ずっとずっと会いたかった


「よ、よよよようこそ! 白理君!」


 菜穂の家は予想以上に豪華な家だった。

 黒を基調とした、厳かだけど気品ある二階建ての家。

 宙に教えて貰った通りに進んだけど、ホントに合ってるのかな……?


 そう思いながらチャイムを押して、そのチャイムから数分後、菜穂は慌てた様子で玄関の鍵を開けて出てきた。パジャマなのか、ピンク色のふわふわしている洋服、かなり慌てていたのか、色々なところがはだけていて、僕は顔を赤くして慌てて目を逸らせる。


 その様子に疑問符を浮かべる菜穂。

 しかし僕の反応に気づいたのか、慌ててドアの方へと引っ込んで、顔だけこちらに覗かせる。


「えへへ……」


 ==


「改めてお邪魔します……豊崎さん。元気そうで何よりだよ」


「あっ、う、うん! 寝てたらすっかり良くなったよ」


 一階のリビングに通された僕は、机の上にレジ袋を置く。

 中身は桃缶やパック形式のご飯、レトルトのカレーや経口補水液など。

 それを見た菜穂が慌てて言った。


「ごめんね。こんなに買ってきて貰って……」


「僕がしたい事だから大丈夫だよ……それよりも本当に大丈夫? 何だか顔赤いけど」


「うん……大丈夫……」


 僕はレジ袋の中身を外に出しながら、彼女に冷蔵庫を開けて良いかと訊ねる。

 無事了承を貰えたので開けてみると、中には卵や牛乳のパックなどの具材がある程度詰まっていた。


「凄いね、自分で料理できるんだ」


「う、うん……なるべくお金は大切に……ね」


 菜穂はさっきから俯いたままで、一向に目線を合わせてくれない。

 僕は冷蔵庫に食べ物を詰め込むと、これからの事を考えていた。


 どう謝ろうか。なんて謝ればいいのか……。

 僕はこれまであまり人と深く接することは無かった。だから喧嘩も、気まずい雰囲気の打ち消し方も僕は知らない。


 ――その時、きゅうと微かにだが可愛らしい音がなった。


 無視しようかと思ったが、菜穂が隠し切れないほど顔を赤くさせているのを見て、ついクスリと笑ってしまった。


「キッチン借りていい? 僕が作るよ」


「え、そんな……悪いよ」


「大丈夫だって。こう見えても料理は得意なんだ」


 菜穂は少し迷った末に「じゃあ、お願いしちゃおうかな」と照れながらそう言って、上から持って来たであろうぬいぐるみを抱きしめていた。


 可愛い……。


 ま、まあ。主の許可も貰ったことだし、早速取り掛かろう。

 見たところフライパンとかはあるし、さっき見た冷蔵庫の中には卵や冷凍保存しているご飯もあった。トマトケチャップも合ったし――なら、これしかないだろう。


 冷凍ご飯を解凍している最中に、玉ねぎや鶏肉、そしてキノコ類などを刻んでいく。


 大体一口サイズにカットしたら、それをバターでコーティングされた熱々のフライパンの上に乗せて加熱する。


 その最中に解凍が完了して、レンジから取り出したご飯をフライパンの上に乗せる。


 解凍後のご飯は水気が多い。少し火力を強めて水分を飛ばす。

 木べらで切るように炒めて、ご飯がぱらりとしてきたらそこにトマトケチャップを投入(目分量)。


 全体に馴染んできた頃を見計らって、それをお椀の中に乗せ、更に大皿にひっくり返して入れる。これでチキンライスは完成だ。


「ん……?」


「――――っ」


 視線を感じたので顔を上に上げたら、菜穂ははわわとぬいぐるみを顔まで持ち上げて隠す。


 か、可愛い……!


 こ、コホン。

 ここからはスピーディにやらないといけない。

 別のお椀の中に卵を二個、牛乳を少々入れて白身と黄身が混ざるまでかき混ぜる。

 先ほどのチキンライスを炒めたフライパンをさっと洗って水気をキッチンペーパーでふき取って、バターを気持ち多めに投入して再度加熱。


 パチパチと音がなったらそこに溶き卵を入れる。

 火を強火から中火にさせて、ガチャガチャと菜箸で円を描くように混ぜる。

 やがて円形の形になったら、端から掬い取って形を整える。


 火を弱火にして、蓋をするように丸め込む。

 やがて閉じ口がしっかりくっついたら、それをチキンライスの上に乗せて完成だ。

 ソースは作る暇が無かったので、チキンライスを作る時に余ったソースを片栗粉を溶かした水で和えさせて『あん』にさせたものを掛けた。


「はい、出来たよ」


「こ、これ……! オムライスだぁ!」


 スプーンとナイフを用意して、テーブルの上に出す。

 菜穂はぴょんと飛び上がって目をキラキラさせながら出来上がったオムライスを見る。


「あ、でも私――」


「苦手なの知ってるよ、だからグリンピースは抜いてる」 


 オムライスの殆どには入ってあるだろうグリンピース。

 だけど菜穂は昔からグリンピースが苦手だった。

 それを思い出して、だからこのオムライスには入れていない。

 菜穂は恐る恐るオムライスを割って、スプーンに乗せて口へと運ぶ。


「美味しい……」


「それは良かった」


 菜穂はその後もパクパクとオムライスを食べ続けていた。

 僕はその姿を見ながら、心の中の罪悪感が沸々と湧き上がっていた。

 振り返った僕と、顔を上げた彼女と目が合う。

 彼女の翡翠色の瞳を見て、僕は得も言われぬ懐かしさに襲われた。


 深い緑色、エメラルドの様なその輝きは、幼いころに見たものと同一だった。

 ああ、やっぱり彼女は彼女なんだ。


 自分の愚かさが嫌になる――なんで気づけなかったんだろう。


「……ごめん」


 気づけば、その言葉がするりと出てきた。

 菜穂が驚いた様な顔を浮かべながら、小さく「え……?」と聞いてくる。

 かちゃりと、スプーンが空のお皿の上に置かれた。


「あの時気づけなくて、いやそのずっと前から……気づいてあげられなくて、ごめん」


「え……あ、あの……」


 菜穂の顔がサアっと青くなって、立ち上がる。

 まるで演技でもするかのように、手をパタパタと横に振りながら話し出した。


「いや、いやいやいやいや! 全然、ぜ~んぜん気にしていないよ!」


 その顔を――昔、よく見ていた。

 僕が話しかける以前の豊崎菜穂は、いつもこうして薄く微笑んでいる様な顔をしていて。


 それが彼女なりの処世術なのだと気づくのにそう時間は掛からなかった。

 時が経ったからか、その顔は今には無かった底抜けな明るさがあって。

 その空気は和やかで。


 でも僕だけは分かっている。


 その顔は――


「ほら私ってさ、昔から陰薄かったでしょ? だから忘れてたんだなーって直ぐ気づいたよ」


 悲しさを――


「逆に、数学オリンピック取っちゃったから逆に違う印象になっちゃったよね、私。あはは、バカみたい。オリンピック行ってるのに!」


 押し隠している顔だという事を。

 あまりにも見ていられなくなった僕は、彼女にその顔を見られない様に、手で覆いながら、深く、深く――顔を歪ませた。

 

 今更ながら、僕はなんて事をしてしまったんだ……。


「……やっぱり、僕は君みたいに何でも上手くこなせられないよ」


 少しばかり、彼に頼ってしまいそうになる。

 だけどそれじゃダメなんだ。


 『じゃあな』


 彼が送り出してくれたんだから、彼が僕に応援してくれたのだから。

 僕がやらないといけない。……いや、少し違うな。


 ――これは僕がやるべき事なんだ。



「六年前の、六月七日。その日は青葉がとても鮮やかに映る日だった」



 まるで、日記の一説をなぞるかのように、僕は菜穂に言った。

 その日は、僕が彼女の才覚を確信した日だった。

 テスト用紙は無いけれど、僕は今でも憶えている。


 図形の問題だった――あの問題は、私立の小学生でも出来ないぐらい難しい内容だった。その問題は彼女と僕のテストだけにあって、僕はそこで点数を落としてしまったが、彼女だけは違った。


「公式を使わず、君はあの時、自分独自の計算方法で正解に導いたんだよね」


 本来ならば的確な公式を当てはめなければならない所を、彼女は補助線だけで完成させてしまった。図形の問題は三問あって、図形の問題は一つ間違えればそれに関連する問題が全て間違えると言う問題だけれども、彼女はそれで乗り越えた。


 だからその時、僕は彼女を見誤っていたんだ。

 彼女は弱いんじゃない。本当は、どんな逆境でも決して己を曲げない、強い女の子だと言う事を。


「算数、あれから凄い頑張ったんだね。数学オリンピックに出たなんてビックリしたよ」


「有……くん」


 僕だけだったらきっと探すのにもっと時間が掛かったかもしれない。

 だから、僕が最初に言う言葉は『ごめん』でも『すまない』でも無くて――。


。本当に、ほんとうに……ありがとう――豊崎さん」


 感謝を、伝えることだったんだ。


 菜穂はしばらくぽかんとした顔を浮かべて、顔を下に向けた。

 前髪が垂れて彼女の顔が良く見えない。


「ずっと、ずっと探してたんだよ? わたし……」


「……うん」


「つぎ、また会えたら、有くんにつりあう女の子にならなきゃって、明るく振る舞って、お洒落だって、ちゃんと勉強して……」


 声が震え始めて、嗚咽が聞こえてくる。

 僕は昨日のことを思い出しながら、菜穂に言った。


「僕ね、あの時本当はドキドキしてたんだ……本当に豊崎さんは――」


「――って呼んで」


「え……?」


 その時、菜穂はばっと両手を広げた。

 赤い顔で、目に涙を溜めて――彼女は言った。


「いっ……いつも見たいに『菜穂ちゃん』って呼んでよぉ……」


「――――」


 ああ、そう言えば。

 僕は菜穂のことをそう呼んでいたな。そして――。

 いつも菜穂が泣きそうになった時は、僕が抱きしめて慰めていた。

 本当は恥ずかしいけれど……けど、彼女がそれを望むのであれば。


 僕は席から立ち上がって、近くにあるソファの近くに立ち膝になる。


「……おいで、


 菜穂は直ぐに椅子から立ち上がって、半ば倒れ込む様に抱き着いた。




「ずっと――ずっとずっと会いたかったよ……有くん……!!」


「うん、僕も……ずっと会いたかったよ――菜穂ちゃん」




 窓の外から吹いた風がカーテンを煽って、外から星宙が見えた。

 少し暖かい風が、春の終わりと夏の訪れを感じさせる様な風が部屋中を回って。


 その後も、泣き続ける菜穂ちゃんが落ち着くまで、僕らはしばらく抱き合っていた。



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