【4】ヤキモチやいちゃった
ある日の昼休み。
私はひとり、孤独感に襲われながら静かに席に座っていた。
というのも、柚愛ちゃんが授業が終わってすぐに、
「ちょっと職員室に行ってくるねー」
と私に言い残して教室を出て行ってしまったからだ。
もちろん私には柚愛ちゃん以外に喋れる友達なんているはずがないし、だからこうして息を殺して身を縮こまらせているというわけだ。
寂しい……寂しい寂しい寂しい……柚愛ちゃん柚愛ちゃん、柚愛ちゃん早く帰ってきて……。
俯いて頭の中で何度も何度もそう繰り返していた時、不意にどこか近くから「あの……」という女の子の声が聞こえた。
違う、これは柚愛ちゃんの声じゃない。
あとこれは柚愛ちゃんの匂いでもない。柚愛ちゃんはこんなバニラ100%みたいな甘ったるい匂いじゃない。
柚愛ちゃん以外の人が私に話しかけるわけがないから、つまりこれは私にかけられた声ではないということだ。
反応しなくてよし。
そう判断して押し黙る。
「あの、旭さん?」
ん!? 私ってたしか旭さんだった気がする!
あれえ、どうして柚愛ちゃんじゃない誰かに話しかけられてるんだろう。
何かの間違いでは?
ビクビクしながら恐る恐る顔を上げる。
私のすぐ目の前に、知らない女子生徒が立っていた。
色素の薄いロングのふわふわの髪の毛が印象的で、佇まいに気品を感じる女の子。
無言で目を逸らすと、女の子は腰を屈めて私に顔を近づけてきた。
な、なになに、何なの……?
ぱちりと目が合って、女の子がふわりと微笑んだ。
ふわふわの長い髪が揺れて、甘い香りが私の鼻腔を満たした。
「体調が悪いのかと思ったけど、大丈夫そうだね」
女の子は優しい声音でそう言った。
え、何このまるでわたあめを擬人化したかのような女の子は。
こんな子がこの世に実在するんだ……。
もしかして、孤独で縮こまっていた私が具合が悪そうに見えたのだろうか。
まあ寂しくて吐きそうだったのはそうなんだけど。
中学まではこの独りきりの寂しさなんて当たり前でもはや慣れたものだったはずなのに、今は柚愛ちゃんと出会ってそうではなくなったみたいだ。
そしてその寂しさを感じることこそが友達がいるという幸せなのだと知った。柚愛ちゃん……ありがとう、好き。
というかわざわざ私なんかに声をかけてくれるとか、この人は聖女か何かなのだろうか。
非常に申し訳ないが、あいにく天使枠はすでに柚愛ちゃんで埋まってしまっているし……ってそんなことはどうでもよくて、なんて優しい人なんだろう。
とかなんとか考えながら、私はとりあえず、心配してくれたお礼を言っておくことにした。
「だ、大丈夫だよ。心配してくれて、ありがとう」
お、おお……私ってば成長してるんじゃない!?
柚愛ちゃんとそれはそれは濃密なコミュニケーションをとっている成果かしら!
思わず自分の応答に感心してしまう。
わたあめちゃん(おそらく同じクラスなのだろうが名前がわからないので勝手にそう呼ばせてもらう)は「いいえー」と微笑んでから、私を見つめて何か考えるような素振りを見せた。
しばらくして、わたあめちゃんが考え深げな表情でゆっくりと口を開く。
「旭さんって、影山さんとすごく仲が良いよね」
仲が良い……第三者からそう言われて、私は今すぐにでもスキップをしたくなるような心の浮き立ちを感じた。
毎日メッセージのやり取りしてるし、手を握って挨拶するし、もちろん仲良しだよね!
「は、はい! 仲良し、です」
「もしかして幼馴染とか?」
「えっ、いえ……ち、違います」
わたあめちゃんは頭の上にクエスチョンマークを浮かべ、首をかしげた。
よくわからないが、わたあめちゃんには何かが引っ掛かるらしい。
「あ、えっと、でも小学校は同じだったみたいです……五年生まで、ですけど」
「そっか、小学生の頃仲良かったんだ?」
「い、いえ、あんまり話したことはなかったですけど……」
私の返答に、わたあめちゃんはさらに頭の上のクエスチョンマークを増やしてしまった。
と、その時、目の端に廊下を駆け抜ける人影が見えたかと思うと、その人影が教室に勢いよく飛び込んできた。
その女の子は横からわたあめちゃんに抱きついた。
「
女の子がわたあめちゃんを見上げて言う。
溌剌とした雰囲気の小柄な女の子。
笑顔が無限に明るくて、私なんかとは違う次元に住んでいそうな。
まあそれを言ったら、このわたあめちゃんだって、柚愛ちゃんだって、私なんかとは違う次元に住んでいそうなんだけど。あはは。
「およ? 蘭、この子とお話ししてたの?」
女の子が私に気付き、舐め回すように見てくる。
「そうだよ。前に話した旭さん」
わたあめちゃんの言葉に戸惑ってしまう。
前に話した……? なんで? なんでこのわたあめちゃんが私のことを話題にするの?
い、意味がわからないんですけど……。
「おおー、この方ですか! むむむ、蘭が可愛いって言うだけのことはある……」
「えっ、あっ、えっ……かっ、かわ……?」
私が狼狽えるのをよそに、女の子は得意げな表情をして胸を張った。
「だがしかし! あたしの方がもっと可愛いのだ! 残念だったな!」
「あっ……はい……」
女の子の勢いに押されて困惑してしまう。
わからない、反応の仕方がわからないよ……陰キャの私には難しいって! 怖いよお……助けて柚愛ちゃん……。
怯える私を見かねてか、わたあめちゃんが宥めるように女の子の肩をポンポンと叩いた。
「モモちゃん、旭さん困ってるからやめなさい」
すると、女の子は「ありゃ、ごめんよ」と素直に謝ってくれた。
無言でぶんぶんと首を横に振る。
女の子がニコッと笑い、自分を指差した。
「あたし、
良い人だあ! ってクラス違うんだ。私よりもこのクラスに馴染んでない? すごすぎ……。
「あ、ちなみに私は
わたあめちゃん、もとい八重咲さんも名前を教えてくれた。
必死に脳内でメモをしていると、山吹さんがなぜか可笑しそうに笑いをこぼした。
「蘭のことは同じクラスなんだから知ってるでしょ」
「流れで一応よ、別にいいでしょ」
うわあ、知らなくてごめんなさい! 教えてくれてありがとう八重咲さん!
というかこれは私も自己紹介しないといけない流れ? おし、やってやるぜ!
「あ、え、っと、旭茉莉です。よろしくお願いします」
「まつりん! よろしくー」
な、何? まつりん? 何? さりげなくあだ名で呼んだ!? 何!?
山吹さんのペカーっと輝く底なしの無邪気な笑顔。圧倒的オーラ。山吹さん、すげえや。
山吹さんに圧倒されていると、
「まつりんってすごいよね!」
と言って私の机に両手をついて身を乗り出してきた。
「えっ、な、何が……?」
「だってあの影山ちゃんと仲良いんでしょ? あたしたち影山ちゃんと同じ中学だったんだけど、ウチの中学だった子達の間で二人のこと結構話題になってるよ」
どうして柚愛ちゃんと仲良くなったら話題になるのだろう。
よく理解できなくて首をかしげる。
すると、山吹さんがなぜかスンッと澄ました表情になった。
「あのクールで他人と馴れ合わない孤高の超絶美少女、みんなの高嶺の花、影山ちゃんが……」
声色まで澄ました感じに変えてそこまで言うと、一転して今度はパッと笑顔になった。
「まつりんといる時だけはめーっちゃキラキラ笑顔でデレデレベッタベタらしいって」
山吹さんの言葉に思わずポカンとしてしまう。
柚愛ちゃんが……クールで他人と馴れ合わない……? まさかそんなわけ、だって私の知ってる柚愛ちゃんはいっつも笑顔で、優しくて、距離感が近すぎるほど近くて……。
ふと八重咲さんとの会話を思い出す。山吹さんの言ったことが本当だとしたら、先程の八重咲さんの反応にも合点がいく。
一人で納得していると、山吹さんが私のことを指差した。
「あの影山ちゃんをそんな風にしてしまうまつりんの魅力が、あたしは気になっていたのだー!」
また勢いに押されて言葉を失ってしまう。
八重咲さんが私を指差す山吹さんの手の甲を優しく押し下げた。
「モモちゃん、もう少し落ち着こうね」
「噂のまつりんが目の前にいるのに落ち着いていられますか!」
開き直る山吹さんに、八重咲さんが困ったように苦笑する。
「モモちゃんうるさいでしょ? 騒がしくてごめんね」
「い、いえ全然……」
両手を振って否定する。
山吹さんが「うるさいとか蘭ひどーい」と言いながらケラケラ笑う。
この二人の雰囲気、すごく良いなあ。仲の良さがひしひしと伝わってくる。
私も柚愛ちゃんとこれぐらい打ち解けて仲良くなりたいなあ。
そんなことをぼんやりと考えた時だった。
職員室に行っていた柚愛ちゃんがようやく教室に戻ってきた。
柚愛ちゃんの姿を見て、私の心は自然と弾んだ。
柚愛ちゃんは教室に入るとすぐに私が二人と話していることに気がついた様子で、私と二人をチラリと見比べてほんの僅かに唇を尖らせたように見えた。
二人を横目に、柚愛ちゃんが席に座る。
八重咲さんと山吹さんが同時に柚愛ちゃんに目を向けた。
「あっ、噂をすれば影山ちゃんだ! やっほー久しぶり!」
山吹さんの声に、柚愛ちゃんは少しの愛想笑いすら見せずに、澄ました顔をして軽く会釈をした。
さっき話してたのはこういうことか……!
今まで私と接する柚愛ちゃんのことしか気にしたことがなかったから信じられなかったが、実際にそれを目にしてようやく先程の話が本当だったのだと信じることができた。
だけどクールな柚愛ちゃんちょっとかっこよくない!? なんだかいつもとのギャップにドキドキしちゃう!
とかなんとか浮ついたことを考えたのも束の間、私は不安を感じていた。
もしも、今話しかけて私にもこの対応だったらどうしよう。
それはイヤだな……。
っていやいや、そんなはずないもん! 柚愛ちゃんは柚愛ちゃんだもん!
柚愛ちゃんがちらと私を一瞥し、どこかソワソワと目を泳がせる。
私は心を決めた。
「お、おかえり……柚愛ちゃん」
たったそれだけの言葉で、柚愛ちゃんは一瞬で笑顔になった。
席を立って私のそばにくると、八重咲さんと山吹さんが目の前にいるのもはばからず、腕を組んで指を絡めてきた。
「えへへ、ただいま。寂しかったねー」
「うぇっ!? ゆゆ、柚愛ちゃん、二人に見られてるから……!」
柚愛ちゃんがぴくりとして顔をもたげる。
「あっ」と小声をこぼし、やってしまったという顔をする。
そして、じとっとした湿っぽい目を二人に向けた。
「何か用ですか」
八重咲さんは微笑ましそうに頬を緩めると、
「ううん、邪魔してごめんね」
とたおやかに言い、山吹さんはニヤニヤとして口を手で覆い、
「お熱いですなあ」
と楽しそうに言った。
「さ、モモちゃん、向こうでお昼ごはん食べよっか。旭さん、影山さん、また今度ゆっくりお話ししましょう」
優雅にお辞儀をして、八重咲さんが山吹さんの腕を引いて離れていく。
山吹さんが引っ張られながら「さらばまつりん、またお話ししようね」と言い残していった。
なんだか面白い二人だったなあ。
離れていく二人の背中をぼんやり見ていると、不意に柚愛ちゃんが私の制服をちょんとつまんで引っ張った。
「何話してたの?」
「えっと……わ、私たちが仲良しなのが気になってたみたいで……中学の柚愛ちゃんのこと、少し聞いたよ」
悩みながらも、私は正直に答えた。
「そっか。私、茉莉ちゃん以外にはあんな感じなんだよ」
「う、うん……ちょっとびっくりしたけど、なんか嬉しい……」
「嬉しいの?」
「だって私だけ、特別、みたいだから」
自分で言いながら顔が熱くなる。
柚愛ちゃんが口辺に笑みを浮かべ、私の肩に額を寄せ、頭を預けてきた。
「みたい、じゃなくて、本当に特別なんだよ」
そう言う柚愛ちゃんの声には熱がこもっていて、その熱に息が詰まるようだった。
どうして柚愛ちゃんは、私なんかをこんなにも好きでいてくれているのだろうか。
理由を聞いてもいいのだろうか。聞いたら、答えてくれるだろうか。
柚愛ちゃんが顔を上げ、くすりと笑う。吐息が頬にかかってくすぐったい。
「だからね、さっきちょっとヤキモチやいちゃった。私の茉莉ちゃんが誰かと話してるーって」
「えっ……そうだったんだ」
『私の』と言われ、まんざらでもなく嬉しくなってしまう。
「ふふっ、変だよね。あ、でも別にいいんだからね、いっぱい友達作ってね」
「えっ、あっ、うん……」
そう言われても……できるかなあ、友達。
柚愛ちゃんがこんなにもグイグイ来てくれるからこそ、私は柚愛ちゃんと友達になれたんだし。
「茉莉ちゃんの友達の中で、私が一番特別だったらそれでいいの」
静かに囁いて、また頭を肩に乗せてくる。
その重みを感じていると、柚愛ちゃんは私にとっても特別な友達なのだと、強く感じるのだった。
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