帰り道
「ふぅ……取り合えず急は凌いだかな」
菜穂を外に待たせて、僕は少しだけ化粧室に籠っていた。
用を足したかった訳ではない。今の現状をメモに書き留めていたのだ。
あと雪への連絡。もうそろそろ帰るよと伝えたら速攻で「分かりました」と連絡が来た。
諸々の連絡を終えた僕は手を洗って化粧室から出る。
外に出る時、書店の方をチラと見た。
店頭には雑誌が並んでおり、そこには最近のアイドルやら文集やらが立ち並んでいた。
その中にまるでそこらのアイドルの様な表紙があるのを見つけた。
金色の髪、水色の瞳と日本人離れした容姿を持つその絶世のイケメンは、椅子に座って柔和な笑みを浮かべていた。
アイドルではない――寧ろ、アイドルとは程遠い職だ。
『探偵王』――シルヴィア・ローレンス。
イギリス人、現在二十四歳。しかしその歳にして『探偵王』なんて大層な異名が付けられているのは訳がある。
二年前、二十二歳の頃からその才能を発揮し、警察が諦めた未解決事件を幾度も解決している。彼に解けない謎はないと、全世界から注目されている人物だ。
現在は日本に事務所を置いて生活しているらしい。
「『探偵王』か......」
実は昨日、
彼は勿体振った感じで僕たちにとある宣戦布告をした。
『私が必ず君の謎を暴き出す。震えて待っていてくれたまえ』
一昨日起こった窃盗事件。
僕は総額100億円の大金を盗み出した。
その100億円が今どこにあるのか、僕は知らない。
僕の家にあるのか、それとも然るべき機関に渡したか。
もう一人の僕はそこら辺、あんまり言及していなかったし。
白亜も最近は滅多に顔を見ないし。
でも、慎重に行動しなければ。
ここら辺は事件現場に近い。元より歓楽街に近い場所だから夜になるにつれて治安は悪くなる。
「早く戻らなきゃ……」
そう考えると菜穂の事が心配になってきた。
急いで外へと向かうと――。
「君可愛いねぇ……今一人?」
「一人っしょ! こんな可愛い子置いてきぼりする奴なんざいねぇよ!」
街灯の下、菜穂は二人の男たちに囲まれていた。
黒色のタンクトップを着たチャラそうな男たちだった。
ナンパなのだろうか。派手な髪色をした男たちは舌なめずりをしながら菜穂に近づく。
「あ、あの……困ります……」
「この子どっかで見た事があると思ったら、あれじゃね? 天下の如月学園に通ってる数オリに出てた天才美少女……」
「あー! あれか! マジかオレ達ついてんじゃん!」
一人の男が呟いたのを聞き、もう一人の男が声を荒げる。
菜穂はオドオドしながら何かを言おうとするが、興奮する男たちには聞こえない。
周りの人はチラチラと見てはいるが、通り過ぎていくばかりで。
「ここらに良い店知ってんのよ。奢ってあげるから行こーぜ――」
二人の内の一人、タンクトップを着た男が無理やり菜穂の手を取ろうと腕を伸ばす。
「あっ――」
その腕を掴みながら、僕は二人の間を割って入る様に立ち塞がった。
「……すみません、僕の彼女に何か用ですか?」
「あ……? ンだよテメェ」
邪魔された事にキレたのか、男の目が吊り上がる。
きっと相手からしてみれば、キモイ陰キャが精いっぱいイキっている様にしか見えないのだろう。
「こんな奴と!? ありえねー。なあなあ菜穂ちゃんって言うんだっけ? 俺らと遊ぼーよー、こんな奴なんかほっといてさ」
そう言った男が、別の手で彼女の手を取ろうとする。
僕は心の中でため息を吐きながら、握った右手で相手を横に引っ張り、足を掛ける。
ものの見事に態勢を崩した男は、暫くの間ぽかんとして、その後烈火の如く怒りだした。
「だから近づかないで下さい。何なんですか、貴方は」
ざわつく心を抑えて冷静な声で僕が言うと。
「るせェよ調子乗ってんじゃねえぞガキ!」
頭を抑えながら立ち上がった男は、そう唾を飛ばしながら拳を振りだす。
左手で上手く軌道を逸らし、無意識化で
自分で言うのも何だけど、僕の攻撃は結構痛い。
人体の急所を骨の髄まで叩き込まれた僕の体は自然と動いて、前方向によろめくその男の水月に肘を差し込んだ。
「うごけっ!?」
蛙が潰れた様な声を上げて男は跪く。
もう一人の、小太りの男が慌てて駆け寄って、吐きそうな男の背中を擦っている。
「おい大丈夫か!? テメー......調子こいてんじゃねえぞ!」
や、ヤバい......やってしまった。いつの間にか周囲は僕たちを避ける様にしていて、野次馬達が円をなすように僕たちを囲っていた。
遠くの方で警官らしき人物が二名、騒ぎを聞きつけてこっちに来ているのが分かった。
「逃げよう、豊崎さん!」
「えっ――」
ここは逃げよう。
僕は菜穂の手を掴んで、野次馬たちの間を潜り抜ける様にこの場から退散した。
「このやろー……覚えて置けよ!」
「その前に俺達も逃げよう! もう捕まるのはこりごりだ!」
後ろの方でそんな会話が聞こえた気がするが、それらを無視して僕は必死に走り続けた。
やがて街を超えて、駅を超えて、僕は気づけば家の方に戻っている事に気づいた。
誰もいない住宅街、グレーがかったようなアッシュピンクの帯状な空。
そう言えば、あの時もこんな空だったような気がする。あの日、幼い少女の手を引っ張って、一緒に帰っていた、あの時の事を――。
(……って、僕は何を思ってるんだ)
「はぁ……はぁ……大丈夫? 豊崎さん」
菜穂は少し汗を浮かばせながら息を弾ませている。
僕がそう訊くと、菜穂は「大丈夫」と頷いて、顔を上げた。
「……て、握っちゃったね」
「あ……う、うん。そうだね」
その小さな右手に視線を向ける。今更ながら恥ずかしくなってきた。
菜穂の顔は走ったからか、それとも夕日のせいか赤く見えた。
「ごめん。遅れちゃって」
「本当だよ。わたし、怖かったんだよ?」
うぅ……本当にごめんなさい。
僕が頭を下げると、でもと、菜穂は続けて言った。
「『ありがとう、有くん。私を助けてくれて』」
その顔が、幼いときに見た、あの顔にそっくりだった。
その声がダブって聞こえた。
記憶の奥底から熱が迸る。
ノックするかのように、頭痛が鳴り始めた。
「……え」
「……まだ、思い出さないかな」
菜穂は少しだけむっとした顔でそう言った。
その表情にも、見覚えがあった。
僕は今にも割れそうな頭を、もう反対の手で押さえながら答える。
「わか……らない。豊崎さん――君は」
僕は手を離して距離を取ろうと一歩、たじろぐ――。
「菜穂って呼んでよ、前みたいに。そんな他人みたいなのはイヤだよ」
しかし菜穂は一歩前に出て、彼女は僕の手を掴んだ。
淡い、緑色の瞳が真っすぐと僕を見つめる。
「違う……だって、あの子はもっと」
呼吸が早くなる。
「有くんに守られっぱなしは嫌だったから、わたし、沢山勉強したんだよ? 緊張せずにちゃんと話せるように、お友達いっぱい作れるように」
そして――と、菜穂は僕の手を両手で挟み込んだ。
「――有くんに、成長した私を見てもらいたかったの」
「オリンピックだって、本当は恥ずかしくて出たく無かったんだよ? でも有くんに褒めてもらった算数、オリンピックまで行ったら、きっと気づいてくれるかなって思ってたんだ」
菜穂は恥じらう様にえへへと笑う。
喉が凄い勢いで乾いていく。
まさか、まさか――と何度も頭の中でその言葉が
頭が割れるほど痛い。呼吸が出来ない、苦しい、苦しい、苦しい――。
「……君は」
「思い出した? ――有くん。私のことを」
その言葉に、僕はようやく思い出すことが出来た。
ああ、そうか。
僕がいない間に、彼女は成長したんだ。
彼女は僕に会うためだけに、ここまで努力してきたんだ。
泣きそうになる。なんて僕はバカなんだ。
「きみ……は」
「そうだよ、私だよ――ずっと、ずっとずっと会いたかったんだよ」
舌を湿らせて、僕は言わなければならない。
「有くん――」
ごめんなさいを、そして僕も会いたかったって事を。
なによりも、彼女の名前を――。
そして僕は意を決して、その言葉を口にする。
僕は――。
ずっと――。
君に――。
会いたかっ/
「……有くん?」
夕闇が辺りを包み込む。
夜の足音が迫りつつある。
煩いくらいの耳鳴りにしかめっ面をしながら。
俺は目の前の女に口を開いた。
そして告げた――その言葉を。
「お前、誰だ?」
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