第零章 黄金郷の呪い

前日譚

 人はいつ生まれるのだろうか。受精卵が出来た時? 心臓が作られた時? それとも産道から掬い上げられた時?


 いいや、俺は違うと思う。何故なら俺は受精卵が出来た時にいなかったし、心臓が作られた時にも俺の心臓は作られなかった。ましてや、産道から掬い上げられるのは俺でも無かった。


 きっと、人が生まれるのは、誰かがその人の存在を望んでいたからだ。


 ――白理有はくりゆうはもう一人の俺でもあり、相棒でもあり、手のかかる弟分でもある。


 俺は、俺が俺だと認識した時点で直ぐに、自分が生まれてきた原因が理解できた。


 血と汗がこびりついた小さな小部屋。

 部屋には何もなく、光源は自分の身長の二倍ぐらいはある天井付近にあった、小さな鉄格子から漏れ出す陽の光だけ。


 記憶はない、自分の名前さえも分からない。欠落した状況の中、素っ裸のこの体には無数の傷痕がある。そしてこの現状を見て、生後十秒未満の俺が最初に覚えた感情。


 それは――ただ一つの使命感だった。


 きっと俺は、こいつを救うために生まれたのだと。


 ==


「……ん、あぁ」


 うたた寝をしていたのか、ズキンと痛む頭を撫でながら俺は覚醒する。

 壁に掲げられている時計は四時を指していた。

 室温は二十四度で一定されているが、今の体温は温かい。いや、熱いとも言えよう。


 風邪では無い。俺は掛けられた白い毛布を取っ払って、体の上に乗っかっている少女に声を掛けた。


「おい――」


「う……みゅう、あ、起きた?」


 白い絹のような髪さわりをしている、白髪の少女。

 平均よりも小さい身長、小柄な体型と、しかしこう見えても俺と同年代のJKだ。

 瞼を擦りながら、その蒼い目が俺の方を射貫く。


「良く眠れた? 何だか嫌な夢を見てたそうだから――」


 そう欠伸混じりに訊いたのは、この館に住んでいる俺の幼馴染兼『同業者』でもあり俺の『相棒』的存在――白崎白亜しろざきはくあ


「あぁ……久しぶりに、爺様に説教受けてたわ」


 俺がそう言うと、白亜は前のめりになって俺の頭をその小さな手で撫でる。

 子供の頃、泣きじゃくるアイツをこうしていつも慰めてくれた。

 だが悪いな、今の俺はアイツでは無いんでな。


 俺が払いのけると、白亜はむすっとした顔を浮かべながら、


「ゆーは優しいから好きだけど、むーは嫌い」


 俺の変装を見破られるのはこの中だと白亜だけだ。

 白亜は白理有主人格を『ゆー』と呼び、反対に俺の事を『むー』と呼ぶのだ。

 なんだ、有だからゆーで、俺は反対だから「無」、だからむーなのか……?


「お前、それ人前で絶対言うなよ?」


「ん……?」


 とぼけ顔の白亜に俺はため息を吐きながら、彼女を抱きかかえながらソファから降りる。彼女をそのままソファに下ろすと、俺は机の上に置いてあったスマホと財布を取ると、彼女に言った。


「少し風に当たって来る」


「今日は……」


「知ってる。今日はアレだろ。……それまでには帰って来るから」


 俺は玄関前にいる執事に視線を向けながら、中央にある階段を下った。

 白い髭を伸ばした柔和そうな笑みを浮かべる老執事は、何も言わずにいつもの様な笑みを浮かべたまま、門を開いた。


 ==


 俺たちの実家である白理家は代々『黒神家』に使える、盗みを生業とする一族だ。

 ただそれは裏の顔で、表は不動屋を営んでいる由緒正しき華族。

 しかしその権力はとんでもなく、一部の人は政界にも手を出しているらしい。


 ――『JOKER』。


 それが盗みをやる際に名乗る称号であり、『JOKER』は世襲系である。

 盗む役目を持つのはその白理家当主だけであり、その名前を都度変えてきた。


 白理家の歴史は長いから、もしかすると有名なものもあるかもしれない。


 俺はそれの、二十四代目に値する。

 いや、嘘だ。それはまだだ。俺には正式な名が与えられていない。


 ――何故かと言うと、それは俺の主人格である有が拒んでいるからだ。


「この街に来て早数か月……今ん所、交通の良さと人柄の良さと、この景色くらいしか良いところがねぇな」


 この街には去年の十二月に越して来た。

 田舎から都心へと、これも白理家のしきたりであり、自然の中で盗みの訓練を行い、実践は街へと戻ってから行う。アイツは最初不安がっていたが、今ではすっかりここに馴染んでいやがる。


 住民の人柄も良いし、交通も不便無い――それだけで十分過ぎる程いい街なのだが、俺はそう言いながら、河川敷の傾斜になっている草むらの上に寝転がる。

 遠くの方で聞こえる子供たちの遊び声に耳を澄ます。


 やはり俺も緊張しているのか――本当に、嫌な夢を見てしまった。

 まだこの心は、白理有は、本館にいる爺様の事を恐れている。自分の生まれを、憎んでいる。


「だからってあんまり一人で抱え込みすぎるなよ――お前の苦しみは全部、俺が受けてやるから」


 起き上がって、背を伸ばす。頃合いか、スピーカーから午後六時を合図する音声が流れ始めた。子供たちが散り散りとなって帰路に着く。その中で、一人だけサッカーコートでシュート練習をしている奴がいた。


「……靖国……?」


 動きやすそうな服装をした、黒髪の男――同じクラスの男子だ。

 確か名前を海瀬靖国だったか? 正直今は誰とも話したくない気分だったが、目が合ったのならばそうも言ってられない。


 俺は斜面を降りて、砂場の方に足を踏み入れる。

 すると靖国はボールを抱えながらこちらの方に駆け寄って来た。


「お前は……確か、同じクラスの……なんだっけ?」


「白理有。一年八組の十七番」


「おおそうだったな。いや苗字は覚えてたんだが、下の名前を忘れちまってな。俺の名前は海瀬靖国うみせやすくに。出席番号五番」


 靖国はサッカーボールを持ち上げながら、靖国で良いぜと明るく言う。


「その代わり、俺もお前のことを有って呼ぶわ。よろしくな、有」


「う、うん……よろしく」


 俺は努めて自然体に話しながら、その泥だらけのサッカーボールに目を向ける。

 海瀬靖国――クラスの中でもトップの陽キャだ。彼の周りには常に人がいる。

 だが彼がサッカーが好きだという話は聞いて無いな……? ただの趣味にしては上手だし。


「サッカー、出来るか?」


「え、あ、うん。嗜む程度には……」


「たっは! 嗜むとか! 英国貴族の末裔かお前!」


「わざわざ末裔付けなくてもいいでしょ……まあ、一通りには出来るよって話」


「そんなら話は早い。ちょっくらシュート練習に付き合ってくれないか? 礼にジュースぐらいは奢るぜ?」


 ふむ……面倒くさいが、時間的には間に合いそうだ。それに、アイツが望むのは円滑したコミュニケーションが出来るクラスメート……いわゆる友達。

 ここで断る理由も無い。


「奢らなくていいよ。キーパーやればいい?」


 ま、肩慣らしには丁度良いか。

 俺がそう言うと、靖国は屈託のない笑顔を浮かべてボールを蹴った。


 ==


「クッソ~! 悔しい!」


 キコキコと油が切れた音を放ちながら、緩やかに自転車が進む。

 春の陽気な風を顔に浴びながら、俺はごくりと靖国が奢ってくれたジュースを飲み、前で必死にこいでいる靖国に言った。


「いやいや! 凄く上手かったよ。結局後半全然取れなかったし!」


「あれは本気だしてやってたからだよ! 二十本中十三本も止められちまったぜ……」


 そう本気で悔しがる靖国。実はその時点で手加減してやろうと手を抜いてた事は黙っておいた方が良さそうだな。


「しかし意外だったぜ。お前いつもトロそうな顔してっけど、案外、運動神経いいんだな。俺のシュート見切った奴お前が初めてだ」


「そうかな……? それより、靖国がサッカーやってることが意外だったよ。そう言う話全然してなかったじゃん」


 俺がそう言うと靖国は少し押し黙り、俺に訊いた。


「お前さ、なんでこの学校選んだんだ?」


「そりゃあ……偏差値が近かったのと、楽して大学行きたかったから……かな?」


「たはっなんじゃそりゃ。まあそれでも良いんじゃねえの?」


 キコキコと、靖国は立ちこぎしながら上り坂を登っていく。

 降りようかと言っているのだが、これも筋トレになるそうで。

 たまの様な汗を流しながら靖国は言った。


「俺はよ、親に言われてこの学校に入ったんだ。本当はサッカーが強い部活がある高校に行きたかったけど、親が許してくれなくてさ」


「…………」


「俺の夢はサッカー選手で、それは小学生からの夢だ。けど、親は自分と同じ家業をやれって言ってる」


 その言葉に俺は口をつぐんだ。

 少しだけだが、共通点を見つけてしまったからだ。

 実を言うと、この学校に入ったのは『黒神家上から』の指示だったからだ。

 将来をよくするためだとか言ってるが、本当は自分の手駒に抑えておきたい為だろう。


「サッカー選手の大半は、高校で有名な大会で優秀なプレーをした奴が、スカウトされるって感じだ。それに比べて俺がやってきたのは、シュート練習と毎日の筋トレ」


 サッカーについて、俺は何にも分かってない。だが幾ら無知な俺でもそれが如何に狭き門なのか簡単に想像が付く。


「けどよ、それで自分の夢を終わらせるかって話だ。如月学園のサッカー部は正直言って強豪でも無いんだが、それでもだ。――諦めるかよ、何だって俺の人生だ。妥協とか、したくねぇんだわ」


 やがて坂道が終わり、下り坂に差し掛かる。

 靖国は尻を付けて風を思い切り浴びていた。

 右からは街の風景が一望できる。夕闇に染められる宙、家の屋根、その奥にあるビル群――。


「っま、大体そんなもんだわ。別に内緒にしてた訳でも無いんだが――有?」


「なれるよ、お前なら」


「お、おう……って、いきなり何だよ恥ずかしいな!」


「僕には夢なんか無いから、何にも言えないけど、それでも応援してる」


 靖国は照れ隠しの様に前を向いて、自転車を操縦している。

 すると、思いついたかのように視線を前に向けながら俺に言った。


「そんなら、お前がお前の夢を見つけられるまで、俺が付いて行ってやるよ」


「――――」


 その言葉に、心底驚いた。

 ……ったくなんだよ、カッケェじゃねえか。

 やがて自転車が高級住宅街の方に向かっていく頃、俺は家の前で自転車を降りた。


「俺らはもう友達ダチだ。今日の事忘れるじゃねぇぞ? ――そんじゃ、また明日な、有」


「あぁ――また明日」


 なんてことはない、普通の会話。俺は開かれた門をくぐって、庭園を歩く。

 庭園にはメイド達と執事らが拵えた花たちが庭を飾っている。

 俺はそれらを見ながら、館の中に入り、自室に戻る。


 自室にはこれといった私物が無い。机の上には一冊のノートが置かれてあり、端にはそれらが何冊も積み上がっている。

 これが、俺とアイツを繋ぐ重要な架け橋だ。毎日の出来事をこのノートに書き込み、記憶の共有を図る。


 棚から黒色の外套を手に取り、それを軽く羽織る。

 黒色の手袋をし、腕には通信機を装着する。

 これで準備は完了。


 最後に、俺はボールペンを手にして、ノートに一行だけ書き込んだ。


「――本当に、やるの?」


 応接間の方に行くと、そこには白亜が待っていた。

 白亜はその青色の瞳をじっとこちらに向けていて、そこには僅かな不安の色がある。


 俺はくしゃりと白亜の頭を撫でながら、あぁと頷く。

 茶色の木製の扉が開かれる。既に時刻は夜——無数の星たちが出迎えてきた。

 少し冷えた風にあたりながら、俺は言った。



「白理家二十四代目当主――コードネーム【幻想の嘘吐きファントム・ジョーカー】」


「まあ、華麗に欺いてやりますか」


 そう言って、夜の街に足を踏み入れた――。





 事件が起こるまで残り――十七時間後。


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