【6】特別で、大好きなの
リビングのソファに仰向けで寝転んで、ボーっとする頭を休める。
顔が熱い、体が熱い、心臓が破裂しそう。
今私の思考を埋め尽くしているのは、至近距離で私を凝視する柚愛ちゃんの綺麗なお顔……の、かわいいお口。
柚愛ちゃんの……柚愛ちゃんの……あああああ!
ソファでゴロゴロと転げまわり、言葉にならない声をあげる。
一瞬、体が宙に浮く感覚がして、心臓がきゅっと縮こまった。
次にきたのは全身を叩きつけるような鈍い衝撃。
少しの間をおいて、ソファから落下したのだと理解した。
どうしてこんなにも心が落ち着かないのだろう。
いや、それは柚愛ちゃんと出会った瞬間からそうだったんだけれども……それはそうとして、なんだかすごく心がうにゅうにゅしてくすぐったくて……。
山吹さんや八重咲さんに対して感じるものとはまた別の……。
「うわ、お姉ちゃん何してんの」
目を開けると、私の真上に
仰向けに寝転んだまま、蕣花に向かって両手を伸ばす。
「ああん蕣花ぁ……頼れる妹よぉ……友達ってなんなの……?」
蕣花がため息をつき、背中を向けた。
「そんなこと私に聞かないでよ」
「だっでわがだないんだぼーん……!」
立ち去ろうとする妹の小さな背中に涙ながらにすがりつく。
今の私、なんて情けないの。……情けないのはいつものことか。
後ろから蕣花に抱きつきながら再び考える。私が想像していた友達は、楽しくお喋りして、気軽にお出かけして、お互いに気を遣わなくて、何でも相談できて……。
少なくとも、こんなに心臓に負担をかけるようなものでは、ことあるごとに全身を熱くしてドキドキするものではなかったはずなのに。
柚愛ちゃん相手だと、どうしてもそういう反応になってしまうのだ。
「私だってわからないし。友達なんて、理屈でうだうだ考えるものじゃないでしょ」
「でた! そうやって陰キャぼっちには到底理解できない次元の話するんだ! 蕣花はいいよね、友達いっぱいいるんだもん!」
「うっざ」
心底鬱陶しそうな声でそう言うと、蕣花はすがりつく私を振りほどいた。
そして私と向き合い、上目遣いに私の目を見つめてきた。
「てか今日の朝まであんなにルンルンで柚愛さんの話してたじゃん。何かあったわけ?」
私は口をつぐみ、今日の出来事を頭の中で再生した。
山吹さんに家庭科部に誘われて、プリン試食会になって、それから……。
思い出して、無意識に気色の悪い笑い声が漏れてしまう。
「へへ、柚愛ちゃんにあーんしてもらっちゃったぜ……」
「は?」
蕣花が眉根を寄せて、何か考えるように視線を宙に泳がせた。
「まさかそれが原因とか言わないよね?」
「それが原因ですけど何か。私にはもう、友達が何なのかわかりません」
すると、妹が呆れた表情を浮かべ、深いため息をついた。
「バカじゃないの」
「ばっ、バカじゃないもん! なんでそんなこと言うの!」
そう言って蕣花に抱きつこうとしたが、突き出された両手にあえなく阻止された。
そして呆れ顔でまたため息をつく。
「いやいやお姉ちゃんさあ、あーんって、それくらい別に普通にするでしょ、友達なら」
妹のセリフに衝撃が走る。
あまりの衝撃発言に、全身が硬直してしまった。
しばらく何も言えずに固まっていると、蕣花は湿っぽく目を細めた。
「おーい、バカ姉ー起きろー」
ペチペチとほっぺたを叩かれ、ハッとして我にかえる。
そして思考を巡らせる。
“普通”に、蕣花は今普通にって言ったよね?
だったらどうして柚愛ちゃんは……。
「ねえ蕣花、あーんで……か、間接キスで……顔を赤くして嬉しそうにするのは普通のうちに入りますか……?」
「はあ? まあ耐性が皆無なお姉ちゃんなら仕方ないでしょ、なーんか友達をめっちゃ特別に考えてるし、写真撮った時も連絡先交換した時もそうだったじゃん」
「そ、そうじゃなくて、私じゃなくて、一般的な友達同士の話!」
蕣花はほんの少し考える素振りを見せ、すぐに口を開いた。
「いや、あり得ないでしょ」
「あり得ないの!?」
「それこそ相手が好きな人とかさ、そういう意味で意識してるとかじゃないとそんな反応しないでしょ」
蕣花の言葉が頭の中で反響する。
好きな人? 意識してる? それってどういう……。
今までの柚愛ちゃんの表情や声が思い起こされる。
柚愛ちゃんが、私のことを……。
そこまで考えて、途端に体の奥から熱が込み上げてきた。
いやいや、ないないない!
だって柚愛ちゃんと仲良くなってまだ二週間も経ってないんだよ?
それに私なんかを好きになる理由が……理由が……。
私のことを見る柚愛ちゃんの可愛い可愛いお顔を思い出し、おもむろに頭を抱えた。
「あれえ、柚愛ちゃんめっちゃ私のこと好きじゃん! なんで!?」
前々から、なんかよくわからないけど不思議と好かれているなあとは思っていた。
思ってはいたけど、それはあくまで友達の範疇の話であって。
そんな……そんな、れ、恋愛……みたいな、そんな意味合いだとは全然まったくこれっぽっちも想定してないって!
考え始めたらキリがなくなって、全身の発熱もキリがなくなって、私はその場にヘナヘナとへたり込んだ。
「ま、まだそうと決まったわけじゃ……」
ひとりでボソリと呟く。
ふと顔を上げると、私を見下ろす蕣花が困惑した表情を浮かべていた。
「え、なに、つまり柚愛さんが間接キスで喜んだってことでおっけー?」
「ちょっと、あんまりハッキリ言わないで! 恥ずかしいから!」
両手を振って必死に恥ずかしさを誤魔化す。
すると蕣花は「ふーん」と意味深に声を漏らし、そしてニヤリと口元を緩めた。
「なるほどねー。柚愛さんはお姉ちゃんをそういう目で見ていたと」
「い、言わないでってば! てかまだそうと決まったわけじゃないから!」
「いやいや、そうでもなけりゃ間接キスで喜ぶかよ」
蕣花が半笑いで言う。
私はもう何が何だかわからなくなって、頭を抱えることしかできなかった。
翌日の昼休み。
教室で柚愛ちゃんとお昼ごはんを食べているのだが、さっきからなんだか落ち着かない。
いや、さっきからというか……朝から。
理由は昨日蕣花と話したことが頭の中にこびりついて離れなくて、ついつい柚愛ちゃんの一挙手一投足が気になって仕方がないからだった。
私はできるだけいつも通りに徹しようと意識しているのだが……しかし柚愛ちゃんは私の何かが気になるようで、朝からずっと意味深な視線を寄越してくるのだ。
俯き加減で、上目遣いに視線を前に向ける。
ぱちりと柚愛ちゃんと目が合って、柚愛ちゃんは優しく微笑んだ。
「茉莉ちゃん、何だか今日はいつもよりモジモジしてるね」
ば、バレてるだと!? さすがマイエンジェル柚愛ちゃん……。
図星をつかれて狼狽してしまう。
「えっ、あっ、どっ……」
「ふふっ、そりゃわかるよー、いつも茉莉ちゃんのこと見てるもん」
ひゃあっ……柚愛ちゃんしゅき……。
ってか柚愛ちゃん今私の陰キャ語解読して会話してなかった?
なんで? 何の特殊能力? すごいんですけど。たぶん何の役にも立たないけど。
「どうしたの? 私のことがそんなに気になるの?」
そう言って、前のめりになって柚愛ちゃんが顔を近づけてくる。
「えあっ、えっと……は、はい……」
「えー照れちゃうなあ」
テレテレと嬉しそうに頬を染める柚愛ちゃん。
やば、柚愛ちゃんの可愛さに翻弄されて正直に答えちゃったよ。何だよこの子、やっぱりかわいすぎるよ。
「何か聞きたいことでもあるの?」
見つめてくるその透き通った瞳には何もかも見透かされていそうで、私はもう思っていることを口にすることにした。
「あの……柚愛ちゃんって、私のことすごく好きじゃないですか」
柚愛ちゃんはぴくりと体を揺らした。
そして、小さく頷いた。
「うん、好きだよ」
はっきりと言われ、私の方が顔を熱くしてしまう。
「そ、それが何でなのかなって、ずっと気になってて……だって私なんて、こんなんだし、暗いし、お喋りも下手だし、良いところなんてひとつも――」
「あるよ、たくさん」
私の言葉を遮って、柚愛ちゃんが微笑みかけてくる。
「何をするにも控えめで、よく周りを見てて慎重に行動するところとか」
つまり陰キャで怖がりなだけでは?
「見つめるとすぐ目を逸らすくらい恥ずかしがり屋さんなところがとっても可愛いし」
対人関係に難ありなんです。
「見た目も可憐で可愛いし」
毎日頑張ってます!
「それから……」
そこで言葉を切り、柚愛ちゃんは少し間を置いて口を開いた。
「すごく優しいの。人の心をおもちゃにしない、本当の意味でそんな優しい人って意外と少ないんだよ。本当にね、そんな茉莉ちゃんのことが特別で、大好きなの」
そう言って向けてくる柚愛ちゃんの瞳は、本当に愛しいものを見るように熱を帯びていた。
その感情を理解した瞬間、私は我ながら意外なほどに冷静にその不確定な事実を受け止めていた。
そして、私自身が柚愛ちゃんに対して抱いているこの感情も……。
「え、えへへ、柚愛ちゃんにそこまで言われると嬉しいな。妹がね、私を好きになるなんて物好きな人もいたもんだーって酷いこと言うんだよ」
「え、茉莉ちゃん妹いたの?」
柚愛ちゃんが目を丸くする。そういえば言ったことはなかったかもしれない。
「あ、うん。中学生なんだけど、私には全然似てなくて自慢の妹だよ」
すると、柚愛ちゃんは何事か考えた後、どこか好奇心の見え隠れする笑顔を浮かべた。
「会ってみたいな、妹さんに」
「えっ、あ……じゃ、じゃあ、今度うちに来る……?」
私の誘いに、柚愛ちゃんは瞳を煌めかせた。
こうしてかなり唐突に、柚愛ちゃんがうちに来ることが決定したのだった。
友達を家に呼ぶって、まるで友達みたい!
自分で何言ってるのかわからないけど、私何だかわくわくしてきた!
先程までのモヤモヤは一旦心の奥にしまって、今はとにかく、大好きな柚愛ちゃんと一緒にいる時間を大切にしようと、そう思った。
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