【5】茉莉ちゃん、あーん

 

 ある日の放課後。

 自席で帰る支度をしていると、隣のクラスの山吹さんがうちの教室にやってきた。

 てっきり八重咲やえざきさんに会いにきたのかと思ったのだが、山吹さんは私の机の前で立ち止まった。


「まーつりん、元気ー?」

「あ、うん、元気だよ」


 山吹さんがにこーっと笑顔を見せ、今度は隣の柚愛ちゃんに顔を向けた。


「影山ちゃん、今日もまつりんラブ?」

 

 なんだその質問は!

 ゆ、柚愛ちゃんは何と答えるのだろうか……。

 ひとりでドギマギしていると、柚愛ちゃんは流し目で一瞬私を見てから、


「当たり前でしょ」


 とあっさり答えた。

 当たり前なんだ……えへ、当たり前かあ。

 顔が紅潮して頬が緩むのを感じ、私は頬を両手で包み込んだ。

 山吹さんがお腹を抱えて笑い出す。


「あひゃひゃ、美少女同士が仲良しで大変助かりますなあ」


 おっさんか!

 いやまあ、こんなにちっちゃくて可愛いなら、そのおかしな発言も許されるってものですよね。

 というか私も美少女のカテゴリーに入ってるの? そうなの? 


「ところでお二人さん、家庭科部に入りませんか!」

「入りません」


 山吹さんが唐突に部活に勧誘してきたかと思うと、柚愛ちゃんが即座に断った。

 今の柚愛ちゃんの瞬発力、すごかったなあ。

 私にはその会話スピードについて行くことは不可能ですよ。尊敬します。


「なんでーちょっとぐらい考えてよー」


 柚愛ちゃんの腕を引っ張って駄々をこねる山吹さん。

 柚愛ちゃんは迷惑そうに顔を背けている。

 あんな表情の柚愛ちゃん、私と二人の時だと絶対見られないよなあ。

 というか、山吹さんは家庭科部なのか……小柄な元気っ娘が家庭科部……うーんギャップ萌え9000点。


「部員があたしと蘭の二人だけだから寂しいんだよー。ねーえー、まつりーん!」


 私に来た!

 何と返答するべきかわからずにあたふたしてしまう。

 でも、八重咲さんと山吹さんと同じ部活というのは正直すごく楽しそうな気がする。

 ついこの間初めて話して以来、よく話しかけてもらえるようになって、私も二人のことはすごく好きになった。


 八重咲さんはふわふわしてて穏やかで優しくて、その包容力につい甘えたくなる。わたあめちゃんの名はダテではない。私が勝手に呼んでいただけだけど。

 山吹さんはいつも元気で明るくて、こんな私にも全力でまっすぐに接してきてくれる。

 そんな人たちだから、二人に対しては私もあまり緊張せずに話せるようになった。


 それに家庭科部なら、苦手な運動もしなくていいし、お料理はそれなりにできるし……。

 家庭科部ってあと何をするんだろう、お裁縫とか?


 私が色々と考えを巡らせている間も、山吹さんは柚愛ちゃんの腕を引っ張りながら誘い続けている。

 柚愛ちゃんの対応はそっけないが、それ自体を嫌がる様子は全然なくて、やっぱり心根の優しさが伺えて見ていてなんだか微笑ましい。

 

「まつりんとゆあっちが入ってくれたらもーっと楽しいと思うのになー!」

 

 あれ、柚愛ちゃんもいきなりあだ名になった!? 

 山吹さんの発言に衝撃が走る。

 さっきまで『影山ちゃん』だったのに……や、やっぱり山吹さんすげーや。

 

 その圧倒的人懐っこさに感心していると、柚愛ちゃんが私の方を見て首をかしげた。


「茉莉ちゃんはどうする? 部活とか入る予定あるの?」

「あ、ううん、入りたい部活とかは特にないんだけど……」


 優しく微笑んで、柚愛ちゃんが私を見つめてくる。

 やっぱり柚愛ちゃんは優しいなあ。

 私が自分の考えを言うのが苦手だと知ってるから、こうして優しく聞いてくれているのだろう。

 そうだ、柚愛ちゃんのくれた優しさを無駄にするわけにはいかないんだ!


 私は決心し、一度深呼吸をしてから口を開いた。


「えっと……私はちょっと気になるかも……」


 私の返答に、柚愛ちゃんと山吹さんが同時ににっこりと笑顔になる。

 山吹さんが満面の笑みで私の両手をつかんできた。


「まつりん愛してる! じゃあ早速体験入部しよ!」 

「い、今から……?」

「当たり前だよー善は急げだ!」


 山吹さんに両手を引っ張られて席を立たされる。

 すると柚愛ちゃんが「じゃあ私も」と言って腰を上げた。

 山吹さんがきょとんとする。


「へ、ゆあっちは入らないんじゃないの?」

「茉莉ちゃんと私は不離一体だから、茉莉ちゃんが入るなら私も入る」

「あ……そう……」


 ツンとして言う柚愛ちゃんだが、その横顔が僅かに赤らんでいる。

 山吹さんと私は無言で目を合わせ、同時にクスりと笑いを漏らした。


「イェーイ、まつりんナイスー」

「い、いえーい」


 山吹さんとハイタッチを交わす。

 こ、これがハイタッチ……ちょっとコントロールが難しいけど、私にもできたよ……!

 初めてのハイタッチに感動していると、八重咲さんがニコニコしながら歩み寄ってきた。


「楽しそうに何話してるのー?」

「あ、蘭! ふふふ、なんとこの二人が家庭科部に入部してくれるのです!」


 両腕を大きく広げ、ババーンと効果音が聞こえてきそうな動きで山吹さんが言う。

 八重咲さんが胸の前で両手を合わせ、


「本当に? すごく嬉しい、賑やかになるね」

 

 と言って頬を緩めた。

 私まだ『気になる』としか言ってないんだけどなあ。

 でもこんなに歓迎されるなら、もう入部してしまうしかないか。ていうかもはや入部したい!

 友達って素敵だね……私幸せ!

 


 その後、私たちは四人揃って家庭科室へ移動した。

 山吹さんが黒板横のドアを開けて手招きをする。


「こっちが家庭科準備室だよ、家庭科部の部室みたいなもの!」


 そう言って準備室に入って行く山吹さんと八重咲さん。

 柚愛ちゃんと一度視線を交わしてから、その後に続いて入る。

 広めの準備室の中には、授業で使うのだろう様々な道具や機械、大きな冷蔵庫などが並んでいた。

 

 そして部屋の隅に低めのテーブルとソファがあって、そこに担任の蜂須賀はちすか先生が座っていた。

 家庭科の先生だからここにいるのは当然なのかもしれないが、先生の存在を想定していなかったからか身構えてしまう。

 入ってきた私たちに目を留め、気だるそうに眼を細めた。


「なんだ、お客さんか?」

「じゃじゃーん! 入部希望のまつりんとゆあっちです!」


 山吹さんが大袈裟に紹介する。

 先生はあまり興味がなさそうな声で「へー」と言った。


「うちのクラスのバカップルじゃん」

 

 ば……!? 何!? 

 私と柚愛ちゃんって蜂須賀先生にそういう認識されてるの!?

 先生の発言にとてつもなく衝撃を受けた私をよそに、柚愛ちゃんは冷めた目を先生に向けていた。


「仮にも教師が担任の生徒に向かってなんてことを言うんですか」


 そ、そうですよ、柚愛ちゃんの言うとおりです。

 心の中で同意していると、柚愛ちゃんは顔を僅かに赤らめて、ちらと私を一瞥した。


「まあ……別にやぶさかではないですけど……」


 う、うん、私もちょっとそう思ってたよ……!

 っていやいやバカップルはなんか色々と違うでしょ! 危ない、脳死で柚愛ちゃんに同意してしまうところだった!

 うーん、でも仲良しの友達って意味でバカップルって呼ばれるならそれはアリかも……っていやいやそうでもなくて!

 

 ひとりで頭の中でやかましく騒ぎまくる。

 蜂須賀先生が柚愛ちゃんを見て、口辺を緩めて変な笑い声を漏らした。


「影山……お前面白いな」


 先生にそう言われ、柚愛ちゃんは微妙に口をへの字に曲げて不服そうな顔をした。

 柚愛ちゃんと先生のやり取りに、山吹さんがキャハハとおかしそうに笑い始める。


「そうなんだよねー。ゆあっちって実は面白いんだよねー、まつりんのことになると特にねー」


 なんだか私まで恥ずかしくなってしまう。

 顔が紅潮するのを感じて目を伏せる。

 ふと視線を左に向けると、静かに佇んで私達を見守っていた八重咲さんと目が合った。

 八重咲さんが私にふわりと微笑みかけてくれて、私はどう反応したら良いものかわからずにまた目を伏せた。



 そうしてしばらく雑談が続いた後、


「じゃじゃーん! 百子ちゃん特製プリンだよ!」


 山吹さんが冷蔵庫を漁り始めたかと思うと、取り出したプリンを両手に掲げた。

 そしてお盆に乗った四つのプリンとスプーンを手早くテーブルに並べていく。


「さ、みんな試食して感想教えて!」


 「さあさあ座って座って」とソファに座らされる。

 急な展開に戸惑っていると、対面に座っていた先生が腕を組んで難しそうな顔をした。


「ちょっと甘すぎないか?」

「先生の味覚には合わせてないもーん」


 見ると、先生の手元のカップはいつの間にか空になっていた。

 思わず「はや……」と呟いてしまう。

 というかそもそも、私ってここに何しにきたんだっけ……。おやつ食べににきたんだっけ……。


 当初の目的を忘れそうになっていると、私の隣に座った柚愛ちゃんが、体が密着する程に間を詰めてきた。

 スカート越しに自分の太ももと柚愛ちゃんの太ももが擦れて、思わずドギマギしてしまう。

 まだまだ柚愛ちゃんとのこの距離感には慣れそうもない。

 な、なんか、心臓がうにゅうにゅしてきたし……。


「はい茉莉ちゃん、あーん」


 柚愛ちゃんの声にハッとする。

 横から、私の口元にスプーンが差し向けられていた。

 柚愛ちゃんに至近距離でじいっと見つめられながら『あーん』をしてもらうって何そのご褒美最高幸せ……じゃなくて、他の三人がめっちゃ見てるから! とんだ羞恥プレイだから!

 

 しかし私が柚愛ちゃんに抗えるわけもなく、三人の視線を一身に受けながら柚愛ちゃんのくれたプリンをおずおずと口に含んだ。

 すると、山吹さんがキラキラした瞳を向けてくる。


「まつりん美味しい? どうかな?」

「う、うん、すごくおいしいよ」


 私の返答に、山吹さんは「やった、ありがと」と満面に無垢な笑みを浮かべる。

 ご、ごめん山吹さん……本当は緊張しすぎて味が全然わからないの……!


 とてつもない罪悪感を抱く私をよそに、柚愛ちゃんはスプーンですくったプリンを謎に凝視していた。

 どうしたんだろう……と思っていると、おもむろに口へと運んだ。


「ん、おいしい」


 柚愛ちゃんが目を丸くして驚き、山吹さんが飛び上がって喜ぶ。

 八重咲さんがたわやかな動作で山吹さんに向かって拍手をする。

 その時、ほんの少し柚愛ちゃんの耳が赤らんで見えたのだが、私は気のせいだと思って見て見ぬ振りをした。


 そうして、山吹さん作のプリン試食会が終わったのだった。



 って試食会じゃなくて! 家庭科部の体験入部は!


 教室に戻り、思わず心の中で叫んでしまった。

 あれっ、体験入部ってもっとなんかこう……あれっ? プリン食べただけで終わったけど。


「えへへ、間接キス……」


 柚愛ちゃんが帰る支度をしながらボソリと呟いた。

 え……あっ、間接キス……? なるほどね……なるほどね!?

 ようやく気づいた私と、ご満悦な柚愛ちゃん。


 初めての部活は想像とはかけ離れていたけど、柚愛ちゃんは満足してるみたいだし、まあいいか。

 その後しばらく、頭の中が柚愛ちゃん一色だったのは言うまでもないことだ。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る