心配しないでと伝える。


「……言ったでしょ。捻じ伏せる事は出来ないけど、こんなんでも女の子一人守ることぐらい出来るって」


 そうだ、今度こそ僕は守れたんだ――そう考えるとこの痛みも傷も全部が勲章の様に思えてくる。そんな僕に彼女は少し表情を和らげながらクスリと笑って言った。


「……捻じ伏せてはいたけどっ」


「そ、そうだったっけ?」


「そうよ――お疲れ様、白理君」


 宙の何気ない一言、労いの言葉。

 ああもう終わったんだと、脱力感が体を支配する。

 本当ならばここでありがとうの一言でも返したかったんだけど。


 ――だけどどこか彼女の思いつめた表情が気になって、何も言えなかった。

























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