事件発生


 突然だが、佐藤先生の話をしようと思う。

 佐藤先生――本名を佐藤純一。

 社会科の教師であり、御年五十六歳のお爺さんと言っても差し支えない程の年齢をしている教師だ。


 普通、こういう先生って温和で優しい性格をしていると思うんだけれど、佐藤先生は全くの逆。キレやすくて我儘で――ぶっちゃけ、嫌われている。


 宿題を沢山出すし、しかも提出を忘れたら烈火の如く怒る。怒ってる最中に言っている事は、多分、その時のボイスメモを教育委員会に提出すれば、直ぐにでも教師の資格を剥奪されるレベルのもので、性格も悪い。


 それに、ただ厳しいだけじゃなくて、裏でも相当ヤバいとの噂がある。

 何でも借金を抱えているとか。暴力団との関係性も噂されている。


 とにかく、皆からの嫌われ者……それが佐藤先生だ。

 当然だけど僕もあんまり好きじゃない。だってあの先生、事あるごとに大きな声で話すんだもん……。


 ――だから。


「はぁ……憂鬱だ」


 今は六時間目が終わって、その帰りのHRが終わった直後。

 僕は担任の先生から佐藤先生に会いに行けと言われてしまった。

 内容は、先週の授業を休んでしまったから、その時に出された宿題を取りに来いと。

 わざわざ行くのも面倒くさいし、あの先生の事だ。絶対に一言か二言ぐらい何か小言を言われるに違いない。


「佐藤先生と、しかも二人で……か。骨は拾ってやるぜ」


「納骨は任せた」


 なんて、そんな下らない会話の応酬をしながら、僕は鞄を持って職員室に向かう。

 正直言って今日はかなり疲れているんだ――脳はスッキリしているだけど、体はそうじゃない。まるで深夜まで運動し続けた後みたいな倦怠感が、体に残り続けているんだ。


 今はただ、早く寝たい。

 脳を癒す為に眠るのではなく、肉体を休ませたい。

 そんな体で職員室の中に入った。しかし――。


「佐藤先生? 佐藤先生なら今はいないけど……」


「えぇっ、あの、僕佐藤先生に呼ばれて来たんですけど……」


 何てことだ。佐藤先生らしいっちゃらしいけど、今は本当に勘弁してほしい。

 これで帰ったら逆に怒る人だ。何が何でも探さなければならない。


「あー……確か、三年四組の教室にいるって言ってたな」


「三年四組?」


 佐藤先生は二年三組の担任でもある。

 普通ならばそこにいるのでは……? だけど先生が嘘を吐く訳が無いしな……。

 僕は一言先生に礼を言ってから、その足を速めた。


 ==


 三年のクラスがある階は、この春休みの間に工事が入ったらしく、この階だけまだワックスの香りが強く残っていた。鞄の重みに腕が痺れてきた頃、僕は階段を上って来る足音に目を向けた。


 この階は基本的に三年生しか通らず、しかも殆どの三年生は既に四時間目で帰っている。先生か――?


「ん――君は」


 やって来たのは、オレンジ色の髪色をした人だった。

 制服を着ている所から生徒なのは間違いなくて――だけど、名前までは知らない。


「もしかして君も佐藤先生に呼ばれたのか?」


「う、うん……君は?」


「俺の名前はミノル。霧島ミノル――君の名前は?」


 オレンジ髪の少年――ミノルはそう笑いかけながら僕に訊く。


「僕の名前は白理有。一年八組」


「なんだ、同じ一年生か……俺は九組だ」


 同学年だと分かったからか、ミノルの表情が少し和らいだ気がする。

 僕も下手に緊張しなくて済む。どうせなので一緒に行くことになった僕らは、その教室に辿り着くまで談笑し合っていた。


 外からは吹奏楽部の演奏が聞こえている。

 ウチの学校は吹奏楽部にも力を入れている。暇さえあれば一階の事務室に行ってみて欲しい。数十というコンクールで獲ったであろうメダルやカップが誇らしげに展示されているのが見えるはずだ。


「あれ――」


 三年四組の教室の前、扉に手を掛けて開けようとしたのだが、一向に開かない。

 カチャカチャと、鍵が掛かっているのかスライド式のドアは開く気配を見せない。


「鍵が掛かっているのか――?」


 ミノルが面倒くさそうな顔を浮かべる。鍵は基本的に職員室にある。

 確かにもう一度戻って鍵を取るというのは今の僕にとって中々に骨の折れる作業だ。


 ――だから僕は、予め見ておいたのだ。


 職員室には三年四組の鍵が無かった。

 それに先生が僕たちを呼んだのだ。それならば本人が中にいないといけない。


「な、なあ……何か聞こえないか?」


 スライド式のドアは、デザインなのか小さな磨りガラスがはめ込まれている。

 そこから見える景色は精細に欠けるが、だがそれでも――その教室の中に人がいるという事はハッキリと分かった。


 ミノルは扉に耳を当てると、そんな事を言ってきた。

 僕も耳を澄ましてみる。外にいる吹奏楽部のラッパの音がここまで聞こえて、だけど僕の耳は普通の人よりかは良い。


 この距離でも、扉越しでも、その物音はハッキリと聞こえた。


「先生? ――先生!? 大丈夫ですか、先生!!」


 ドタンバタンと、奥から聞こえる物音はせわしなく、まるで誰かともみ合っている様に聞こえた。僕は扉をノックしながら大きな声で叫ぶ。


「来るなぁ!! 俺の傍に近寄るなぁ!!!」


 奥から聞こえた声は、確かに佐藤先生の声だった。

 事態を察したミノルが「職員室から先生呼んでくる!」と走り出す。

 後ろ姿を見ながら、僕はどうしようかと悩む。


 針金はある。人気ひとけは無い。僕の腕ならば――二分で開錠可能だ。


「……いや、何を考えているんだ。僕は」


 日常生活でスキルは使わないとそう誓っただろ!

 だけど今、事態は思わぬ方向に進んでいる。

 今だって奥の方からは唸り声と、そして引き攣った様な笑いが聞こえる。


「あは、あははははは! これが呪いか? これが――『黄金郷』の!!」


 黄金郷――? その言葉に聞き覚えがあるのを感じたが、だけど今はそれどころじゃない。


 ――カラカラと、窓を開く音が聞こえた。


「まさか――」


 最悪の想像をしてしまった。扉越しだが、今の佐藤先生はかなり錯乱している様に見える。ならば、その最悪の想像も十分あり得る――。


「白理! ごめん、先生がいなかった! 吹奏楽部の演奏で皆そっちに――」


 ミノルがこっちにやって来た。後ろには誰もいない――先生は連れてこられなかったようだ。もう、なりふり構っていられない。僕は扉から離れると「離れてください」と一言告げる。そのまま扉に向かって走り出し、蹴りをした。


「うわ!」


 青い扉が、ボキンと音を立てながら倒れる。とてつもない音が轟き、僕はそこでようやく教室の中を見る事が出来た。


「なっ――」


 その中には誰もいなかった。そして、先生は窓際に体の半分を乗り出していた。

 涙を流しながら、口元には胃液らしき液体が付着している。


「先生、離れてください!」


 ミノルが慌てて叫ぶ。

 佐藤先生は僕の方を一目見ると、ぽかんと開けた口から言葉を発した。


「呪いだ。これが黄金郷の――」


 その後佐藤先生は外の景色を見て――その表情を強張らせた。

 その瞬間、ビクンと体をうねらせて、その衝撃のせいか――佐藤先生の体は窓の隔たりを超えて、外へと落ちてしまった。


「う、お……え……?」


 あまりの出来事に、ミノルが目を見張らせて尻もちを付く。

 僕は慌てて窓に駆け寄って――その光景に目を逸らしてしまった。


 びゅうびゅうと桜が舞い散る。

 蒼い風が吹き荒れる。佐藤先生は――。

 桜の木の下で、体をあらぬ方向に曲げながら、血だまりの海の上に倒れていた。



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