学園探偵の始まり
夜、僕はお風呂から上がって部屋の中で一人机に向かっていた。
ふと肩の方を手で擦ってみる。ここに銃弾が埋まっていたと考えると、背中に冷たいものが走っている様な感覚がした。
ノートを開いていつも通り、情報を書き込む。
僕にとって夜というのは実に久しぶりな感覚であり、まるで学校をサボった日の様な非日常感だ。だけど今の僕はさほど元気になれる気がしない。
「言ったじゃないか、隠し事はせずに書けって」
まず……夜に僕が意識を覚醒させているというこの現象は、久方ぶりのことだ。
だけど異常だとも異質だとも僕は思っていない。
『成長』した――この現象について、僕は何となくそう思っている。
彼との対話を経て、菜穂に出会って僕の心は少しだけ晴れやかになった。
自分でどうにかしなければと言う気持ちになった。彼ばかりに任せてられない。
「今日はとくに大変な一日だった……まず朝から――」
最初に僕が彼の存在に気づいたのは小学生の時だった。
そこから実に数年間、彼との筆談はノート五十冊ぐらいは軽く超える量になった。
そのノートの最初の
僕らが一人の存在へとなるために、記憶の供給のためにノートには嘘を書かない。
これは言うまでもなく整合性に欠けるからだ。なので書く内容は例え会話の一つ一つでも正確に書かなければ……と僕は思っている訳なのだが。
「君が書かなきゃ意味が無いんだぞ」
ノートの端っこに『バカヤロー』と書いて満足した僕は、ベッドに乗って電気を消す。こんなにも起きたのにまだ体は元気で、頭は冴えている。
夜更かしのテンションなのか、それともこの時間に起きている彼を、この身体が覚えてしまっているのか。何とも言えない感覚に僕は遂に飛び起きて、少し風に当たろうと外に出た。
夏が近づいてきているからか、今日の気温は少し暖かくて、せっかくならば河川敷の方まで歩こうかなと、そっちの方向へ足を延ばした時、対向車線に自転車に乗っている一人の人物を見かけた。
金髪の見るからに陽の気配を感じる少年。
「靖国」
「お、有じゃねえか。珍しいなこんな時間に見かけるとは」
靖国は僕に気づくと、車が通ってないことを確認してからこっちの道にやってきた。
自転車の籠には例の如くサッカーボールが入っている。
今日は誘われなかったから分からないけど、恐らくは、あのおっさんサッカークラブとか言う団体とサッカーしていたのだろう。
「眠れなかったからね、少し風に当たろうかと」
「寝る? 今は八時だぞ?」
まるで信じられないとばかりに驚く靖国に、慌てて返した。
「少しあの後寝ちゃっててさ、眠れないんだよね」
夜の八時ってみんな寝る時間じゃないのか……。
いつも午後の六時には意識を閉ざしていることをみんなは知らない。
僕の二重人格を、病気を、みんなには知られたくは無いし悟られたくもない。
「……ったく」
靖国はしばらく沈黙を続けたまま、ニヤリと笑いながら腕を回して言った。
「それじゃあ、夜更かしとでもするか!」
==
「凄い、凄いよ靖国! 僕……夜更かししているよ!」
あれから僕は靖国につられて街へと出た。
バッティングセンターや、ゲームセンター、総合アミューズメントパークで遊びまくった。靖国はサッカー以外のスポーツも上手で、だけど初心者の僕を楽しませようとしてくれた。
「まだ夜の十時だけどな! お前の生活リズム小学生か!」
靖国が爆笑しながら自転車を押して歩いている。
久しぶりにみた夜の街は、それくらい僕にとって印象的だった。
全てが煌めいて見えて普段『彼』が見ているのはこんな世界だったのかとそう思う。
「靖国っていつも何しているの?」
ふと、気になって彼に訊いてみた。
遊び慣れている彼は、この道中も様々な友人たちと会っており、その中には少し強面の人とかもいた。
まさか靖国に限ってそんな事は無いと思うけど……。
「そうだな……まあ大抵は友達と一緒に遊んでんな。サッカーは昼にやってるし、夜は普通に寝てるよ」
「へえ……意外だな。靖国ってもうちょっと遊んでいる方だと思った」
「俺のことなんだと思ってんだよー」
一頻り笑いあったあと、靖国が自転車にまたがって後方部に指さした。
「乗れよ、家まで送ってってやる」
==
シャーッと坂道を駆け下りる自転車。
坂から見える夜景は絶景の一言で、ネオンの光が筋となって通り過ぎ去っていく。
この長い坂道――前で運転する靖国と僕はこの間も、やはり他愛のない会話をしていた。
「今度さぁ!」
「うん!」
びゅうびゅうと風が通り過ぎ去って、大きな声を言わなければ届かない。
「ミツルと一緒に遊ぼうなぁ! あいつ確かボウリング上手だって聞いたからよ!」
一瞬、脳裏にミツルの姿を思い浮かべた。彼は今、何をしているだろうか。
「……そうだね!」
「ミノルの奴、女にモテそうだからよ! いつか合コン組ませてやろうぜ!」
「そうだ――うぇ!?」
「はっはっは!!」
がががっと砂利道に入って、僕は慌てて靖国の背中にしがみつく。
もしかして靖国は本当は分かってたのでは無いのだろうか。
本当は――緊張で眠れなかった僕のことを。
そう……既に僕はこの件を(白亜から聞いた話を除いて)彼女たちに伝えている。
二時間にも及ぶ電話の末――ついに、菜穂が犯人を突き止めた。
宙も菜穂の意見に同意して、最終的な筋道は彼女が推察した。
犯人は意外な人物で、だけど恐らくは――だろう。
宙がシルヴィアに言って、そこから矢車に伝わって――明日、全ての教師を集めてくれるらしい。
そこで……まあいわゆる『犯人はお前だ!』をする訳なんだけど。
実際にするのは彼女たちで、僕はただの付き添い人な訳なんだけど。
どうしてか緊張してしまう――本当に犯人は『■■』で合っているのか? とか推理は本当に合っているのか――とか。
よくあるミステリ小説の醍醐味であるアレだが、よく名探偵は自信満々にやっているなと、心底そう思う。彼らは自分の推理に絶対の自信があるのだろうか。
「俺はさ! お前がなにやってるか全然知らないんだけどさ!」
靖国の言葉が響く。
「頑張れよ」
「…………」
今の発言はおそらく独り言だったはずだ。
僕はこの時、自分の聴覚が良いのを心底良かったと思った。
靖国が照れ隠しなのかジャカジャカとサドルを漕ぎまくる。
春の終わりと夏の訪れを感じる風が、僕たちの髪を撫でながら、通り過ぎていった。
「んじゃ! またな有!」
「あぁ、ありがとう靖国」
屋敷から少し離れた地点、いつもの場所で別れた僕は、屋敷を目指して歩いてる最中だった。時刻は午後の十一時、こんなにも遊んだのは久しぶりで、ボウリングをやった余韻がまだ残っている。
屋敷の門まだ開いているかなぁ……とそう思っていると。
「あら白理君じゃない」
「……参ったな」
本当に参った。まさかこの道、僕と知り合いの人としか鉢合わないのか。
夜景の如くの黒髪、青色のインナーカラー――お月様みたいな黄色い双眸。
僕の目の前に文系完璧美少女、月見宙がいた。
「初っ端から失礼わね、参ったななんて、そんなに私のことが嫌いかしら」
「言葉の綾だよ、月見さん。それにしても珍しいねこんな夜遅くにどうしたの?」
「……あの人に会って来たの」
あの人――こんなにも宙が嫌悪感を露わにしているのは初めて見た。
一体誰の事なんだろうか……。
「あの人?」
「……前にも言ったでしょ。シルヴィア・ローレンスのことよ」
「あ、あー……そうだったね」
宙に言われてようやく思い出した。
そう言えばあのノートにも書かれていた様な気がする。
確かにシルヴィアも宙には嫌われている――と言っていた。
「今更なんだけど、どうしてシルヴィアさんの事を嫌っているの? いい人だよ?」
「別に良い事を言う人だからと言って良い人だとは限らないわ。貴方にとっての良い人が、私にとっての良い人とは限らないし、そもそも良い人なんて言うのは主観性に基づいた感想だし――」
「分かった分かった! 僕が悪かったよ!」
マシンガンみたいに口早に言う宙に、白旗を上げる僕。
この件についてはあまり触れない方が良さそうだ……。
「別に……ただ、あの人は私にとっての『天敵』よ。
「……ははぁ」
「私としたことが失言したわね。今のは忘れなさい、いいえ、忘れろ」
「最後脅迫だよね!?」
「……そうね、ここで話すのもなんだし少し付き合ってくれるかしら」
有無を言わせないその言いぶりに、僕は渋々と彼女のあとを追うのだった。
彼女の後に続いてきたのは、近所の区民公園だった。
夜なだけあって公園には誰一人としていない。
寂れた注意書きの看板の端っこに描かれた落書きを見ながら、僕は宙に訊いた。
「それで話ってなんなの?」
「少し白理君には知ってもらいことがあるの」
なんだ……? 知ってもらいたい事って。
「私は明日、犯人を捕まえるために皆の前で推理を披露する事になるのだけれど」
「う、うん……」
「もしも犯人が逆上して、私たちを襲いにかかるかもしれないわ。追い詰められた相手ほど、何をするか分からないもの」
「まあ可能性としては十分あり得るね」
逆上した犯人こそ、失うものが何もない犯人こそ――何をするか分からない。
最悪、ハサミとかコンパスとかで刺してきたりするのかな……?
「それじゃあそれこそ矢車さんとかに……」
「いいえその話はもうとっくの当にシルヴィアに言ったわ。難攻不落の肉壁を作ると彼は言っていたわ」
「冗談……だよね? そうだよね!?」
あの人のことだから本気でしそうにもある。
頭の中に警察服を着た人の上に座って推理を披露する宙の姿が思い浮かんだ。
……いやなんで座るんだよ、どうして女王様なんだよ。
「心外ね」
宙がブランコに乗って揺れながらそう言った。
風に揺られるたびに、黒のニ―ハイソックスの更に上部が見えそうになる。
果たして宙は気づいているのだろうか……いやそれよりも。
「心を読まれた……!?」
「私なら鞭も持っているわ。無知なものに鞭を振るう……ふふっ」
「さりげなく訂正しないで! サディストなのは認めるのかよ! あとそれ別に面白くともないからね!?」
なんてそんな会話を繰り返して、何だか今までのイメージというか、印象がガラリと変わった様な気がする。なんか思っていた以上に話しやすい人だな……。
「別に私だってこういう話ぐらいするわよ。女子高生らしく街でスイーツ巡りしたり、菜穂たちと一緒に恋バナに花を咲かせたり」
「へ、へぇ……」
いや花を咲かせるより鼻を明かせる方が似合ってるよ――とは言わないでおこう。
意外だが、まあ別にそこは人それぞれだ。一種のギャップとして見ておこう。
「それじゃあなんで僕に?」
「菜穂のことよ。警察もそうさせないように動くでしょうけど、それでも一番近くにいる貴方の方が適任よ」
「……僕に大の大人を捻じ伏せられる力なんて持ってないよ」
「別に捻じ伏せてもらうつもりは無いわ。……女子を庇って死ぬ、男としてこれ以上の名誉は無いでしょう?」
「なんで僕が死ぬ前提なのさ!」
しかしまあ、よくぞここまでぺらぺらと話せるものだ。
いつも見たいに、彼女は平然そうに振る舞っている。
「月見さんはさ……怖く無いの?」
「何がかしら」
「それはほら……さっきも言ってたじゃん。推理を披露するって。緊張しない?」
当事者ではあるけれど、実際に話すことはない僕でも緊張で寝られなかったんだ。
宙は菜穂の……僕たちの推理によほど自信があるのだろうか。
「緊張……ね。探偵になるのだから、こんな事は日常茶飯事になるかもしれないじゃない。その度に一々ナイーブな気持ちになっていたら、精神が擦り切れちゃうわ」
「いやでも……いや、何でもない。強いんだね」
「強くなくては生きていけない――」
「フィリップ=マーロウだね。僕も好きだよその言葉」
アメリカの小説家 レイモンド=チャンドラーの小説『大いなる眠り』。
そこから始まる七作に出てくる主人公フィリップ=マーロウは、ご存じの通りハードボイルドな性格で、多くの名言を生み出したキャラクターだ。
因みに、ロボットアニメの有名シーンで『撃っていいのは撃たれる覚悟のある奴だけだ』――とあるが、あれも実はフィリップ=マーロウが言った言葉だ。『○○の言葉だよね』とは言わないで貰いたい。貴方だって、自分の好きな曲を『○○の曲』じゃん! って言われるのはイヤだろう?
「流石読書家……そう、ね。別に強がりではないのだけれど、どうしても、父さんの事を思い出しちゃうわ」
「お父さん……?」
「そう……お父さん『月見星夜』は娘贔屓抜きにしても、名探偵だった。鮮やかに華麗に、事件を解決していく様は、本当に芸術品のようだったわ」
……確かに、よくテレビとかでは月見星夜をモチーフにした名探偵が多く出ているし、彼に助けられた人だって大勢いるわけだろう。
「恰好良いお父さんだったんだね」
「いいえ、お父さんは別に恰好よくなかったわ。いつもだらしないし、髭はあんまりそらないし、服だってぼさぼさだし、いつもコーヒー臭いし」
「……お父さんはね、事件を解決する前なんかは泣きそうな顔をしているの。自信なんて無くて、いつも祈るように事件を解決させてきた」
「『自分の推理のせいで冤罪に掛けられる人がいる』――ってね。だから何度も泣きそうになりながら、時には泣きながら、事件を突き詰めていくの」
それが幼い時に見た『お父さん』の姿だったのだろう。
きっと月見宙は、『お父さん』の姿を見ていなかったのだろう。
いつも見ているのは『名探偵』月見星夜の姿で、それを追いかけ続けて。
きっとあの人が死ななかったら、宙の性格も夢も変わっていたのではないだろうか。
……いやこれ以上は野暮だ。止めておこう。
「……あのさ、本当に大丈夫なのかな。幾ら警察が手伝っているとはいえ、高校生の話なんて誰も聞いてくれないよ」
宙の話を聞いて少し怖気づいた心から零れた言葉が、響いた。
宙は漕いでいたブランコを止めて、僕の目を真っすぐ見た。
「――信じているわ。だから貴方も信じなさい」
「…………え?」
「貴方が必死にかき集めて、菜穂が繋いだその推理は正しいと私は思うわ。だから貴方も信じなさい――大丈夫、足りない部分は私が補うから」
「だって私たち――お友達でしょう?」
……本当に強い子だなと、そう思った。
自分だって怖いくせに、緊張している人こそよく喋るとはよく言ったものだ。
いまだって手が震えているし、だけどそれらを押し隠してまで、僕を励ましてくれたのだ。
「……信じてるよ『名探偵』さん」
「それはまだ早いわ――そうね、これが終わった後は『学園探偵』とでも名乗ろうかしら」
宙はクスリとそう微笑んだ。
その微笑みは月明りにも負けないぐらい、とても美しかった。
「……ところでいつ菜穂とは付き合うのかしら?」
「……ははは」
「早く付き合いなさい、いいえ、付き合え、結婚しろ」
「そんな脅迫きょうび聞かないよ!」
そんな会話を最後にして、僕らは帰路に着いた。
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