【2】いっぱい撮れたね
「
夜。
今日の出来事を思い出してはニヤニヤがおさまらない。
高校の入学式だった今日、陰キャぼっちだった私に友達ができたかもしれないのだ。
影山柚愛ちゃん。
なぜか私に話しかけてくれて、しかもなんか距離感が近めで、あとめちゃくちゃ美少女(いい匂い)で……まさに夢見心地だ。
リビングのソファに寝転んでフワフワした気持ちを楽しんでいると、不意に頭上から声が降ってきた。
「うわ、お姉ちゃんがキモい顔してる」
寝転んだまま上を見ると、妹の
「何、もしかして高校デビュー成功したの?」
その質問に、私はガバリと勢いよく起き上がった。
蕣花に顔を近づけて「どうだったと思う?」と逆に聞き返す。
蕣花は「いや知らないよ」と迷惑そうな表情を浮かべた後で、視線を宙に泳がせてから私の顔に視線を戻した。
「でも本当、見た目だけは良くなったよね」
無表情で言う蕣花に、私はソファ越しに抱きついた。
「蕣花のおかげだよー」
「わーもうくっつくな! 鬱陶しいから!」
実は、外見を変えるにあたって妹に色々と意見をいただいていたのだ。
妹は根暗陰キャぼっちの私とは違い、なぜかキラキラ女子をやっている。
本当になぜか分からないが、世の中には不思議なこともあるもので、姉妹でもこんなに差が出ることもあるらしい。
「でもさー、やっぱ大事なのは中身だって気づいたよ。いくら見た目を変えても性格は根暗のままだもん」
「そりゃそうだ」
「初対面の人に話しかけるとか無理すぎたよ」
「お姉ちゃんだもんね」
慈悲のかけらも感じられない妹の相槌に、私も頷いて同意する。
そして柚愛ちゃんの微笑みを思い浮かべながら、精一杯に声を張り上げた。
「でも、天使はいたんだよ!」
「うるさ」
耳を抑える蕣花を横目に続ける。
「私なんかに話しかけてくれて、ピースもした!」
「え、ピース? は?」
「しかも、す、好きだよって言われたの! とと、友達だよって!」
「ああそう」
「しかもあの伝説の名前呼びまで……もう幸せすぎ」
「よかったね」
噛み締めるように「柚愛ちゃんマジ天使……」と呟く。
蕣花が私のテンションの高さに若干引いているが気にしないでおこう。
「あとなんかやけに距離感が近くてさー、めっちゃいい匂いしたー」
「きも」
「キモくないし!」
蕣花がソファの背もたれに肘をつき、頬杖をつく。
どこか嬉しそうに口元を緩ませていた。
「まあ良かったじゃん。でもあんまり根暗丸出しで愛想尽かされないように気をつけなよ」
「怖いこと言わないでよ!」
もしも柚愛ちゃんに愛想尽かされたら……無理、心折れて学校に通えなくなる。
その前に柚愛ちゃんと友達じゃなくなるのが嫌だ。
そんな展開を想像して泣きそうになっていると、蕣花が「ところでお姉ちゃん」と私に人差し指を向けた。
「もちろんその人と連絡先交換したんだよね?」
妹のセリフが頭の中で反響する。
連絡先……だと……? 連絡先の交換ってどうやるの?
オドオドする私を見て、蕣花が苦笑した。
「明日、頑張りなよ」
翌日。
私は『柚愛ちゃんと連絡先を交換する』という極大のミッションを背負い、さながら戦場に赴く兵士の如く
まだ生徒がまばらな朝の静かな教室。自分の席に座り、ハンカチを両手で握りしめる。
「おえ、やっぱ無理……」
もしかしたら柚愛ちゃんは昨日の出来事なんか覚えてすらいないとか、昨日のあれは柚愛ちゃんの気まぐれで今日は話しかけてもらえないとか。
というか昨日のは私の幻覚で、柚愛ちゃんなんていなかったのかも。
そんな訳のわからないネガティブな考えばかりが頭を埋め尽くす。
また昨日みたいに話しかけてくれるのかな……。
俯いてハンカチを口に当てがった。その時、
「茉莉ちゃんおはよう」
教室に入ってきた一人の生徒が何をするよりも先に、私の名前を呼んで挨拶をしてきた。
俯いていて下半身しか目に入らなかったが、その透き通る声と柑橘系の香りですぐに柚愛ちゃんだとわかった。
頭をもたげると、満面に笑顔を浮かべた柚愛ちゃんが私に向かって手を振っていた。
一瞬で不安を吹き飛ばしてくれる笑顔。
柚愛ちゃんの姿を見るや、心臓がきゅっとなってじんわりと熱を帯びた。
「ひゃっ、かわい……じゃなくて、お、おはよう……」
やばい、思わず口をついて出ちゃうほどに可愛い。
あまりの透明感に魂が浄化されちゃうよ私。
私に手を振る柚愛ちゃんを目の前にして、ようやく昨日の出来事が現実だったのだと実感する。
柚愛ちゃんが口に手を添えてクスリと笑いをこぼす。
「かわいい?」
悪戯っぽく向けてくる視線は、まるで無垢な幼さと私の体に絡みついてくるような妖艶さが入り混じっているようだった。
心臓が跳ねて、あたふたと狼狽してしまう。
「あっ、いや違くて……」
両手を振って咄嗟に否定する。
すると柚愛ちゃんは「むー」と言って頬をぷくっと膨らませた。
「違うんだ?」
「あっいやそうじゃなくて、か、可愛いって思ったのはそうなんだけど、つい口走っちゃったというか……」
慌てて弁明すると、柚愛ちゃんが破顔しておかしそうに笑い始めた。
「ごめんね、冗談だよ」と言って、私の隣の席に腰を下ろした。
な、なんなのこの子! もう一挙手一投足の全てが神がかってあざと可愛いんですけど!
もう柚愛ちゃんの虜になっちゃう!
カバンをまさぐりながら柚愛ちゃんがこちらに顔を向け、
「あ、そうだ、ねえねえ茉莉ちゃん」
と手招きをしてくる。
私が首をかしげると、柚愛ちゃんはニコリと笑顔を浮かべた。そして、
「茉莉ちゃんも可愛いよ」
と恥ずかしげもなく言ってきたのだった。
その瞬間、顔が、と言うよりも全身が火照り始める。
なんか、なんだ、顔だけじゃなくて手足とか色んなところが熱い!
ダメだ、頭がクラクラしてまた吐きそうになってきた。
でもこの吐き気は不安から来るやつじゃないせいか、嫌な気持ちが全然しない。
もういっそのこと吐いちゃってもいいかも。……いやそれはダメでしょ! 柚愛ちゃんにドン引かれちゃう!
柚愛ちゃんやばすぎ、強すぎる。
ボーッとする頭でそんなことを考えていると、不意に頭の中の柚愛ちゃんに割り込んで浮かんでくる顔があった。
私の頼れる妹の顔だ。
蕣花……お姉ちゃん今最高に幸せだよ……。
ってそうじゃない! 今日は極大ミッションがあるんだった!
蕣花のおかげで大切なことを思い出した。
柚愛ちゃんの破壊力についのぼせてしまっていたが、連絡先を交換しなければ!
いそいそとカバンからスマホを取り出す。
「ゆ、ゆゆゆ柚愛ちゃん……!」
勇気を振り絞って柚愛ちゃんに声をかける。
柚愛ちゃんがこちらを向いて「なあに?」と優しく微笑んだ。
「あ、あのあの、えっと……」
スマホを握りしめたまま私が言い淀んでいると、柚愛ちゃんは私の手元に目をとめた。
同時に何かを察した表情になる。
柚愛ちゃんが席を立ち、私のそばに寄ってきた。
柚愛ちゃんの人差し指が、私の肩をちょんちょんとつつく。
「椅子半分ちょーだい」
「へぁっ!? ひゃい!」
肩をつつかれ、大袈裟に驚いてしまう。
ドギマギしながら、言われた通りに右にズレて椅子の左半分を空ける。
すると柚愛ちゃんは「ありがと」と言って、空けた左半分に腰掛けた。
い、今私、同じ椅子に柚愛ちゃんと座ってる!?
これはもう! これはもう!
ていうか必然的に体が密着するわけで、柚愛ちゃんの色んなものを感じてしまう!
あっ、柚愛ちゃんの匂いがこんなに近くに……ふへへ。
「茉莉ちゃん、お顔緩んでるよー」
「ふぇっ、ご、ごめんなさい!」
訳もなく反射的に謝った時、カシャッとカメラのシャッター音が聞こえた。
ハッとして我に帰ると、柚愛ちゃんがスマホを左手に持っていて、その手を前に伸ばしていた。
こちらを向いているスマホの画面には、私と柚愛ちゃんが並んで映っている。
「えっ、あっ、写真……です?」
「ほらほらー、次撮るよー。笑顔笑顔ー」
そう言って容赦なく撮影ボタンを押す柚愛ちゃん。
画面の中の私は目を見張って驚いた顔をしていた。
自撮りなんてしたことないし、ましてやツーショットだなんて。
こんな状況で笑顔なんてできないよー!
「はい、もう一枚」
それでも柚愛ちゃんは撮影をやめない。
相変わらず真っ赤にしたまま羞恥に引きつらせる私の横顔を、柚愛ちゃんが笑顔で凝視してくる。
そのまま、私と柚愛ちゃんの間の僅かな隙間を埋めるようにさらに体を密着させてきた。
腕も脚も腰もお尻も、柚愛ちゃんとピッタリくっついてしまう。
ひええ、柚愛ちゃんが! 柚愛ちゃんが! やっぱりこの子の距離感バグってるよお!
心臓が破裂する! 脳みそ爆発する! 体が蒸発する!
体を硬直させていると、柚愛ちゃんは最後に頭をそっと寄せてきた。
私と柚愛ちゃんの側頭部同士がくっついて、髪の毛が擦れる感覚がくすぐったい。
たぶん、今の私は全身から蒸気を出している。
なんかもう発火しそう。
「えへへ、いっぱい撮れたねー」
柚愛ちゃんの嬉しそうな声にびくりとする。
やばい、魂が抜けかけてた!
「見て見てー、お顔真っ赤な茉莉ちゃん可愛いね」
弾んだ調子でスマホを見せてくる。
満面の笑みの柚愛ちゃんとは対照的に、私なんて魂が抜けた顔をしていてなんと間抜けなことか。
十億人に聞いたら十億人が柚愛ちゃんの方が可愛いと言うに決まっている。
「ねえね、茉莉ちゃん。私この写真ホーム画面にするから、茉莉ちゃんもしてくれる? おそろいにしよ」
「ふぇっ、は、はい! します!」
柚愛ちゃんの提案に、私は間髪入れずに同意していた。
うわあ何それ……発想がもう……もう! 柚愛ちゃん好き!
しかし、ふと考える。
「あ、でも私その写真持ってない……」
「うん、だから送らなきゃね」
送らなきゃね?
その言葉を頭の中で何度も繰り返して、そしてようやく閃いた。
柚愛ちゃんが何かを催促するような上目遣いで私をじいっと見てくる。
こ、これはもしかして、私から言えということですか!
もしかして私が連絡先を交換したがってると分かった上でこんな行動を……?
いやいやまさかそこまで考えて……いる気がしてきた! だって柚愛ちゃんだもん!
初めての友達にここまでお膳立てされて、たった一歩が踏み出せないなんて言えるわけがない。
私は意を決して口を開いた。
「わ、私と……連絡先、交換してくれませんか……?」
少したどたどしかった気がするが、なんとか言い切った。
それだけでもう、とてつもない達成感である。
柚愛ちゃんは「えへへ」と心底嬉しそうに笑うと、
「うん、もちろん」
と答えた。
それから私にもたれかかり、私の左腕に柚愛ちゃんの右腕を絡ませてきた。
その後、私はもはやカチコチに固まることしかできなかった。
柚愛ちゃんにリードされるままに、友達と連絡先を交換するというイベントを人生で初めて経験してしまったのだった。
頭の中がふわふわして、その日あった入学直後の実力テストにあまり集中できなかったのは柚愛ちゃんには秘密である。
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